2011.12.19
音楽的な背景をもった静かな革命/ヴァーツラフ・ハベル/ルー・リード
![]() | ニューヨーク・ストーリー ルー・リード詩集 (1992/08) ルー リード 復刊リクエスト |
図書館でルー・リード詩集を借りてきて読んだ。
中にインタビューが2本入ってる。
ルーに対するインタビューじゃなくてルーがインタビュアーなんだ。
その内の1本、チェコの大統領ヴァーツラフ・ハベルにへのインタビューというよりはルポ、これが凄くかっこよかった。
ハベルって人はもともと文学者だったんだね。
旧東欧、共産党政権下の反体制知識人(←ああ、なんかとんでもない文字面だな)。
迫害されたり投獄されたり、それが今や大統領だ。
ルーのインタビューに応えてハベルが語り出す。
「私たちのこの革命は他のすべての面とは別に音楽的な面をもっています。特に音楽的な背景を持つ革命。」
60年代終りにチェコではロックが禁止されたんだってさ。
でもアンダーグランドにもぐってやってたやつらもいた。
ヴェルヴェットの影響を受けてたやつらが。
やがてそいつらも逮捕され、それに対する救援活動をハベルらが組織する。
「紳士や学者や、ノーベル賞受賞者たちを説得」して。
そうした中で憲章77というレジスタンスと反体制のコミュニティが作られていったと。
ああ、全くジジェクの言ってたとおりじゃないすか。
大統領はルーに今夜クラブで演奏するのかと尋ねる。
ルーは俺はプライベートな人間だから、あなたの為になら演奏したいが、わけのわからないところではやらないと答える。
ハベルは、いやそれなら友人達だけの集まりだから大丈夫だと言う。
ルーはその夜クラブに向かう。
すでにチェコのバンドが演奏している。
「私は突然曲に聞き覚えがあることに気づいた。彼らはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌を演奏していた。」
「一夜漬けの練習でできるものではなかった。」
「編曲、強調されたライン、間のとりかた、まるで時間を遡って自分自身の演奏を聞きに戻ったような感じだった。」
そしてルーはプレイし、彼らとのセッションを堪能する。
演奏が終り、多くの人々がルーの許にやってくる。
「私の音楽を演奏して刑務所に入っていた者もいた。刑務所に入っていた時、自分を勇気づけ慰めるために私の歌詞を暗唱していたと大勢が言った。中には、私が15年前に書いたエッセイの中の一行「誰もが音楽のために死ぬべきだ」を覚えている者もいた。それは私にはとてつもない夢で私の最も遠大な期待をはるかに越えるものだった。」
「ヴェルヴェットと私自身のアルバムは表現の自由ーー好きなことについて好きなように書く自由についてのものだった。そして、その音楽はここチェコスロバキアに安住の地を見いだした。」
![]() | ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ (2006/06/21) ヴェルヴェット・アンダーグラウンド |
2010.07.21
「宗論」という狂言のこと
宗論とは、宗教論争、ここでは宗派間の論争である。
つまり教義上の優劣・真偽について侃々諤々喧々囂々やる。
これだけでも、この狂言のストーリーは、おおよそ予想される。
旅のふたりの坊さんが出会って道連れになる。
話を交わすうち、片方が身延詣から帰りの僧侶(要するに法華僧)、もう片方が善光寺詣から帰りの僧侶(要するに浄土僧)であることが、互いにバレる。
当然両者は犬猿の仲(宗派)。
互いに相手に「改宗せよ!」と、宿屋に入るなり、宗論の幕が切って落とされる。
まずは法華僧が「五十展転随喜(ずいき)の功徳(くどく)」を説くが、それがやがて「ずいき芋汁」の話になる。
つづいて浄土僧が「一念弥陀(みだ)仏即滅無量罪(ざい)」を説法するが、やがて献立の菜(さい)の話に変っている。
夜通しやってるバカ宗論。
互いの法話にアホらしさに、両者あきれはてて寝てしまう。
さて次の朝、はやく目覚めて二人は朝のお勤めを始め出す。
ここでも張り合い競い合うバカ坊主二人。
ナンミョウレンゲキョーにナムアムダブツ、互いに競い合い大声出して経を読むうちに、二人は次第に興にのり、とうとう浄土僧は踊り念仏、法華僧は踊り題目と浮きに浮く。
踊り合いながら、螺旋を描いて高まるボルテージ。
ふたりはまもなく忘我の境地に至り、浄土僧がナンミョウレンゲキョー、法華僧がナムアムダブツと互いの宗派を取り違えてしまう(お約束)。
二人はハッっと翻然として悟り合う。
そうだ! シャカの教えに分け隔てがあろうはずがない、宗派の争いなどささいなこと、と仲直りして、二人して踊ってハッピーエンド(お約束)。
両派が新興宗教だった時代の、期待と予想を裏切らない出家狂言。
つまり教義上の優劣・真偽について侃々諤々喧々囂々やる。
これだけでも、この狂言のストーリーは、おおよそ予想される。
旅のふたりの坊さんが出会って道連れになる。
話を交わすうち、片方が身延詣から帰りの僧侶(要するに法華僧)、もう片方が善光寺詣から帰りの僧侶(要するに浄土僧)であることが、互いにバレる。
当然両者は犬猿の仲(宗派)。
互いに相手に「改宗せよ!」と、宿屋に入るなり、宗論の幕が切って落とされる。
まずは法華僧が「五十展転随喜(ずいき)の功徳(くどく)」を説くが、それがやがて「ずいき芋汁」の話になる。
つづいて浄土僧が「一念弥陀(みだ)仏即滅無量罪(ざい)」を説法するが、やがて献立の菜(さい)の話に変っている。
夜通しやってるバカ宗論。
互いの法話にアホらしさに、両者あきれはてて寝てしまう。
さて次の朝、はやく目覚めて二人は朝のお勤めを始め出す。
ここでも張り合い競い合うバカ坊主二人。
