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     以前、手紙の書き方についてリクエストがあったので書く。
     
     「大人の手紙」について、「昔からこうなっているのだから守っておればいいのだ」といった礼儀作法的なお小言を繰り返すのではなく、何を目的にしてどのように構造化されているかについて説明を行う。
     理解したからすぐに手紙が書ける訳ではないのは、英文法を学んでもすぐに英会話ができないのと同じである。
     しかし、英文法を学んでない人の英語力がやがて頭打ちするように、「大人の手紙」の構造を理解しない人まま墨守していては形骸化が避けられない。
     何より意味を理解したものは応用が効く。例文集を使うにしても、要素ごと分解・再統合ができ、相手や状況に合わせたアレンジも可能になる。
     また、意味を理解した方が、意味が分からぬものよりもずっと、記憶に残りやすい。
     
     
    pen.jpg
     
     「大人の手紙」は大きく分けて3+1個の領域からなる。
     
    ・head領域
    ・body領域
    ・foot領域

    ・annex領域



     それぞれの領域は次のような役割を担う。

    (1)head領域
     言葉の元々の意味でプロトコル(外交儀礼)を担う部分。
     この手紙の儀礼的要素がここに格納される。
     これにより相手の社会関係ポートが開く。
     儀礼の交換を通じて仲間か否かを確かめるのは、群れ(社会)をつくる猿としての仕様である。

    (参考記事)
    あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇 読書猿Classic: between / beyond readers あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

    (2)body領域
     いわゆる主文(コンテンツ)部分。
     この手紙で伝達したい情報はここに格納される。

    (3)foot領域
     この手紙のコンテクスト情報を格納する部分。
     電子メールならヘッダ情報に含まれるような、日付、差出人、宛名の情報はここに格納される。

    (4)annex領域
     いわゆる追伸が格納される。



    それぞれの領域は、以下の要素(フィールド)を格納する。
    次の表に、例文と対応付けて要素を示す。


    領域要素例文
    head領域

    儀礼的要素
    頭語拝啓
    時候の挨拶暦のうえでは春とはいえ、まだ寒い毎日です。
    安否の挨拶(相手)その後、いかがおすごしですか。
    安否の挨拶(自分)当方は皆至って元気ですので、ご放念ください。
    お礼/お詫び先日はまたお世話になり、感謝いたします。
    body領域

    コンテンツ要素
    起語さて、
    本文 先日ちょっとお話した、わたくしの転職の件ですが、おかげさまで就職先が決まりましたので、お知らせ申し上げます。
     友人の知人が経営する小さな旅行会社ですが、経営状態はよく、給与その他待遇にも不満はありません。わたくしの営業のキャリアも十分生かせそうなので、楽しみにしております。
     いろいろご心配をおかけしましたが、一応落ち着き先が決まり、妻も安心しております。
     ありがとうございました。
    終結の挨拶 略儀ながら書中にて、お知らせかたがたお礼申し上げます。
    結語敬具
    foot領域

    コンテクスト要素
    日付  三月十日
    署名○○ 良夫
    宛名+敬称読書 太郎 様
    脇付     机下
    annex領域

    追加要素
    副文追伸 佐藤さんにはこの件、まだお伝えしていません。わたくしから直接お知らせしますので、今はまだ伏せておいてください。





    1.head領域(儀礼的要素)

     手紙の儀礼交換の機能を担う部分。
     社会関係の構築・維持・再生産の観点からは、メッセージの内容よりも、したがってメッセージ伝達を担うbody領域よりも重要である。
     一見フォーマット化、テンプレート化が効きそうなのだが、相手との関係や状況・手紙のメッセージ内容などによって様々な分岐があり得る。
     たとえばお礼や見舞いの手紙では、head領域をごっそり省略して(というのが儀礼なのだ)、いきなりbody領域からはじめたりする。
     ビギナーは硬直した定型文で済まそうとし、中上級者は自由闊達なフレーズを繰り出しながらも決めてくる。
     そのため経験値によってつく差が大きい。というか
     また手紙を書くのが苦手な人は、この部分について苦手意識を持っていることが多い。


