2013.12.29
これは勉強のやり方が分からなくて困っている人のために書いた文章です(増補しました)
これは勉強のやり方が分からなくて困っている人のために書いた文章です。
勉強にはいろいろなやり方があるけれど、いろんなことをいっぺんに書いてしまうと読むのがたいへんなので、かんたんなものだけを選んで書きました。
ひとつのやり方が分かれば、他のやり方をさがしたり工夫したりできるようになると思います。
時間がない人のためのまとめ
覚えよう
覚えることで注意力を理解することに回せる
覚えなおそう
忘れることに打ち勝つには記憶の定期メンテナンス
声を出して読もう
これだけで効率10%アップ
書き写そう
書き写しのスピードは実力のバロメータ
思い出そう
思い出す価値がある情報だと脳に教える
理解することを理解しよう
知ってることの結びつきを図に描く
くり返そう
飽きるのは人間の仕様だから、違う刺激を使う
解き直そう
自分がたった今解いたばかりの問題は最高の教材
勉強日誌をつけよう
記録をとり、読み返すと、やる気が出る
自分をほめよう
自力で飛べるようになるために絶対に必要
「わからない」と付き合おう
逃げると嫌悪感はよけいに大きくなる
覚えよう
覚えることをバカにする人がいます。
丸暗記なんて意味がないと悪口をいう人もいます。
覚えるなんて、テストでしか意味がない、というのです。
理解することが大事で、覚えることは大事じゃない、という人もいます。
こんなにコンピュータが身近になったのだから、人間が覚えておかなくても構わないのだ、という人までいます。
ちがいます。
覚えることは、勉強のゴールではないけれども、大切な第一歩です。
覚えているだけでは知っているとはいえませんが、知っている人はかならず覚えています。
理解しても覚えてないようでは、理解したつもりになっているだけです。
覚えるとは、何も見なくても、すぐにその知識を使える状態にしておくことです。
新しいことを学ぶには、それまでに学んだことを使わないといけません。
難しいことほど、それまでに学んだことを使いこなさないと理解できません。
「難しいから分からない」という人は、それまでに学んだやさしいことを、覚えていないことが多いのです。
覚えておくと楽できます。
その分を、新しい難しいことを理解するのに回すことができます。
人間の注意力は有限です。一度にたくさんのものに注意を向けることはできません。
限りある注意力をむだづかいせず、うまくつかうには覚えることが必要です。
(参考)(保存版)覚え方大全/自分で選ぶための53種の記憶法カタログ 読書猿Classic: between / beyond readers

(参考)復習のタイミングを変えるだけで記憶の定着度は4倍になる 読書猿Classic: between / beyond readers

(参考)15秒で訓練なしにできる記憶力を倍増させる方法 読書猿Classic: between / beyond readers

覚えなおそう(増補)
しかし「自分は覚えられない。だから勉強ができない」と悲しむ人も多いです。
でも、これだけは覚えておきましょう。
忘れるのは人間の仕様です。
どんな特別な方法も、いくらか忘れにくく、また思い出しやすくするだけで、人間の忘れるという能力に打ち勝つことはできません。
しかし完全に覚える/完全に忘れるの、2つに1つしかない、というのも間違いです。
覚えられないとこぼす人はよく、昨日やったことも思い出せないと言います。
一体どうすれば、いいのでしょう?
答えは1つしかありません。
もう一度、覚え直すのです。
それではいくら経っても少しも進めないのでは?
いいえ、覚え直しながらも、先に進むのです。
たとえば学習時間の30〜40%は覚え直しに使います。
35分を1セットにした35ミニッツ・モジュールでは、35分間を以下のように使うやり方です。
0~20分……新しいことを覚える
21~24分……記憶が定着のための一休み
24~26分……1日前に覚えたことを復習する
26~28分……1週間前に覚えたことを復習する
28~30分……1ヶ月前に覚えたことを復習する
30~35分……今日覚えたことを復習する
いつ勉強したか記録しておかないと「1ヶ月前に覚えたことってなんだっけ?」「どこにやったっけ?」ということになります。
結構めんどくさい「何をいつ復習すればいいか」という復習のタイミングを最適にマネジメントしてくれるパソコンやスマホで使えるソフトがあります。
たとえば暗記ソフトのAnki(http://ankisrs.net/)は、Windows、Mac osx Linux、FreeBSD、それにiPhone、ノキアのMaemo(マエモ)、Androidで動くソフトがあり、他にオンライン版も(http://ankiweb.net/account/login)使えます。
Ankiについては、次の記事がもう少し詳しく説明しています。
決して後退しない学習ーAnkiを使うとどうして一生忘れないのか? 読書猿Classic: between / beyond readers

