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    問:本が読めません。1冊の本を最後まで読めなくて挫折してしまいます。


    答:挫折してもいいです。とにかく読み始めたことが大切です。本当に読めない人は最初からあきらめて本を開きもしません。



    問:挫折した本はあきらめた方がいいですか?


    答:あきらめなくていいです。他の本を読んでから再び読んでみると、案外読めたりするものです。読める本を何冊か読むだけでも随分ちがいます。



    問:どうしたら挫折せずに最後まで読めるようになりますか?


    答:挫折せず読める、読みやすい本を選びましょう。最初は易しく薄い本がよいです。ちなみに、誰かがあなたに勧めてくる本は、あなたの読書レベルより少し上のことが多いです。



    問:どうしておすすめ本はレベルが少し上になるんですか?


    答:あなたに本を薦めてくれるような善意の人は、あなたの読書力を実際よりも高く見積もる傾向があるからです。それから、あまり易しい本を勧めてしまうと「バカにすんな!」と相手の怒りをかうことがあるので、おすすめ本のレベルは上方修正されがちです。
     ちなみに「あなたに本を薦めてくれるような人」の中には、あなた自身も含まれます。つまり〈背伸びした〉本を、自分でも選んでしまうのです。



    問:〈背伸びした〉本を読むのはダメですか?


    答:ダメじゃありません。背伸びした読書は否定されるべきではありません。自分を賢く見せたい知的スノビズム(関西でいうところの「ええかっこしい」)は文化の森の下草です。視野に入ると鬱陶しいですが、無ければ文化の森が枯れてしまいます。
     読めもしないような本を買う人がいなくなれば、書物の世界は今よりずっとさびしいものなるでしょう。
     そして、背伸びした読書をしようとしない人は、結局のところ、どんな読書もしないでしょう。

     
     
    問:どうやって読みやすい本を見つけたらいいですか?


    答:一番簡単なのは、誰かが勧めた(あるいは自分が読みたい)〈少しレベルが上の本〉を持って、図書館のレファレンスカウンターに行き、「これより分かりやすい本はありませんか?」と尋ねることです。
     何冊かそうして質問していると、やさしい本の見つけ方が分かってきます。
     やさしい本を見つけるスキルは、読書生活を続ける上で、一生の財産になります。

     

    問:ほかに読みやすい本を見つける方法はありますか?


    答:まだ読書に慣れていない人たちのために書かれた本があります。子ども向けの本です。図書館なら児童書コーナーで見つけることができるでしょう。



    問:ある本が自分のレベルに合っているかどうか知る方法はありますか?


    答:簡単なやり方に「5本指テスト」というのがあります。もともとは子どもたちが本を選ぶときに使われる方法ですが、日本語の本だけでなく、外国語の本を選ぶときにも役立ちます。


    (1)読もうと思っている本を手に取り、真ん中あたりのページを開く。絵やイラストがないページがいい。
    (2)開いたところを1ページだけ最初から読む。手を握っておくのを忘れずに。
    (3)読んでいる間に知らない単語に出会う度に1本ずつ指を伸ばそう。
    (4)1ページ読み終わらないうちに、指が5本とも開いたら、そのまま手を振ってバイバイしよう。その本は君には難しすぎる。
    (5)指が1本も開かず、1ページを最後まで読み終えたら、握りこぶしをおでこにつけて考えよう。その本は、今の君にはやさしすぎるかもしれない。
    (6)(4)でも(5)でもないなら、それはまさに君のための本だ!

    あなたに最適な本を選ぶ「5本指テスト」と「ゴルディロックス・テスト」 読書猿Classic: between / beyond readers あなたに最適な本を選ぶ「5本指テスト」と「ゴルディロックス・テスト」 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加





    問:やさしい本ばかり読んでいてもダメじゃないですか?