    頭語(冒頭後、起筆、起首ともいう)
     手紙文全体のはじまりを示す。
     「拝啓」「謹啓」など。
     親しき相手への手紙では「前略」として省くことがある。
     
    時候の挨拶
     暑さ、寒さなど四季それぞれの気候をおり込んだ挨拶。
     「降雪の候」「寒さ厳しき折柄」「水道のじゃ口も凍る寒さ」など。
     
     head領域の中核であり、固めの定例文で済ますこともできるが、相手・状況に応じて自分の言葉を織り込めると中級者である。
     上級者の事例としては、今朝降った雪に一言も触れてない手紙をよこした吉田兼好が、何と風流の無い奴だとなじられる(兼好なら触れてくれるだろうという期待の裏返し)エピソードが『徒然草』に出てくる。
     I LOVE YOU.を「私はあなたを愛しています」と訳した学生をそんな日本語はないと叱り、では何の訳すのかと反問された漱石が「月がきれいですね」とでも訳しとけと答えたフォークロアがある。
     一見訳が分からないかもしれないが、感情が動いたとき風景描写をはじめるのは日本文学が始まって以来の伝統である(この伝統は、恋愛感情を告白するのに、わざわざ夜景を見に行く人たちの中にも脈々と流れている)。先の『徒然草』のエピソードも、時候の挨拶も、この伝統に照らして理解すべきである。

     なお、お礼、弔いの手紙では省く。
     

    安否の挨拶(相手)
     「ますますご健勝のこととお喜び申し上げます」「皆様お元気ですか」など。


    安否の挨拶(自分)
     親しくない相手には書かない。
     病気のとき、無事でない時には書かない。

    お礼/お詫び
     お礼/お詫び目的の手紙の場合は、本文に含まれる。
     

    2.body領域(コンテンツ要素)

     手紙のメッセージ伝達を担う部分。

    起語
     body領域のはじまりを示す。
     「さて」「ところで」など。
     
    本文

    終結の挨拶
     
     「略儀ながら書中にて、お知らせかたがたお礼申し上げます。」「とり急ぎお知らせまで」「ではお元気で」など。
     
     
    結語
     body領域のおしまいを示す。
     頭語と対応するもので、head領域とbody領域が、手紙の本体部分であることを示している。
     「拝啓」に対して「敬具」、「謹啓」に対して「謹言」など



    3.foot領域(コンテクスト要素)

     この手紙が、何時、誰から誰宛に書かれたものかを示す部分。
     メッセージ本体ではないが、この部分を欠いた手紙は、後日読み返そうとした時に用をなさない。つまり文書 Documentとは言えない、ただ文字が並んだ紙でしかなくなる。
     
     手紙は使い捨ての情報伝達手段ではない。
     手渡すことで個人を越える、社会的記憶の一つのあり方である。
     つまりfoot領域に格納されるコンテクスト要素は、手紙が手紙であるための必要条件である。
     
    日付
     年月日を書くのが正式だが、月と日だけのことが多い。
     
    署名

    宛名+敬称

    脇付
     手紙文全体のおしまいを示す。
     「机下」「侍史」など。
     御中/各位宛、ビジネス、お悔やみなど凶事の手紙には書かない。


    4.annex領域(追加要素)

    副文
     追記の文。
     「追伸」を導入にして始める。
     手書きの時代には、書き忘れた事項を本文内に挿入するためには全体を書き直す必要があったので、その便宜として用いられた。
     このため、目上への手紙には追伸は用いず、最初から書き直す。
     また本来の意味では、書き直し自在な電子メールで追伸はありえない。




    (参考文献)
    以下の文献を、例文、解説ともに参考にした。


    完全 手紙書き方事典―そのまま使える文例617 (講談社プラスアルファ文庫)完全 手紙書き方事典―そのまま使える文例617 (講談社プラスアルファ文庫)
    (1994/11)
    中川 越

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    「ジャーナリスト系の論者には、とりわけ短文信仰が強い。」(斉藤美奈子『文章読本さん江』p.64)