ナンミョウレンゲキョーにナムアムダブツ、互いに競い合い大声出して経を読むうちに、二人は次第に興にのり、とうとう浄土僧は踊り念仏、法華僧は踊り題目と浮きに浮く。
踊り合いながら、螺旋を描いて高まるボルテージ。
ふたりはまもなく忘我の境地に至り、浄土僧がナンミョウレンゲキョー、法華僧がナムアムダブツと互いの宗派を取り違えてしまう(お約束)。
二人はハッっと翻然として悟り合う。
そうだ! シャカの教えに分け隔てがあろうはずがない、宗派の争いなどささいなこと、と仲直りして、二人して踊ってハッピーエンド(お約束)。
両派が新興宗教だった時代の、期待と予想を裏切らない出家狂言。
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2010.07.16
正岡子規『仰臥漫録』
ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているのだが、それはこの人だってちゃんと知っているのだが、それでもこの人は生きていて、だからモノを食べて、脱糞して、イタズラを考え、看病してくれている妹を「冷淡だ」「強情だ」「同情同感なき木石の如き女なり」とののしり、母親に「たまらん、たまらん」と叫び、日記を書く。
朝 粥四碗 はぜの佃煮 梅干し(砂糖つけ)
昼 粥四碗 鰹のさしみ一人前 南瓜一皿 佃煮
夕 奈良茶飯四碗 なまり節(煮ても少し生にても) 茄子一皿
ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているので、ずっと寝たきりであることも知っているので、いくらなんでもこれは食べ過ぎじゃないかと思う。
この頃食ひ過ぎて食後にいつも吐きかへす
二時過牛乳一合ココア交て
煎餅菓子パンなど十個ばかり
昼飯後梨二つ
夕飯後梨一つ
服薬はクレオソート昼飯晩飯後各三粒(二号カプセル)
水薬 健胃剤
今日夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず 暫くして
屁出て筋ゆるむ
ほら、みろ、とぼくらは思う。
けれど、この人は少しも改めない。
反省がない。
「十個ばかり」とは何事か。
「夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず」。
大食のためだろうか、だって?
もちろん、「ため」に決まってる。
ここまでくると、この人がもうすぐ死ぬことを知っているのに、ざまあみろとさえ思ってしまう。
母は黙つて枕元に坐つて居られる
余はにわかに精神が変になつて来た
「さあたまらんたまらん」
「どーしやうどーしやう」
と苦しがつて少し煩悶を始める
いよいよ例の如くなるか知らんと思ふと
益乱れ心地になりかけたから
「たまらんたまらんどうしやうどうしやう」
と連呼すると母は
「しかたがない」
と静かな言葉、
それはそうだ。しかたがないのだ。
自分がもうすぐ死ぬことを知っているこの人は、この母を使いに出し、そして枕元の小刀と千枚通しに手を伸ばしてみる。
ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているけれど、またこのことでは死なないことも知っているので(なんとなれば、その後に、彼はこのことを日記に書いたのだから)、この人の日記を淡々と読み進める。
死は来ない、けれど遠くはない。
朝 粥四碗 はぜの佃煮 梅干し(砂糖つけ)
昼 粥四碗 鰹のさしみ一人前 南瓜一皿 佃煮
夕 奈良茶飯四碗 なまり節(煮ても少し生にても) 茄子一皿
ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているので、ずっと寝たきりであることも知っているので、いくらなんでもこれは食べ過ぎじゃないかと思う。
この頃食ひ過ぎて食後にいつも吐きかへす
二時過牛乳一合ココア交て
煎餅菓子パンなど十個ばかり
昼飯後梨二つ
夕飯後梨一つ
服薬はクレオソート昼飯晩飯後各三粒(二号カプセル)
水薬 健胃剤
今日夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず 暫くして
屁出て筋ゆるむ
ほら、みろ、とぼくらは思う。
けれど、この人は少しも改めない。
反省がない。
「十個ばかり」とは何事か。
「夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず」。
大食のためだろうか、だって?
もちろん、「ため」に決まってる。
ここまでくると、この人がもうすぐ死ぬことを知っているのに、ざまあみろとさえ思ってしまう。
母は黙つて枕元に坐つて居られる
余はにわかに精神が変になつて来た
「さあたまらんたまらん」
「どーしやうどーしやう」
と苦しがつて少し煩悶を始める
いよいよ例の如くなるか知らんと思ふと
益乱れ心地になりかけたから
「たまらんたまらんどうしやうどうしやう」
と連呼すると母は
「しかたがない」
と静かな言葉、
それはそうだ。しかたがないのだ。
自分がもうすぐ死ぬことを知っているこの人は、この母を使いに出し、そして枕元の小刀と千枚通しに手を伸ばしてみる。
ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているけれど、またこのことでは死なないことも知っているので(なんとなれば、その後に、彼はこのことを日記に書いたのだから)、この人の日記を淡々と読み進める。
死は来ない、けれど遠くはない。
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