    答:ダメじゃないです。やさしい本を読むことも、読書の経験値を積むことになります。
     それから、やさしい本は、それに満足できない場合も、次の本を読む動機付けを与えてくれます。
     やさしい本をつくるためには、やさしく解き語るだけでなく、やさしく説明できない事項を省くことも必要です。なので、やさしい本には必ず、書いてないことや、「詳しいことは他の本に譲った」というところがあります。
     そのために、やさしい本は、知的好奇心をかきててながら、しかしそれを満足させないことで、次の本へと(ときには本の外へと)誘ってくれます。



    問:本は最後まで読まなきゃいけませんか?


    答:最後まで通して読むのも一つの読み方です。しかし他にも本の読み方はたくさんあります。

     たとえば必要なところだけ拾い読みするのも、一つの読み方です。
     同じ分野の本を続けて読んでいると、どの本にも共通して書いてあることがあるのに気づきます。また同じことが書いてあることに気づくと、読み飛ばすなりして自然とその部分は足早に通り過ぎることになります。ある本にしか書いてないような独自の部分は、20%くらいじゃないでしょうか。もっと少ない5〜10%くらいしか独自の部分がないの本もたくさんあります。拾い読み(それから飛ばし読み)は、思われているよりずっと用いられるべき読書法です。



    問:本を読む時間がありません


    答:時間はあったりなかったりするものではなく、割り当てるものです。

     本を読むことを生業にしている人以外は、〈余り時間〉に読むしかありません。
     こういう場合によく引き合いに出される魏の薫遇の言葉で「書を読むは当に三余を以てすべし。冬は歳の余なり。夜は日の余なり。陰雨は時の余なり」というのがあります。一年の〈余り〉である農事が忙しくない冬、日の〈余り〉である仕事を終えた夜、時の〈余り〉である外の仕事ができない雨のとき、の3つを〈三余〉といって、そうした〈余り時間〉に本を読むべきだというのです。
     ライフスタイルによって様々でしょうが、毎日ある〈余り時間〉を読書の時間に確保することからはじめましょう。
     例えば、行きの通勤/通学、昼食中、帰りの通勤/通学、入浴中を確保すると〈四余〉になります。
     この際、余り時間のそれぞれに分野やテーマを固定して、1冊終わったらまた同じ分野/テーマの本を読み続けることにすると効果が実感しやすいです。たとえば行きの通勤通学中は毎日、他に読みたい本があっても、必ずあるテーマ(たとえば経済学)の本を読むのに予約し確保しておくのです。そしてある経済学書を読み終わったら、行きの通勤通学中にはやはり別の経済学書を読むのを続けます。



    問:難しい本を読むにはどうしたらよいですか?


    答:難しい本を読むのに1対1が厳しいなら、できるかぎりの援軍を呼びましょう。

     まず、読もうとする難しい本に関連したやさしい本(入門書や解説書など)を、できるだけ多く探しておきましょう。これらは必ず繰り返し役に立ちます。

    よし、もう一度→ムリ目な難解書を読む5つの方法 読書猿Classic: between / beyond readers よし、もう一度→ムリ目な難解書を読む5つの方法 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加


     次に、できれば一緒に読む人を見つけましょう。ちゃんとした誰かを道連れにすると挫折しにくいです。つまり読書会です。一人で考えるより複数人で考えた方が分かる可能性は高まります。また他の人に説明しようとすると、より詳しく深く読むことにもなります。

    難しい本を最後まで読むのに人間が昔からやってきたこと 読書猿Classic: between / beyond readers 難しい本を最後まで読むのに人間が昔からやってきたこと 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加


     さて、難しい本が難しい理由は、大きく分けて4つあります。(1)言葉や概念の意味が分からない、(2)前提や背景が分からない、(3)本の内容に矛盾や不整合がある、(4)本の内容と自分の考えの間に隔たり・不整合がある、の4つです。

    本を読んで分からないのは何故か?読書の4つのつまずきと克服したとき見えるもの 読書猿Classic: between / beyond readers 本を読んで分からないのは何故か?読書の4つのつまずきと克服したとき見えるもの 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