覚えられないという人を見ていると、復習をあまりしません。
復習というと、先に進めないみたいでで嫌らしいのです。
しかし始めて覚えるのと、復習で覚えるのでは、かかる労力も時間もかなり違います。
軽減された労力、短縮された時間こそが、あなたが昨日学習したことの意義であり価値なのです。
昨日覚えたはずのことを今日スラスラ思い出せないからといって、昨日の学習は完全に無価値なのではありません。
復習が要らないように覚えるのだという〈完璧主義〉よりも、復習時間を少しでも短縮するために覚えるという現実路線の方がきっと役に立ちます。
声を出して読もう
それではどのようにして、覚えればよいでしょうか。
声を出して読むのは、一番かんたんな、だれにでもできる記憶術です。
たったこれだけで、声を出さないときよりも10% よく覚えられると言われています。
書き写すのもよい方法ですが、声を出して読むことは、書き写すよりはずっと楽に速くできます。
速いから、同じ時間があれば、より多くくり返すことができるのです。
分かってないところはうまく読めないので、自分がどこがよく分からないか見つけるにも使えます。
これから勉強するところも、今日勉強したところも、声を出して読みましょう。
何回読めばいいかとよく聞かれますが、たくさん読めばそれだけの成果があります。
でも、はじめて声を出して読む人に「100 回読め」といったら嫌になるでしょう。
だから今まで声を出して読んでない0 回の人は、まずは1回読むことを目指しましょう。
いつも1回読むという人は、3回読むことを、いつも3回読む人は、10回読むことを目指しましょう。
普段やってない人が繰り返し声を出して読むと、あごの筋肉がだるくなりますが、毎日やれば数日で平気になります。
10回声を出して読むと、普通のものなら、そこそこ覚えることができます。
30回声を出して読むと、何も見なくてもすらすら読んだものを唱えることができるようになります。
(参考)読書猿Classic 叫ぶ英会話!音読が想像以上に凄い6つの理由 Read Aloud!!

書き写そう
書き写すのは、目と手と脳を動員する強力な方法です。
勉強の仕方を尋ねると「書いて覚えた」という人が一番多いです。
しっかり集中していなかったり、よく分かっていないと書きまちがえますが、どこが分かっていないかも、ばっちり紙の上に残るのもすぐれた点です。
もし時間がたっぷりあるなら、勉強につかう教科書や問題集をすべて書き写すといいでしょう。
時間も労力もかかって効率悪そうに見えるますが、効果からいうと結局安くつきます。
特に細かい部分まで正確に理解する必要があるもの(数学や外国語なんかがそうです)を勉強する場合は、絶対おすすめです。
欠点は時間がかかることです。
自分のペースで勉強できる人はよいのですが、多くの人は試験などのタイムリミットがあります。
時間が足りなくなる場合は、
(1)声を出して読むなど、代わりの手段を併用する
(2)だいたいの内容が分かればよいところは飛ばして、大事なところに限って書き写す
とよいでしょう。
問題となるのは実は「時間が足りない」ことではなく、むしろ大変そうで「書き写す気にならない」ことです。
やったことがない人に、いきなり「100ページ写せ」と言っても嫌になるでしょうから、少しの分量からはじめてみましょう。
はじめての人は1ページ写すのでも、一苦労です。スピードは上がらず、間違いも多いと思います。
たとえば英語を習いたての人が「This is a pen.」を書き写すところを見ていると、まず「T」 を写して、次に「h」を写して、次に「i を写して・・・・と、一文字ずつ喜き写したりします。
これでは時間はかかるし、間違いが生じる可能性も高くなります。
これが少し英語ができるようになると「This」「is」「a」「pen」と単語ごとに覚えて書き写すことができるようになります。
もっと英語ができるようになると数個の単語を一度に覚えて書き写すことができるようになります。
英語ができるようになればなるほど、一度に覚えられる単語の数は増えるので、書き写しのスピードも格段に上がります。
他の科目でも、このことは当てはまります。
書き写しのスピードが上がれば、実力がついてきた証拠です。
注意事項が3 つ。
(1)なるべく見て覚えて、一度アタマに入れてから、見ないで書き写すこと
(2)ちゃんと書き写せているか、写したあと必ずチェックすること
(3)写し間違いを消さないこと。むしろマーカーなので目立たせること
同じ書くのでも、単語などを繰り返し書いて覚えるのは、よした方がいいでしょう。
繰り返し同じことを書いていると、アタマを素通りして、手だけが自動的に動くようになるから、無駄が多いからです。
またくり返していると、どこかでミスが生じて、気付かずそのミスごとくり返してしまうこともあります。
さっきの3つの注意事項に気をつけて、1 回書き写すごとに必ずチェックすることが必要です。
(参考)書き写す/人文学(ヒュマニティーズ)の形稽古 その1 読書猿Classic: between / beyond readers