    「新聞記者の短文信仰には理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくいのだ。」(斉藤美奈子『文章読本さん江』p.65)



     確かに新聞記者出身者が書く文章表現本には、記者時代のトレーニングを引き合いに出して短文を強く勧める傾向がある。
     とはいえ先の記事
    「文は短く」は俗説か?ー〈短文信仰〉を屠り、短文のレトリックと長文のロジックを取り戻すために 読書猿Classic: between / beyond readers 「文は短く」は俗説か?ー〈短文信仰〉を屠り、短文のレトリックと長文のロジックを取り戻すために 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加
    で引いた中では、中村明と安本美典は学者だし、一行十一字詰め印刷を常に意識しなければならない訳ではない。

     それに、斉藤の引用を読む限り、新聞記事の一文が短いのは既成事実のようだが、果たして本当にそうなのだろうか?
     
     以下はまったく網羅的でない文献調査を行い、たまたま入手できた論文・書籍等からデータの孫引きしてつくったグラフなのだが(赤色が新聞記事、青色が他の文章のセンテンスの長さ)

    1sen-length+.jpg
    (出所)
    ・石田栄美, 安形輝, 野末道子, 久野高志, 池内淳, 上田修一(2004) 「文体からみた学術的文献の特徴分析」『三田図書館・情報学会2004年度研究大会』.
    ・前川守(1995)『1000 万人のコンピュータ科学 3 文学編 文章を科学する』 岩波書店.
    ・森由紀(1998)「専門分野の日本語:社会科学系資料の分析をもとに」『第11回日本語教育連絡会議発表論文集』
    ・鈴木正道(2010)「日本の新聞の1面コラム」『言語と文化』 (7) 43-58.
    ・星川法子(2005)「形態素解析による若い作家の小説の特徴の研究」園田学園女子大学卒論.



     新聞記事のセンテンスの長さは、研究によって大きな違いがある。
     という以外には、新聞記事のセンテンスは必ずしも短いとはいえない(新聞記事に対して1センテンスの長さではっきり勝っているといえるのは判決文と谷崎潤一郎だけである)程度のことが言えるだけである。

     比較しやすいように、長い順に並び替えたグラフが以下。

    1sen-sorted_length.jpg
     



     谷崎は、日本文学の中でも破格に長い文章を書くと知られる作家である。
     会話を含む小説では、太宰治『人間失格』の平均60字だって相当に長いのだが、『細雪』の平均170字なんて異常の域である。
     判決文は、新聞記者とは逆に、「裁判官・検察官・弁護士といった法曹界の人材を養成する司法研修所では、一文を5行程度は続けるよう指導されている」というフォークロアがあることを森(1998)が触れているほどで、200字以上の長いセンテンスが頻出する、ジャンル別ではおそらく最も長い日本語のひとつといっていいと思う。
     
     他方、新聞記事の中でも短文が多い印象があるコラムを比較したものを見れば(鈴木正道、2010)、毎日新聞「余録」51.2字から朝日新聞「天声人語」28.8字までかなりの幅がある。
     中でも朝日新聞「天声人語」は特に短いのであり、これをもって新聞記事の典型とみなすのはちょっと乱暴だと言わざるを得ない。
     
     
     今回は、黒田圭『よくわかる文章表現の技術』がデータをあげて議論するというスタンスだったのと、斉藤美奈子『文章読本さん江』を読み返して、ずいぶん強く言い切ってたなと感じたことがあって、本当はどうなの?とセンテンスの長さを調べてみる気になった。


    よくわかる文章表現の技術〈1〉表現・表記編 (新版)よくわかる文章表現の技術〈1〉表現・表記編 (新版)
    (2009/11)
    石黒 圭

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    文章読本さん江 (ちくま文庫)文章読本さん江 (ちくま文庫)
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    斎藤 美奈子