     入門書や解説書は、(1)言葉や概念の意味が分からないや(2)前提や背景が分からないことについて、ヒントや手掛りを提供してくれます。(3)本の内容に矛盾や不整合がある場合も、あらかじめ注意やアドバイスをくれるかもしれません。
     1冊ですべての問題に対処できなくても、他の入門書や解説書が役に立つことがあります。もちろん自分の頭もかなり働かせなくてはならないでしょう。
     これが本を読むということです。

     もうひとつだけ重要なアプローチがあります。やり過ごすことです。
     難しい箇所や理解し難い部分に出くわしたとして、他のどんな本を読んでも誰に聞いても、やっぱり解決しないことがあります。
     そんな場合は、その部分を飛ばして先に進みましょう。飛ばして先に進むことで、後になって解決する、ということも結構あります。
     慣れないうちは生真面目すぎて、分からないから飛ばすというのに抵抗を覚えるものですが、100%理解できる書物なんて誰にとっても存在しません。存在したとしても、それはもう、その人にとって読む価値がない書物です。
     むしろ分からない部分を残したものこそ、あなたにとって大切な書物になる可能性があります。



    問:本の内容と自分の考えの間に隔たり・不整合があるの場合は、どうしたらいいですか?


    答:a.本の方を否定するか、b.自分の考えの方を変えるか、c.そのどちらもやる、つまり自分か本かの二者選択を越えて、書物と自分の再解釈や再構成に取り組むか、いずれかです。3つめのものは、本を読む目的の中で最終的なものです。本と自分の間の埋めがたい不整合を乗り越える中から、読書から得られる最善のものがもたらされます。
     何か読むたびにガラガラと自分が変わってしまっては大変ですが、せっかく本を読んでもまったく何も変わらないというのも勿体無い話です。




    問:周りに本を読む人が居なくて、本を読んでいると馬鹿にされます


    答:逆境ですが塞翁が馬、周りに話すに足りる人が居ないのですから、読書にのめり込むには好都合です。

     「同じ書を読む人は遠くにいる」という言葉があります。
     一冊の本があなたの手元にあるということは、同じ本があなたの知らない人たちのところにも届いているということです。
     どれほど孤独な読書家も、この本を読むのは自分だけではないことを知っています。
     私が読んだものを他の誰かも読むかもしれないからこそ、書物は私だけに働きかけるのではなく、社会的にも力を持ち得えます。一冊の書物が開くこの可能性のひろがりを、ここでは読書圏(Reading Sphere)と呼びましょう
     読書圏は、同じ書物を読む人たちの間に結ばれるかもしれない潜在的な関係性、あるいは関係の可能性です。
     本を読む人ならば、〈世界を変えた書物〉のような例外はあるにせよ、この関係性は多くの場合実現せず、可能性のまま立ち消えることを体験として知っています。
     しかし可能性はゼロではありません。
     だからこそ、「最近ある本を読んだ」と言うかわりに、人は書物の題名や著者名を口にするのです。過去、現在、未来に同じ書物を誰かが読むことを、そしてそんな彼らにいつか出会えるかもしれないと期待して。
     インターネットが日常と化した現在では、同じ書物を読んだ人と出会うことは、以前よりずっと容易になりました。
     私達は、書評であれ感想であれ評論であれ批判であれつぶやきであれ、読んだ人の声を介して、書物に導かれています。存在すら知らなかった書物を教えられることもあれば、忘れるほど昔に読んだことを思い出させることもあります。
     読み終えたら、いいえ、読み始めさえしたら、そのことを言葉にしてみましょう。



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    (今回の参考図書)

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     読めるかどうか分からない書物を読むことは、読書生活の中心である。これによって読書は、読み手のレベルを引き上げるもの、単なる情報入手以上のものとなる。
     
     以下では、読めるかどうか分からない書物に挑む読書が、突き当たる壁=つまずきを4つに類型化し、それぞれについて対処法を示す。
     つまずきにはそれぞれ1から4の数字をふった。数が進むにつれて困難は増し、要求される読書のレベルも上がる。これらのつまずきを克服することは、読書レベルを向上させる契機となるはずである。
     
