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     読めもしない冊数を並べても飾りにもならない、と考える向きもあるが、笑止。
     文献はただ集めるだけでもご利益がある(そして大抵はそこで終わらない)。それを説明しよう。


    1.文献を集めている間に理解が進む


     文献を集めるには、それらの内容(コンテンツ)と背景(コンテキスト)を理解し、複数の研究の間の関係を把握する必要がある。
     そして逆もまた真。
     文献が集まってくると、いつの間にか自分の理解が進んでいる。例えば見えにくかった背景(コンテキスト)についての感度が高まってくる。

     文献をリストにして整理しているだけでも違う。
     タイトルやサブタイトルに繰り返し登場するキーワードは、その領域に中心的課題に関連する用語だろう。
     文献を時間順に並べたものを眺めると、その領域での関心の推移がほの見える。
     同じ著者の文献をまとめて時間順に並べることは、その領域の中心的研究者の個人史と研究分野の歴史について考えるきっかけになる。

     複数の書誌に当たろう。そして自分のための文献リストに追加していこう。
     入手した文献中の参考文献リストについても、同様だ。
     そして複数の書誌や文献に登場した文献には、その度に「*」でもつけておこう。
     より多くの書誌や文献に登場した(つまりより多く「*」を集めた)文献は、それだけ定番のものであり、まず入手して当たってみるべき文献ということになるだろう。
     自分の理解が浅く、文献の内容だけで評価が難しい段階では、こうした機械的なやり方も案外役に立つ。
     言うまでもないが、より多くの書誌や文献から自分の文献リストへ抽出した方が、「*」の数について差が広がりやすい。
     つまりそれだけ読むべき文献の優先順位をはっきりさせることができる。
     その汗は報われるのだ。

     「文献が多すぎる」ように感じるのは、そのリストが平板なものにしか見えないからだ。
     それぞれの文献の位置取りが分かってくると、文献リストに凹凸がつく。
     読むべき論文が浮き上がり、取るに足らない文献が背景に退く。
     こうして文献リストが立体になる。

      そのためには複数の文献を突き合わせ、比較する必要がある。
     これまでにも、その分野について多くの文献を読んでいる者は、新たに手にした文献を既知の文献たちと比較できる。だから理解が速いし深いのだ。
     そうした蓄積がないうちはつらい。理解が浅いまま読む最初の数本がとくにつらい。が、ここを越えないと何も始まらない。



    2.単純作業もインスピレーションのゆりかごになる


     文献を集めていると、単純な作業が多い。
     コピーをとったり、書誌データや引用に使えそうな部分を書き写したりといった、まあ退屈な作業だ。
     しかし、ここのところがいい加減だと、パンクした自転車でロードレースに出場するような羽目になる。ペダルはやたら重いのに、ちっとも前に進まないだろう
     スペルミスや誤記したおかげで探している文献が見つからない(あるいは探すのに余計な時間がかかる)、あるいはコピーした雑誌論文の肝心なページが抜けているなど、それだけで気力が萎える。

     しかし、こうした単純作業の時間は、霊感が訪れる時間でもある。
     ヤング『アイデアのつくり方』は、この方面の鉄板だが、急いでいる人のために短くまとめると
    a.関係ありそうなことは何でも詰め込め(インプットしろ)。
    b.並べ替えたりまとめたり、素材をとことんいじれ、まみれろ。
    c.煮詰まるまでいったら、何もせず/他のことをしながら、放っておけ(するとアイデアが舞い降りてくる)。
    といったようなことが書いてある。

    アイデアのつくり方アイデアのつくり方
    (1988/04/08)
    ジェームス W.ヤング、今井 茂雄 他

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     時間に追われ、文献や資料に囲まれ、とにもかくにも論文のことに頭を占拠されている時の単純作業は、ヤングがいうアイデアが舞い降りてくる時間にあたる。

     アイデアは、欲しいと思って頭をひねっている時にはやって来ないものだ。
     だが、頭をネタを詰め込みうんうん考える〈仕込み〉が効を奏する時が来る。
     それはいつかは分からない。そして必ず何かが来る訳でもない。

     だが筆記具とメモを忘れず身につけておこう。



    3.読んだ文献を自分の中で重ね合わせるようになると、知識が揺れなくなる


     探しやすいものを一通り集めた頃、文献集めは壁に当たる。
     イライラするし不安にもなるが、それはテーマについての知識と文献についての情報が相互作用して再編成されるために必要な時間なのだ。
     
     ここまで来ると、未読の文献を読む度に、右に左に揺れていた考えが落ち着いてくる。
     行き詰まり感はきついが、ここからようやく、自分の中に蓄積ができてくる。
     知識が揺れなくなってから読む文献は、ようやく厚みになる。

     当然知ってなきゃいけない範囲を越えて、踏み出す時が来たのだ。

     この段階の半ばにさしかかると、それまではあまり重要だとは思えなかった資料や、ほとんど考えに入れてなかった領域に/自分の捜索想像範囲を越えたところに、欲しいものが出てくる。
     他人が見たら、あるいは文献を集め出した頃の自分が見たら、「ええっ、そんなもの?」と思うような資料の、今の自分にとっての意味が見え始める。
     それはまだ予感のようなものだが、その予感を確実なものにすべく、あなたの中に詰め込まれた情報や知識が、いろんな組み合わせで突き合わせられる。無論、意識してこの反応を行うことも必要だ。というか、そうしたくなるだろう。



    4.アウトラインがかなり細かなところまで決まってくる

     自分が書くものの構成は、執筆の最初の方で決めておきたいのが人情だ。
     だが、ある程度のものが頭に溜まって来ないと、構成は本当には決まらない。
     仮に決めておくことも必要になるが、あとから大きな変更があり得ることは覚悟しておいた方がいい。

     構成をそれだけ取り出して考えても、砂上の楼閣にしかならない。
     それでもプランがないと先に進めないから、仮に決めておくのだ。

     しかし朗報もある。
     文献や資料をただ集め整理していくだけでも、アウトラインは知らず知らずのうちに育っていく(その間、感情的にはつらい期間が続くのだが)。
     自分が調べたものたちを振り返っていくのは、構成上のアイデアを得るのに役立つ。

     結局、ディティールを埋めるパーツがある程度出揃わないとパズルは解けないものだ。
     逆にどんなパーツがあるのか眺めていくと、完成形がいくらか見えてきたりもする。

     煮詰まったら、自分と同世代じゃない人に、論文のあらすじを説明してみるといい。
     言葉のモードを、学術モードから切り替えると、ブレイク・スルーが訪れることがある。
     劇的な効果が得られなくても、自分のやっていること、やってきたことを俯瞰することは、知性の上でも、感情の上でも、役に立つ。


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