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     教訓は「何事も調べてみないと分からない」というしまらない(けれど大切ではある)ものだけれど、最後にグラフをもうひとつ。
     
    asahi-length.jpg
    (出典)野元菊雄(1978)「話しことばに近づく新聞文章」大石初太郎他『ことばの昭和史』(朝日新聞社)収録。
     
     これによれば、新聞記事のセンテンスの長さに変化が生じたのは比較的新しい。
     太平洋戦争を挟んで前後でほとんど変化なかったのが、1960年代以降になって短いセンテンスへの変化が生じている。
     

     
    ことばの昭和史 (1978年) (朝日選書)ことばの昭和史 (1978年) (朝日選書)
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    大石 初太郎

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     日本語の作文教育から文章読本に至るまで、〈短文信仰〉とでも言うべきものがある。
     文章表現を主題とする書籍の多くが「文は短く」と主張する。
     
     「われわれ新聞記者は、だから、入社以来、先輩たちから、文章はできるだけ短く書くように、といわれつづけてきた。短く書こうとすると、主語と述語が近づき、事実がはっきりしてくる。込み入った因果関係のある事件などの場合には、とくにこの心構えが大切である。」(猪狩章『イカリさんの文章教室』)

     「短く、短く、短く。/とにかくそれを絶えず念頭に置いてほしい。そして、短い一文に、全力を傾けていくことである。/ひとつの文に、あいまいさを残さぬことである。/文章を短くすることによって、意味のつながりを明瞭にすることができる。」(馬場博治『読ませる文章の書き方』)

     「平明な文章を志す場合は、より長い文章よりも、より短い文を心がけたほうがいい。/私は、新聞の短評を書いていたころ、文の長さの目安を平均で三十字から三十五字というところに置いていました。」(辰濃和男『文章の書き方』 (岩波新書)

     「読みやすい文章をめざすには短めに切ることを心がけたい。平均30字以内になるように文を切っていけば、文の長さの点ではかなりやさしい文章になるはずだ。平均で40字くらいまでは読みにくくなる心配はあまりないだろう。」(中村明『名文作法』)

     「一センテンスの長さは、40〜50字以内になるようにつとめるべきである。とくに、文章の書きだしのセンテンスは、力が入りすぎて、長いセンテンスになることが多いので、注意して短くする。」(安本美典『説得の文章術』)

     
     
     「簡単に短い文がいいと断定するのは容易である。しかし、大切なのは、短い文と長い文の特徴を十分理解し、それを使い分けることである」(北原保雄(1977)「構文とレトリック」『現代作文講座5 作文の技術』)と、当たり前の留保をつけるものすら、ほとんどない。
     あとは斎藤美奈子『文章読本さん江』が、先の短文を勧める引用を並べたてた後で「抑圧的」と一蹴し、「新語は禁じ手、紋切り型も御法度、ひたすら短くわかりやすく書く。じつに正しい。そして正しいだけである。正しさを貫いた結果は、朝の新聞受けの中にある。彼らのいいつけを守っていたら、文章はなべて新聞レベルの正しく退屈なものになる」と薪を背負わせて火をつけているくらいのものである。
     
     
     しかし「短い=わかりやすい」という妄言は、もう少し丁寧に壊しておく必要がある。
     
     当然のことながら、短い文にも長い文にも、それぞれに得手不得手がある。
     
     「文は短く」と断ずるだけでは、短い文と長い文の特徴を理解する機会が失われる。
     もう少し突っ込んでいえば、〈短文信仰〉は、一方では短い文のレトリカルな側面を隠蔽し、一方では複数の述語を持つ長い文が担うロジカルな機能への注意を阻害する。
     
     短い文章は、伝達の正確さや分かりやすさを追求するという理由からではなく、修辞的な理由で選択されることも多い。
     そして、単純でないことを、正確かつ分かりやすく書こうとすれば、それに応じた複雑さや長さを備えた文が必要になる。
     
     
     先に紹介した石黒圭『よくわかる文章表現の技術』(全5巻)の第1巻「表現・表記編」には、「文の長さとよみやすさ」を扱った章(第11講)がある。


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     これを参考に、あまり光が当てられることがない〈長い文が得意なこと〉を中心に、文の長さについて考えてみたい。
     