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    (目次)
    1.用語・語句の意味・事柄を知らない
    1a.調べる(辞典、事典、参考文献)
    1b.迂回学習(入門書、概説書)
    1c.推測する

    2.叙述の裏・言外の意味が分からない
    2a.推測する(材料収集、意味推定、整合性確認)

    3.不整合・破綻が生じているから分からない
    3a.不整合に気付く
    3b.不整合を特定する
    3c.不整合を調停(隔離、再解釈)する

    4.テキストと自分のコードシステムとが整合しない
    4a.テキストを批判する(自分をとる)
    4b.読み手側のコードシステムを改訂する(テキストをとる)
    4c.不整合を調停する(自分とテキストを調停する)






    つまずき1.用語・語句の意味・事柄を知らない
     
     書物に登場する言葉(用語・語句)や、そこで説明抜きに取り上げられる事柄を知らないために、読んでいて分からなくなる〈つまずき〉である。



    対処法1a.調べる

     言葉や事柄を知らないなら、知ればよい。第1に考えるべきは辞典(ことばについて)や事典(事柄について)を引いて調べることである。
     あまりに当然だが、いくつかの理由から、改めて注意を喚起したい。
     
     まず辞書を引いて分かることは案外(読み手の多くが想定するよりもずっと)多い。そして調べれば分かることなのに、調べないまま放置されることも多い。
     つまり辞書引きは、多くの人にとって〈不足行動〉になっている。理由は、(1)辞書引きは案外面倒くさい、こともあるが、それよりも(2)辞書を引いてもよく分からなかった、という経験の蓄積が読み手を辞書から遠ざけている。
     対策としては、(i)辞書引きのコストをできるだけ下げる(楽に辞書を引けるよう環境を整える)、(ii)成果があがるよう辞書を引く、ことである。成果を上げる方はコツを身につける必要があるが、環境を整えるのはコンピュータやネットが使えればそれほど難しくない。
     できるかぎり少ないアクションで辞書引きできるようにしておくこと。いままで2,3クリック必要だったものが1クリックでできれば、2~3倍辞書を引けることになる。少しの改善であっても、辞書引きは繰り返すものであり、長期にはこの差は大きなものになる。
     またどんなジャンルであれ、まず試みるデフォルト(初動)の探索手順をつくっておくのも、コストを下げる。最初はgoogle先生というのでも良い。

     中の人は、EPWINGで入手できた/に変換できた次の辞典・事典をEBMacとEBPocketで「串刺し検索」するのをデフォルトにしている。
     ブリタニカ小項目百科事典、日本大百科全書、世界大百科事典、ウィキペディア、岩波日本史辞典、理化学辞典、岩波=ケンブリッジ世界人名辞典、有斐閣心理学辞典、有斐閣経済辞典、広辞苑、国語大辞典、リーダーズ英和辞典、邦語文献のための参考調査便覧、物語要素事典


     辞書引きして成果が上がらないケースその1は「調べたものが辞書に載っていない」場合であり、ケースその2は「辞書に書いてあることが理解できない」場合である。ケース3は「辞書に書いてあることが間違っている」場合である。
     複数の辞書を同時に引くのは、ケース1を避ける意味もあるが(これだけならどんな辞書よりも現在では検索エンジンの方に分がある)、むしろケース2とケース3への対策である。
     辞書が間違っていることは割りとある。複数の辞書の間で記述が食い違えば、それに気付く。
     辞書の記述が理解できない場合も、複数の辞書の記述を突き合わせると理解の手がかりができる場合がある。

     もちろん辞書引きは、調べものの〈最初の一歩〉に過ぎない。これで足りなければ、さらに参考になる文献を探すことになる。調べものが本格化すれば、今読んでいる書物を超えて読む(あるいは他の文献と突き合わせながら読む)ことが始まる。