書物を書き写すということー図書館となら、できること 読書猿Classic: between / beyond readers

思い出そう
人間は、インプットしたものではなく、アウトプットしたものを覚えます。
もう少し正確に言えば、アウトプットした情報を、「ああ、アウトプットする値打ちがあるものなんだな」と優先順位が高いところに準備するのです。
インプットしただけでは、うまく出てこない(思い出せない)ことが多いです。
いくら勉強してもダメだという人は、アウトプットをあまりしていないことが多いです。
だからテストの勉強なら特に、アウトプット(思い出すこと)をしておきましょう。
繰り返しインプットするより、アウトプットの回数を増やす方がいいでしょう。
理解することを理解しよう(増補)
覚えるとは、何も見なくても、すぐにその知識を使える状態にしておくことだと言いました。
こう考えると、最強の記憶法は理解することです。
理解した知識は忘れにくく、また利用されやすいからです。
では、どうすれば理解できるのでしょうか?
まず、どうなれば理解できたことになるのか考えてみましょう。
それも理解できる/理解できないの極端な二分法ではなく、少しずつでも理解が進んだといえるのはどういう場合かを考えましょう。
簡単にいえば、理解するとは、知識が他の知識と結びつくことです。
そして、理解が進むとは、その結びつきが増えることです。
新しい知識やまだ理解できない知識について「これは何と結びつくのか」と考える習慣は、理解する力を高めます。
また、現時点で分かっている〈結びつき〉を図解して描き出してみることも役に立ちます。
何をどれだけ理解しているか/理解していないかを一望化することで、理解の現状を明確にできます。その結果、足りない部分を気づかせたり、〈結びつき〉を発見させたりして、理解を助けます。
このことは覚えておくためにも役立ちます。記憶技法の多くは、語呂合わせにしろ場所法にしろ、〈結びつき〉を人工的に捏造する手法ですが、天然ものの〈結びつき〉を見つけることができれば、それに勝る効果があります。
自分の理解を理解する→何をどのように分かっているかを可視化するISM構造学習法の考え方 読書猿Classic: between / beyond readers

くり返そう
くりかえしは大切です。
人間は忘れる動物ですが、それに打ち勝てるのはくりかえすことだけだからです。
人間は不正確な動物ですが、それに打ち勝てるのはくりかえすことだけです。
天才も忘れるし間違います。
天才がそう見えないのはサボらないからです。
くりかえすことが大切なことはみんな知っていますが、実際にくりかえす人は驚くほど少ないです。
これはしかたがないことでもあります。
人間は飽きるようにできているからです。
同じ刺激の繰り返しより、新しい刺激に注意が向くようにできています。
でないと、他の動物に襲われたりしても対応できず、自然の中で生き残れなかったのです。
だったら、違う刺激になるように、くりかえし方を工夫しましょう。
一番簡単なのは、
(1)時間制限をつかう
たとえば解くのに10分かかった問題を、2度目は5分で解いてみましょう。これだけで同じ問題を解くことが、まるでちがった体験になります。
5分間では解けなくてもかまいません。一度とりかかれば、最後まで解きたくなるはずです。
(2)「中途半端はイヤ」という性質を利用する
人間は、一度やりかかったことは最後までやりたくなる性質をもっています。これを利用しましょう。
たとえば教科書を3 回読もうと思うなら、1 回目はすべて読まずに、少しでいいから飛ばしておきましょう。2 回目も別のところを飛ばします。最終回だけ、どこも飛ばさず読むのです。
(3)場所を変える
同じことを繰り返すのも、場所が違えば別の体験になります。
外国へまで出かけなくても、椅子をいつの場所から1mずらすだけでも、ずいぶん違います。
(参考)これがマスターへの道→しつこく繰り返す技術、7つのステップ 読書猿Classic: between / beyond readers