     
    気が短い人のための要約 
     
    *長いセンテンスが得意なこと

    1.述語に軽重をつける
    2.情報を階層付けする
    3.表現を束ね、節約する
    4.継続性を強調する


    *短いセンテンスが得意なこと
    1.述語間の関係を明示化しなくてすむ
    2.センテンスの構造を単純化する
    3.情報を後出しし目立たせる
    4.センテンスにリズムをつける




    長いセンテンスが得意なこと

    1.述語に軽重をつける

     ひとつだけしか述語を含まない単純なセンテンスをつなぐと、複数の述語を含むセンテンスができる。
     
     「おなかが空いた。ご飯を食べた。」・・・(1)
     「おなかが空いたので、ご飯を食べた。」・・・(2)


     複数の述語を含むセンテンスでは、述語の間に軽重がある。
     日本語は文末決定性の強い言語なので、文末に来た方の述語が主たる述語になる。
     例文(2)でいうと、「食べた」の方が主たる述語である。
     
     つまり複数のセンテンスを一つのセンテンスにまとめることで、(複数の文に含まれていた)複数の述語のうち、特定のものに焦点を当て、目立たせることができる。
     
     このことが文章表現にどんな影響を与えるか、分かりやすいように極端な例で占めそう。
     
     
     日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化する。
     民主主義の諸原則を擁護することを希望する。
     両国の間の一層緊密な経済的協力を促進する。
     それぞれの国における経済的安定を希望する。
     平和のうちに生きようとする願望を再確認する。
     両国が集団的自衛権を有していることを確認する。
     両国が国際平和に共通の関心を有することを考慮する。
     安全保障条約を締結することを決意する。
     よって次のとおり協定する。・・・(3)
     
     
     例文(3)は、有名な悪文である、日米安全保障条約前文を短文化して作ったものである。
     9つのセンテンスからなり、それぞれのセンテンスはひとつの述語を含む。
     つまり9つの述語が登場するが、ただ並列され、そのうちのどれが重要なのか分かりにくい。
     主語である「日本国及びアメリカ合衆国」は結局何をするのか、したいのか、全くはっきりしない。
     
     次の例文(4)は、(3)を元にセンテンスをつなげ、4つのセンテンスにまとめたものである。

     日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化し、民主主義の諸原則を擁護することを希望する。
     両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、それぞれの国における経済的安定を希望する。
     両国が集団的自衛権を有していることを確認し、国際平和に共通の関心を有することを考慮する。
     よって安全保障条約を締結することを決意し、次のとおり協定する。・・・(4)
     
     
     センテンスをつなげることで長文化したが、数多い述語に軽重つけられ、主たる述語は4つ「希望する」「希望する」「考慮する」「協定する」に減った。

     構成要素の数が減れば、組み合わせの数は大きく減じる。
     主たる述語の数が減ると、文章の構造もシンプルなものになる。

     (4)の場合だと、主たる述語は4つに減らしたことで、
     
    fig1.jpg
      
    という述語間の関係がつかみやすくなっている。

     

    2.情報を階層付けする

     センテンスをつなげることには、他の機能もある。
     
     センテンスをつなげまとめることで、元の複数のセンテンスが伝える情報が同じ階層(レベル)にあることを示すことができる。
     
     例えば先の例文(4)の最初のセンテンス、
     
    「日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化し、民主主義の諸原則を擁護することを希望する。」・・・(5)

    fig2.jpg


    を例にすると、「両国間の友好関係を強化する」と「民主主義の諸原則を擁護する」を同じセンテンスに取り込むことで、ふたつが同レベルの階層にあることを示している。




     もう少し単純な例で示すと
     
    「このコンビニは11時にしまる。深夜の売上げは低い。周囲の治安は悪い。」・・・(6)

     では3つの文はただ並列しているだけが、内容からすれば後ろの2つのセンテンスはともに第1センテンスの理由を示している。

     であれば、共に理由を表す第2センテンスと第3センテンスは束ねた方が、ふたつが同レベルの階層にあることが分かりやすい。
     また3つのセンテンスの役割分担と、それぞれの間の論理的関係もはっきりする。
     つまり同じ階層(レベル)にあるセンテンスをまとめることで、前後のセンテンスとの間にある階層性を示すことができる。

    fig3.jpg

     
    「このコンビニは11時にしまる。なんとなれば、深夜の売上げは低いし、周囲の治安は悪い。」・・・(7)