    対処法1b.迂回学習

     ひとつひとつの用語や事項についての説明を読んでもピンと来ない場合は、そもそもその分野で何がどうした訳で問題とされているのか、といったコンテキスト(背景・文脈)についての知識が欠けている場合が多い。
     同じ分からないことが出てきて読み進まないとしても、わきおこる疑問が「これは何なのか?」でなく「何故こんなものが出てくるのか?」「何故これが問題になるのか?」であるならば、急がば回れ、迂回して、その分野の入門書、概説書を読んだ方が早い。
     辞書に書いてあることが理解できないといった場合にも、入門書、概説書によって背景知識を得ることで改善する場合が少なくない。
     なれない分野の専門事典なんて素人が読んで分かるはずがない、入門書、概説書が先だろ、というのはそのとおりである。
     それでも辞書を引く方を先においたのは、リードタイムの差があるからである。辞典・事典は用意しておけば、1秒をかからず引くことができる。これらの辞書の記述は、大抵の入門書、概説書よりもずっと短く、すぐに読める。これで片がつくならば、それに越したことはないので、辞書を先に、入門書、概説書を次に置いた。



    対処法1c.やりすごす

     とはいえ、すべての不明語、未知の事項を引くことは、かなりの労苦である。
     外国語の読書の例を思い出せば分かるように、ほとんどすべての言葉を辞書で引いておこなう読書は遅々として進まず、多くの場合、挫折に終わる。なんとか読み進むことができるのは、辞書を引くにしても時々で済む場合だろう。
     
     〈分からなくてもやりすごす〉ことは、消極的ではあるが、実用的な戦略である。
     ある箇所で分からなくても、先へ読み進むと自然に分かる場合も結構あるからだ。
     もちろん不明な部分には、なんらかの印を残しておこう。
     
     我々にはもうひとつ〈調べる〉でも〈やりすごす〉でもない、分からない部分を〈推測する〉というアプローチが残っている。
     実際には、やりすごして飛ばした不明な部分は、読み進める中で、半ば無意識にであれ再検討されていく。その再検討の内実は、不明部分の意味内容を、先に読み進んで出会う部分とも整合的になるように、推測することに他ならない。
     
     しかし〈推測する読み〉については、次節の「叙述の裏・言外の意味が分からない」への対応策の中で改めて取り上げよう。




    つまずき2.叙述の裏・言外の意味が分からない

     確かに、伝達を意図する実用文は、叙述の裏・言外の意味を理解しない者にも、文字通りにしか読まない読み手にも、理解できるように書くべきである。
     しかしテキストは書いてあることだけで出来ているのではない。
     
     たとえば、ほのめかし(allusion)のような、直接書かないで間接的に示す修辞は、文学作品以外にも頻出する。
     また、そういった一切の修辞を取り除くことが仮に可能だったとしても、テキストは多くの書かれざるものを前提としている。たとえば、テキストに登場するすべての語を定義することは原理的に不可能である。定義するのに用いた言葉をまた定義することととなり、この連鎖はどこまでも遡ることになる。
     書き手は、意識し切れない無数の前提を置いて、それが読み手に了解されることを期待して、書かざるを得ない。
     書かれざるものを自ら補完しながら読むように、読み手は運命付けられている。
     
     また我々が扱っている言葉というものは、書き手が書きたいことだけを伝えるものではない。むしろそれ以上の仕事をするのが常態である。
     言葉はほとんどつねに、書き手の意図以上のものを抱き、また伝えてしまうものだ。達意の書き手はそのことに熟知するからこそ、図らずも言葉に織り込まれてしまうものを含めて何重もの意図を込めて書き(また書かずにおき)、言葉はまたそれ以上のものを抱えて運ぶ。
     読み手はただ文字の表面をなぞるだけでは十分でなく、読み解くことが必要な言葉に対峙することになる。
     