1年の計はこれでいく→記憶の定着度を4倍にする〈記憶工程表〉の作り方 読書猿Classic: between / beyond readers

解き直そう(増補)
同じ問題を、二度目に解く場合は、たいていは一度目の時よりずっと速く、また苦労は少なく解くことができるでしょう。
解けるかどうかすら分からなかった一回目とは違い、二度目は余裕を持って問題にあたることができます。なにしろもう解けることは知っているのですから。
問題の意味も、どうなれば解けるといえるのかも、そして何をすべきかも、二度目ならちゃんと分かっています。
いろいろなやり方のうちで、どれがうまくいかないのかも、ある程度分かっています。
人は自分がやった問題解決であっても、そのすべてを理解してはいません。
なぜうまく解くことができたか、問題解決に本当に役立ったのは何なのか、何をしているうちにアイデアを得たか、どの努力が報われ、どのチャレンジが不発だったのか、まわり道を避けることはできなかったかなどアンド、次に新しい問題を解く場合に役立つ教訓は何なのかを知るには、どうすればいいのでしょうか?
一番いいのは、今解いたばかりの問題を、もう一度解くことです。
そうすることで解くのに夢中で/精一杯で拾ってこれなかった、次の問題解決に役立つ発見を集めてこれます。
さっきまであなたの前に立ちふさがっていた難問は、二度目に向かい合うときには、長く厳しい問題解決を共に戦った頼りになる戦友になっているはずです。
問題を解く能力を最も高めてくれる教材は、自分がたった今解いたばかりの問題です。
問題を解き終えた瞬間に人生で最も豊かな学びの時がはじまる 読書猿Classic: between / beyond readers

勉強日誌をつけよう
勉強したら、どれだけやったかを記録しておきましょう。
いろいろ書く必要はありません。
カレンダーに科目やテキストのタイトルと進んだページ数を書き込んで、いくのでかまいません。
あらかじめ本のページ数と同じだけマス目を用意しておいて、読んだページ数だけ塗りつぶすのも良いです。
記録を取ると調子の善し悪しがあることが分かります。
調子は上がったり下がったりするものだと分かると、調子が悪くても「そのうちよくなるさ」と余裕が持てます。
記録をとると、自分のやったことが蓄積していくのが目に見えるようになります。
実力といったものは目に見えません。正確に言うと、限られた状況でないと見えません。
しかし記録は見えます。いつでも好きな時に目にすることができます。
まとめると、記録をとると、やる気が出ます。
調子の悪いときは、自分の支えになります。
なにより自分の進歩が目に見えるようになります。
いろんな勉強法を試してみるときにも、それがうまくいったのか、うまくいかなかったのかを確かめるには、勉強の記録が必要になります。
(参考)日記でなく日誌をつけよう/独学者のための航海日誌(ジャーナル)のススメ 読書猿Classic: between / beyond readers