     いくつかのセンテンスをまとめたうえで接続詞をつけることは、接続詞が影響を及ぼす範囲(スコープ)をコントロールすることでもある。
     
     


    3.表現を束ね、節約する

     複数のセンテンスを一つのセンテンスにまとめることで、重複した表現を省くことができる。
     つまりセンテンスの長さは長くなるが、冗長さを減らすことができる。
     当たり前の話だが、〈短文=シンプル〉に拘泥していると、見過ごされやすい論点でもある。
     
     「朝は家で昨日の残り物を食べた。昼は近所のレストランでランチを食べた。」・・・(8)
     
     「朝は家で昨日の残り物を、昼は近所のレストランでランチを食べた。」・・・(9)



    4.継続性を強調する

     訳あって後述する。


    短いセンテンスが得意なこと

    1.述語間の関係を明示化しなくてすむ

     訳あって後述する。
     

    2.センテンスの構造を単純化する

     長いセンテンスは複雑な構造を持つことができる。
     逆に、センテンスを短くすることは、センテンスの構造の単純化につながる。
     
     たとえばひとつのセンテンスに含まれる述語の数が4つ、5つ・・・と増えていくと、どの述語同士の結びつきが強く、どの結びつきが弱いか、瞬時に判断することが難しくなっていく。
     
      しかしセンテンスの構造を整理して、読みやすくすることはできる。
     
     「マイナーな競技の場合、オリンピックでメダルを取れば取材が殺到するが、メダルを取らなければ見向きもされない。」・・・(9)
     
     例文(9)は

     「〜であれば〜だが、
      〜であれば〜だ」

     と、〈〜であれば〜だ〉という形式を平行して用いることで、述語を4つ使いながらも、述語の間の関係は明確である。
     
     
    3.情報を後出しし目立たせる

     訳あって後述する。
     

    4.文にリズムをつける

     訳あって後述する。




    正確さと分かりやすさを越えて


     後回しにしたものをまとめて扱おう。

     先ほどいくつかの項目を後回しにしたのは、それらが内容を伝達することにだけ関わるものではないからだ。
     ちょっと真顔で言いづらいが、それらは表現に関わることだと大くくりすることができる。
      
     以下の項目は、主として文章の調子や綾に関わるものである。もちろん内容の伝達と表現は、はっきりここからここまでと分離できるものではない。
     文章表現本の中には、まず正確に分かりやすく伝えることに注力すべきで、文章のスタイルを気にするなんぞ色気づくのは100年早い!とでも言いたそうなものが散見する。
     しかし読書心理学的には、読み手の意欲は読解力を左右する重要なファクターだから、読みたくなるように書くことは、結果的として、よりよく伝えることに貢献している。
     何かを伝えようとすれば、無自覚であれ、否応なく何らかのスタイルを採用しているのである。
     
     わざわざ節を区切った理由は、〈短文信仰〉が、飾らない文章が一番であるという〈非文飾信仰〉と通じている節があるからである。
     しかし、短いセンテンスが得意なことは、以下に見るように、むしろ修辞・表現面に多い。
     
     

    長いセンテンスが得意なこと(修辞表現篇)

    4.継続性を強調する

     センテンスを切ることは、そこで文章の流れに小さな切れ目を入れることである。
     逆に一連の出来事を一続きのものとして表現したい場合には、一つのセンテンスにまとめることは有効である。
     
     「自動販売機のまえに100円玉が落ちていた。僕はそれを見つけた。そして周りを見た。誰も居ないことを確認した。落ちていた100円玉を拾った。それをポケットに入れた。」・・・(10)
     
     「自動販売機のまえに100円玉が落ちているのを見つけた僕は、周りを見て、誰も居ないことを確認し、100円玉を拾って、ポケットに入れた。」・・・(11)
     