    対処法2a.推測する

     意味内容の推測は、テキストを読む間中、不断に行われている。でなければ、書いてあることを理解することができない。
     
     ここで推測することを改めて取り上げるのは、半ば無意識に行われる通常モードの推測が行き詰まり、書いてあることが分からなくなった場合を検討するためである。
     
     このつまずきに応じるには〈辞書を引く〉のようなルーティン化できる作業だけではダメで、それ以上のことが必要になる。

     ここで要求される思考の働きは、必ずしも順序だって行われるわけではないが、次のような要素から成る一連のものである。

    (1)テキストの中から手がかりやヒントとなるものを探す
    (2)テキストから得た手がかりやヒントを整理する、互いに突き合わせる
    (3)手がかりやヒントが不整合とならないような解釈仮説をつくる
    (4)その解釈仮説でもってテキストを解釈して、矛盾や不整合が生じないか、十分に意味が通るか、などを検証する。

     (1)~(4)は、実際には進み戻りながら何度も繰り返される。
     頭の中だけで行うには複雑になりすぎたら(自覚的に推測を働かせなければならないケースは大抵そうした場合だ)、(1)~(4)のステップを書き出しながら、進めるとよい。
     いつもは無意識に働かせている文章理解の思考過程を明示化できるし、その明示化は必ずレベルアップにつながる。
     
     言うまでもなく、これは時間と手間と知力が要る作業だ。
     少なからず知恵熱が出るだろう。
     しかし、歯が立たない書物を読むことは、このような読書レベルを向上させる機会を繰り返し持つことに他ならない。




    つまずき3.不整合・破綻が生じているから分からない

     つまずき2への対処で見た推測をとことん行っても、不整合がなくならない場合がある。
     読んでいるテキスト自体が不整合や破綻を抱えている場合も少なくない。
     どこかに不整合や破綻を抱える数学の証明は無価値だが(矛盾から始めれば何だって証明できるからだ)、テキストの場合は少し様子が違う。
     できるかぎり不整合や破綻が及ぶ範囲を限定し、破綻からテキストのうちできるだけ多くを救い出すよう良き読み手は努める。
     
     理解できない場合、テキストが悪いと断じるのは容易である。いつでもできる。
     しかしこのレベルにまで達している読み手は、「テキストが悪い」ことなど最初から承知で読んでいる。加えてある程度以上の規模があるテキストが、まったく不整合・破綻をはらまないことなどめったにないことも熟知している。それでもなお汲み出すべき価値あるものを蔵していると考えるから読む。


     
    対処法3a.不整合・破綻を特定する

     不整合・破綻がすぐに分かる場合もあれば(誤字や言い間違いが原因のものならそうだろう)、理解するための推測をとことん行った果てに発見される場合もある。
     誤字レベルの傷の浅いものなら、半ば無意識的に自動修正して読み進める場合が多い。
     より根が深く、影響が及ぶ範囲が広い不整合・破綻こそ、対処すべき相手となる。
     不整合・破綻があることに気付いたら、結局のところ何と何の間の不整合なのかを突き止めること。
     つまるところAとBとが矛盾している、と突き止めるのがここでのゴールである。
     このために、テキストの部分部分を、Aのサイド(Aと矛盾しないグループ)やBのサイド(Bと矛盾しないグループ)などに分割していく必要があるかもしれない。
     この振り分けの過程で、AともBとも矛盾するグループや、逆にAともBとも矛盾しないグループ(不整合を調停し得る鍵となるかもしれない)が発見されるかもしれない。
     振り分けは、このようなテキストの分析・分解を通じて行われていく。

     

    対処法3b.不整合・破綻を隔離する

     不整合・破綻をはらむテキストから汲み出すべき価値あるものを救い出すためのアプローチの一つは、不整合・破綻が及ぶ影響を限定し、影響が及ばない部分を取り出すことである。
     いわば不整合・破綻を局所的に封じ込める訳である。
     テキストの部分間の依存関係を追いかけ明示するという、込み入った作業が必要となるが、これは前段の「不整合・破綻を特定する」で行ったグループ分けの作業の延長線上にある。



    対処法3c.不整合・破綻を再解釈する

     不整合・破綻をはらむテキストから汲み出すべき価値あるものを救い出すためのアプローチのもう一つは、不整合・破綻をより高次のレベルで解消したり調停したりできる解釈を発見する、もしくは構築することである。
     これには理詰めの分析以上の(したがって徹底的な分析は前提とされる)、それを超える創造と発明が要求される。これこそ、テキストの解釈(という時に蔑まれるもの)が、未だ気づかれていなかった知の可能性を開き、創造的なものとなり得る重大な契機であり、解釈的研究がまずは目指すところでもある。