(参考)チリを積もらせ山にする→人生航海日誌(ログ)と動機付けの技術 読書猿Classic: between / beyond readers

自分をほめよう
ほめるのが得意な人はあまりいません。
本当は、小さなことをすぐにその場でほめるのがよいのです。
ところが、うまくいったと喜んでいると「調子にのるな!」と叱られ、うまくいかないと「何をやっているのだ!?」とまた叱られることが多いです。
これでは、よくできる人でも〈自分にダメ出し人間〉になっても不思議ではありません。
自分にダメ出しするのがくせになると、やる気の容量が下がります。
「どうせ自分なんて」と言うのがクセになると、できることもできなくなります。
まわりがほめるのがへタなら、せめて自分くらいは、ほめてやりましょう。
はじめはへタでもくりかえすうちに、自分をほめることもうまくなります。
これはまじめな話ですが、自分をほめることを学ばないと、その人の勉強は遅かれ早かれ行き詰ります(いきづまるのは勉強だけではありませんが)。
勉強してほめられるのは、子どものときだけです。
大きくなると、誰もあまりほめてくれなくなります。
大人の多くは勉強が嫌いなので、むしろ勉強している人に無意識につらく当たります。
「そんなことしたって何なるんだ?(なんにもならないよ)」みたいな言葉をぶつけてきます。
さらにレベルが上がると、教えてくれる人も、同じように頑張っている人も、自分の周囲にいなくなります。
ほめられることも、はげましあうこともなしに、自分でやっていかなくてはならなくなります。
やる気を自分で稼いで来なくてはならないのです。
自分をほめることは、自力で飛べるようになるために絶対に必要です。
自分をほめることは、自分を甘やかすことではありません。
甘やかすとは、たとえば「おまえは天才だから努力しなくていい」というようなことです。
というか、天才は努力します。とことんします。止まらずします。
天才とは、努力することを止められなくなった人のことをいうのです。
自分をほめることは、やったことをやったと認めることです。
その日やったのがたった1ページでも、
「1 ページなんて、こんなの勉強したうちに入らない」
とけなすのでなく(そんなことは放っておいても周りの大人がしてくれるでしょう)、
「とにかく今日は1 ページはやったのだ。自分よ、ごくろうさん」
と小さなことをねぎらうことです。
実は小さなことも拾い上げてほめるためにも、勉強の記録をつけた方がよいです。
勉強にも調子のよい/わるいがあります。
たくさんできる日もあれば、できない日もあります。
でも、一歩も進めない日があったからといって、進むのをやめなくてはならないわけではありません。
たった一歩でも進んでいるのです。
体は前を向いています。
目は先をみつめています。
そしてもう後ろ足は地面をけっているのです。
今度こそ、続けよう→3日坊主にさよならする技術 読書猿Classic: between / beyond readers

3日坊主から離脱する→やめたいことをやめ、やらなくてはならないことを続ける仕組みをつくる行動デザインシート 読書猿Classic: between / beyond readers