     
     

     
    短いセンテンスが得意なこと(修辞表現篇)


    1.述語間の関係を明示化しなくてすむ

     言葉を伝達手段としてのみ考えると、このことは長所とは言えないが、予防線は引いておいたから、気にせず進む。
     
     複数のセンテンスをつなげ一つのセンテンスにまとめる場合には、接続助詞などを用いなければセンテンスとして成り立たず、それぞれの関係は否応なく示されることになる。
     複数のセンテンスに分けた場合には、接続詞を使って関係を明示することもできれば、接続詞を使わずに関係を明示せずに済ませることもできる。
     よくいえば、センテンス同士の関係について、その解釈の可能性を開くというか、読者に委ねるというか丸投げするというか、曖昧にしたまま済ませるというか、段々ひどくなってきたが、そういうことができる。
     
     実際のところどうなのかといえば、日本語の場合、接続詞をつけられたセンテンスは、全体の1割=10%程度である。9割の文は、接続詞がないままに並べられているわけだ。
     多くは接続詞なしでも誤解が生じる可能性が少ない(だから接続詞は必要ない)からだが、不必要以外の理由もある。
     一歩ごとに道しるべがある道がかえって歩きにくく、また歩いても楽しくないように、あらゆるセンテンスに接続詞をつけた文章は、ぎくしゃくして読みづらい。
     また接続詞は、センテンスとセンテンスとの論理的関係を示すだけでなく、強調したいところを目立たせたり、また言葉の調子を整えたりリズムをつけたりするのにも用いられる。
     そうした文の綾としての接続詞が効果を発揮するためには、接続詞の使用を極力ひかえて、ここぞというところでのみ使った方がいい。
     
     

    3.情報を後出しして目立たせる


     「昨日夜更かししたから、試験中、頭が働かなかった。」・・・(12)
     
     「試験中、思うように頭が働かなかった。昨日夜更かししたのだ。」・・・(13)

     「先日、夏目漱石の『こころ』という作品を読んだ。」・・・(14)
     
     「先日、とても心に残る作品を読んだ。夏目漱石の『心』という作品だ。」・・・(15)
     


     先日書いた謎解き文が、まさにこれに当たる。

    読む者を新しい知識に導きその心を惹きつけてやまない謎解き文のテンプレート 読書猿Classic: between / beyond readers 読む者を新しい知識に導きその心を惹きつけてやまない謎解き文のテンプレート 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

     謎解き文をつくる手順ををもう一度説明すると、

    (1)文章の一部を取り出し
    (2)後ろに回して
    (3)元あったところに別の語句を挿入する

    となる。

     新たな文章を挿入するステップ3があるので、全体として文章が伸びているが、そのステップを省くと、元のセンテンスは切り分けられ、一つ一つのセンテンスは短くなっている。

     謎解き文は、情報を提示する順番を変えているだけではなく、前段ではむしろ情報の不足を提示している。
     情報の不足を提示することで、読み手を引き付けようとする演出、文の綾なのだ。
     情報伝達という点では、短くなったから分かりやすくなったとは言えない。
     
     しかし、先に触れたように、読み手を引き付けることは、結果として、情報の伝達に寄与する。誰も読みたがらないものは、何も伝えないからだ。
     さらにひとつ、情報を小出しにすることは、人間の限りあるある認知資源からすれば、必ずしも非難されるべきことではない。
     一度にたくさんの情報や複雑な全体を提示されても、処理しきれないかもしれない。知的好奇心は無限でも、知性の口はおちょぼ口である。
     とはいえ、ただ少量ずつ手渡せばよいというものでもない。読み手を退屈に陥らせず引き付けることができるなら、長い時間かけて、最終的には大量の情報を伝達することができる。
     
     

    4.文にリズムをつける

     「山路を登りながら考えた。
     智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」・・・(16)


     あまり解説する必要を感じないけれど、短いセンテンスを使う、もっともよくある用途がこれである。

     ヘミングウェイはあんなふうに書くのは、関係代名詞を知らないからではない。