    つまずき4.テキストと自分のコードシステムとが整合しない

     つまずき3では、テキストにおける内的な不整合・破綻を取り扱ったので、ここではテキストと読み手の間の外的な不整合を取り上げる。
     テキストの書き手は、読み手とは別の者である。別の状況の中で、別の意図を抱いて、別のものを相手に書かれたテキストである以上、テキストが前提する意味体系や価値体系は、読み手と異なっていても不思議ではない。書き手にとって重要なものが、読み手にとっては重要でない。またその逆もある。

     書かれざる前提を補完しながら読むうちに、読み手は強い心理的抵抗を感じることがある。
     埋めるべきものが何であるか分かったとしても、それは読み手にとって相容れない意味体系や価値体系に基づくものである場合である。
     この時、読み手には3つの選択肢がある。すなわち(1)自分の立場を採用しテキストに引いてもらう選択、(2)自分の立場を差し控えテキストの意味体系や価値体系に従う選択、そして(3)自分とテキストの二者選択ではなく、両者の間の不整合をより高いレベルで解消したり調停する選択である。
     

     
    対処法4a.テキストを批判する(自分をとる)
     
     自分の抱える意味体系や価値体系を貫徹し、それでもって今読んでいるテキストが前提とする意味体系や価値体系を批判するのも、選択のひとつである。
     よくある(つまり生産的でない)論争は概ねこの水準で行われる。
     しかし、この水準の読書は、大学のレポートですら承認されない。
     理由の一つは、テキストとその読み手の間の非対称的関係にある。
     「撃たれる覚悟のある者だけが撃つことができる」。
     読み手はテキストを批判できるが、テキストは読み手を批判できない。相手からは殴られることはないという絶対的優位性を確保しながらの一方的批判は、どう見てもフェアではない。
     
     テキストの批判が承認されるレベルのものとなるのは、できるかぎりの理解を怠らず行ったことが示される場合だけだ。
     だからこそ「テキストを批判する」という対処法を、テキストをその不整合から救おうとする「対処法3c.不整合・破綻を再解釈する」の後ろに置いた。
     
     この段階まで進んだ読み手は、テキストに書かれていない前提を推測し、できるかぎり整合的なものとしてテキストを理解しているはずである。そうして前提となるものも、決してバラバラのデタラメな思いつきではなく、互いに整合的なひとつの体系としてまとまるもの、書き手自身がそうした体系化を果たしていなくても読み手の側でなんとか再構成することが可能なものとして、理解する。
     その上で、その体系は、読み手(わたし)の前提とは異なると言えるのである。
     つまりテキストが前提とする意味体系や価値体系を対峙することで、読み手はそれまであまり自覚していなかった自身の意味体系や価値体系を取りまとめ、できるかぎり整合的なものとして構成しなおす。
     つまりテキストの批判とそのための読書は、自己の意味体系や価値体系の自覚や反省を要請し、促すのである。
     
     
     
    対処法4b.読み手側のコードシステムを改訂する(テキストをとる)

     テキストの批判が、読み手の意味体系や価値体系の自覚や反省を要請し促すとしたら、次なる段階には、読み手の意味体系や価値体系の問い直し、そして組替えや改訂が待っている。
     これは読んだものから読み手が影響を受けるといった受動的な出来事ではない。
     テキストが前提している意味体系や価値体系は、必ずしも明示されていない。むしろ読み手が掘り起こし、整合的なものとして構成しなおすという積極的な働きかけによって明らかになるものである。
     同じことが読み手の抱える意味体系や価値体系についても言える。読み手自身の意味体系や価値体系もまた、必ずしも明示されていない。つまり読み手とっても必ずしも自覚されてはいない。テキストを読み込み、テキストが抱える意味体系や価値体系を浮かび上がらせる働きかけを通して、それと異なるものとして読み手の意味体系や価値体系の存在が自覚される。
     さらにテキストに対して行ったのと同じように、読み手自身の意味体系や価値体系もまた、掘り起こされ、整合的なものとして構成しなおされる。
     もっとも、テキストは読み終えられ、読み返すことができるが、自己はそれ以上のものである。読み手の意味体系や価値体系については、一回でで全面的な組替えが起こるわけでも、全面的に明示化される訳でもない。
     しかし部分的にであれ、自身の前提を掘り起こし省察することは、読書がもたらすもののうちでも最も重要な体験のひとつである。