「分からない」と付き合おう
「こわい」とか「不安だ」とか、嫌な感情はやっかいな性質を持っています。
逃げると、余計に強くなるという性質です。
「こわい」ことから逃げると、余計に恐く感じるようになります。すると、ますます逃げたくなります。逃げると、余計に怖くなって……というループに陥ります。
恐怖症がたちが悪いのは、こじれると何段階も先回りして、逃げるようになることです。たとえば最初、電車に乗れないだけだったのが、そのうち外出自体できなくなったりします。
勉強の話に戻しましょう。
分からないと、誰でも嫌な感じがするものです。
いろいろ嫌な考えも頭に浮かんだり、「なんでこんなものしなきゃならないんだ」とムカムカ腹が立ったり、「自分はバカなんじゃないか」と悲しくなったりします。
これ自体はあたりまえの話ですが、〈わからない〉の嫌悪感も、そこから逃げると強くなります。
逃げると、嫌悪感を感じる範囲も拡大します。
例えば最初二次関数の問題でつまずいたのが数学を避けるようになり、こじれると勉強の臭いがするものすべてを避けるまでいってしまいます。
それどころか自分だけでなく、自分の周りの人間が勉強するのも嫌うところまでいくこともあります。
〈わからない〉の嫌悪感も、嫌→逃げる→嫌→逃げる→…のループにはまると、雪の斜面を雪玉がころがるように急成長する事実は、勉強好きな人と勉強嫌いの人との間の大きな違いも最初は小さな違いから成長したことを教えてくれます。
〈分からない〉嫌悪感のループにはまった人には、近づくことはおろか話題にさえ絶対したくないものに、すき好んで人生さえかけようという人もまた存在する理由です。
人は、少ない時間や努力で同じだけの成果を上げる人をうらやましく思います。
けれど、長い期間かけて大きな差を生むのは、分からないことの嫌悪感に対する耐久力(それは勉強における肺活量です)の、ちょっとした差の方です。
分からない嫌な感じをそのまま持っていると、最初その感じは強くなりますが、しばらくするとゆっくりと弱くなっていく時が来ます。それでも持っていると、そのうち我慢できるくらいになります。相変わらずいやな感じですが、もう取り乱すほどひどいものではなくなります。
分からない嫌悪感を〈乗り越える〉、というほどかっこいいものではなく、〈やり過ごす〉ことができるようになると、〈分からない〉ものに飛び込むことができるようになります。
そうして、世界でまだ誰も知らないことを最初に知るための勉強Studyは、そこからはじまるのです。
2013.02.02
ぼくは読むことも学ぶことも苦手だった/弱点は継続するための資源となるということ
努力は嫌いだった。
〈努力してもこの程度〉と思い知るのが怖かった。
だから「努力で得られるものなんて高が知れてる」とうそぶいていた。
勉強は苦手だった。
やり方が分からなかった。
それ以上に、勉強したらどうなるのかが想像できなかった。
本を読んでも、集中が切れるまで20分かからなかった。
だから一冊読み終えるのにほんとに5年くらいかかった。
大抵の本は読み終わらないままだった。
本を読むのが苦手だったから読書猿ははじまった。
何故そうなのか、今でもうまく言葉にできないけれど、いくらかでも人に手渡すように言うことができるとすれば、次のようになる。
弱点というのは多分、能力や才能、その他機会や資源の不足だけから、できているのではない。
それだけのことなら、人は忘却の淵に沈め、沈めたことすら忘れて、生きることができる。
イソップ寓話の狐のように、〈あのブドウは酸っぱい〉というレッテルを貼ることだってできる。
手の届かないものは軽蔑し、できないことは〈取り組む価値がないもの〉と言い張ることで、やりすごすことだってできる。
現に我々の誰もが、自分にできないことの多くを〈忘却〉して、あるいは〈軽蔑〉して、やりすごしている。
けれども、そうした処理(キャンセル)を繰り返しても、逃げられないものがある。
逃れようとすればするほどいよいよ強く引き寄せられる。
目を逸らすことができない欠落や不足、振りほどいても離れない劣等感や、繰り返し打ち寄せてくる無力感が、ずっと消えない。
弱点は、そういう処理(キャンセル)ができないからこそ、弱点であり続け、我々を苦しめるのだ。
「ねえ君、良く考えてみたまえ。万事につけて我々の本当の意見というものは、我々が決して動揺しなかった意見ではなく、しょっちゅう立ち返っていった意見なのだ」(ディドロ)
諦め切れないからこそ、目を逸らすことができないからこそ、それは弱点であり続ける。
打ちのめされた人は、希望を手放したのではない。
希望し続けているからこそ、先に進みたいと願うからこそ、此彼の隔たりを痛感し、自身の不足に打ちのめされる。絶望もする。
今いるのとは違う場所を目指し、今以上を求める限り、〈できない〉ことはなくならない。
続ける人と、途中でやめた人の差はわずかしかない。
例えば、途中でやめた人は8回やり直したが9回挫折した。
続ける人も9回挫折したが、しかし9回やり直した。
続ける人は途中でやめた人よりも、ただ一度だけ多くやり直したに過ぎない。
そして継続することが何かを成すことの要件なのだとしたら、繰り返し絶望したものは、その都度立ち返らせるものは、その資源となる。
自分の場合はきっと、それは〈本を読むことができない〉という弱点だった。
〈努力してもこの程度〉と思い知るのが怖かった。
だから「努力で得られるものなんて高が知れてる」とうそぶいていた。
勉強は苦手だった。
やり方が分からなかった。
それ以上に、勉強したらどうなるのかが想像できなかった。
本を読んでも、集中が切れるまで20分かからなかった。
だから一冊読み終えるのにほんとに5年くらいかかった。
大抵の本は読み終わらないままだった。
本を読むのが苦手だったから読書猿ははじまった。
何故そうなのか、今でもうまく言葉にできないけれど、いくらかでも人に手渡すように言うことができるとすれば、次のようになる。
弱点というのは多分、能力や才能、その他機会や資源の不足だけから、できているのではない。
それだけのことなら、人は忘却の淵に沈め、沈めたことすら忘れて、生きることができる。
イソップ寓話の狐のように、〈あのブドウは酸っぱい〉というレッテルを貼ることだってできる。
手の届かないものは軽蔑し、できないことは〈取り組む価値がないもの〉と言い張ることで、やりすごすことだってできる。
現に我々の誰もが、自分にできないことの多くを〈忘却〉して、あるいは〈軽蔑〉して、やりすごしている。
けれども、そうした処理(キャンセル)を繰り返しても、逃げられないものがある。
逃れようとすればするほどいよいよ強く引き寄せられる。
目を逸らすことができない欠落や不足、振りほどいても離れない劣等感や、繰り返し打ち寄せてくる無力感が、ずっと消えない。
弱点は、そういう処理(キャンセル)ができないからこそ、弱点であり続け、我々を苦しめるのだ。
「ねえ君、良く考えてみたまえ。万事につけて我々の本当の意見というものは、我々が決して動揺しなかった意見ではなく、しょっちゅう立ち返っていった意見なのだ」(ディドロ)
諦め切れないからこそ、目を逸らすことができないからこそ、それは弱点であり続ける。
打ちのめされた人は、希望を手放したのではない。
希望し続けているからこそ、先に進みたいと願うからこそ、此彼の隔たりを痛感し、自身の不足に打ちのめされる。絶望もする。
今いるのとは違う場所を目指し、今以上を求める限り、〈できない〉ことはなくならない。
続ける人と、途中でやめた人の差はわずかしかない。
例えば、途中でやめた人は8回やり直したが9回挫折した。
続ける人も9回挫折したが、しかし9回やり直した。
続ける人は途中でやめた人よりも、ただ一度だけ多くやり直したに過ぎない。
そして継続することが何かを成すことの要件なのだとしたら、繰り返し絶望したものは、その都度立ち返らせるものは、その資源となる。
自分の場合はきっと、それは〈本を読むことができない〉という弱点だった。
2013.01.24
自分に注意しすぎる人のための瞑想
自分をコントロールすることは難しい。
たとえば、眠ろうと努力すればするほど、それに躍起になることで神経は興奮し、ますます眠りから遠ざかる。
誰でも、あまり躍起になってしまうのはマズいと分かってはいるのだが、人は何かをしない努力は苦手である。
緊張していることに注意が捕まると、それを何とかしなきゃと躍起になって、ますます緊張する。
過剰に自分の状態に注意が向いたら、引き離そうと努めるよりも、別のことに注意を向けるといい。
1.自分のそばの音を聞くことから始めよう。
自分自身が発する音(鼓動、息の音)は避けた方がよい。
2.次に、その音よりも、自分から離れたところから聞こえてくる、音を探す。
3.次々により遠い音を探して、そこに意識を移動させることを繰り返す。
たとえば部屋の中にいるときは、室内の音から始めて、室外の音に、そしてより遠い音に移っていく。
4.目を開けてはじめても、音に集中していくと、自然に目を閉じる人も多い。
目を開けていても、やがて何も見ていない(見えるものに気を止めない)状態になる。
5.自分の状態と、自分の周囲の状況が気にならなくなったら、手元を見ることに戻ってこよう。
書き物していて煮詰まった時や、試験開始前や競技のスタート前のリラクゼーションなどにも役立つ。
もっと手っ取り早くやるには、音を使う。
たとえば鐘の音は、その実用例からもわかる通り、意識を引っ掛け振り向かせる。
ベトナムの僧侶たちは、この音を自分に立ち返るために用いる。
短い詩を引用しよう。
体、言葉、心をまったく一体にして、
鐘の音に寄せて、この気持ちを伝える。
聞く人が乱れた心から目覚め、
すべてのあせりと悲しみを超えるように。
ベトナムの仏教寺院では、鐘の係の人が、上の詩を黙唱した後に、鐘の音を鳴らす。
いや「鐘を叩く」とか「鐘を鳴らす」という言い方はせず、「鐘の音を招く」という。
そして鐘の音を聞いた人は、思考を休め、
三度息を吸って吐いて、次のような句を唱える。
聴け。聴け。
このすばらしい音が、
私を真の自己に戻す。

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