    対処法4c.テキストと自分の不整合を調停する

     部分的であれ、積極的に自己を省み再構築する試みは、より深いテキストの理解を可能とする。
     この延長線上に、自分とテキストの二者選択を超えた、両者の組替えを伴う、調停の契機が生じる。
     対立し合うものの間に生じる不整合を乗り越えるには、より高い次元からの再解釈や再構成が必要となる。
     テキストの内的不整合を調停する企てがテキストの解釈に高い創造性をもたらすことがあるように、テキストとの間の埋めがたい不整合を読み手が乗り越えようとする試みこそ、読書が行き至る自己陶冶の高みである。
     
     
    (参考文献)
    ・池田 久美子(2001)「学生は何が分からないか : 分からなさの型」『信州豊南短期大学紀要』 18, pp.105-122.



     
     

     先の記事、
    文庫でここまで読める、フランス現代思想の90冊 読書猿Classic: between / beyond readers 文庫でここまで読める、フランス現代思想の90冊 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加
    のはてブコメントに「1冊1分で読む方法を」というのがあったので、少なくない人にとってはほぼ常識に属する話だろうけれど、当たり前の話ほど〈外の人〉には分かりにくいという話もあるから、どんな本でも決めた時間で(30分間なら30分間で)読む方法について少し書く。
     

     どんな本でも30分間で読める理由は、ほとんどトートロジーに近い。
     タイムド・リーディングなどと呼ばれたりするが、方法はシンプルこの上ない。
     

     1冊にかける時間を(30分間なら30分間に)決めて、その時間内に読んでしまう。
     読めない場合も、そこで(30分間なら30分間で)本を閉じる。
     読み残しがあっても、心残りがあっても、(少なくともその日は)決してその本を開かない。
     

     これだけ。

     ひとつだけ付け加えるなら、決めた時間の範囲内で、できるだけ満足度が高くなるように、たとえばどこをどれくらい時間を配分するか考えて読む。
     慣れないうちは最初の5分間ほどを、時間配分や読む箇所や読む順序を考える作戦タイムとするといい。
     
     すぐ分かるように、これは技術と呼ぶべきものではない。
     むしろ習慣とするもので、1冊にかける時間は毎日、最初に決めたのと同じ時間(30分間なら30分間)にする。
     もちろん、このワーク以外の読書はいつものように好きにしていい。
     
     当然のことながら、

    ・1冊10分で読める本を/読める人が、30分かけることにしても仕方がない。
    ・小説のような、シーケンシャル(最初から順番)に読むことを予定/期待するものには向かない。
    ・目次が充実した本は、読む箇所や読む順序を考える作戦が立てやすい

     
     理想的なのは、通勤/通学の交通機関の内で、ある駅からある駅までに1冊読む、という風に、始まりと終わりの時間が外的に決定されるようなスケジュールを組むことである。


     このワークの効用としては、

    ・読書についての集中力が増す
    ・読書モードのスイッチのオン・オフができるようになる
    ・要点のつかみ方、探し方が上達する
    ・読書の実効速度が一目瞭然に分かる
    ・日々、読書の上達が自覚できる(速度も内容把握度も)
     (呼んだページ数と満足度を記録すると良い)
    ・読書の計画が立つようになる
    ・読まなくていい箇所や読まなくて良い本の判断がつくようになる
    ・読める冊数が増える
    ・「これは30分ワークで読むのに回そう」と考えるようになる