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    枝葉を払って要点を箇条書きにすれば、おおよそどれも次のようなことが書いてある。

    1 過去問を最初に見ろ
     1-1 出るところだけを勉強しろ
     1-2 問題集のように繰り返せ(後述)

    2 問題集で勉強しろ
     2-1 参考書は読むな、使うな
     2-2 辞書(辞書的参考書を含む)は引くな→辞書の要らない問題集を使え
     2-3 ノートにまとめるな
     2-4 暗記カードなんかつくるな

    3 問題集は繰り返せ
     3-1 最初は問題につづけて答えを見ろ
     3-2 答えを見た後は、何も見ずに解答を書け
     3-3 慣れてきたら少しは考えろ
     3-4 復習は問題を見て、すぐに答えが浮かぶか確かめろ
     3-5 どうしても頭に残らない問題は捨てろ
     3-6 正解率9割を超えるまで繰り返せ

    4 無駄なことはするな
     4-1 試験のレベルを超えたものに手を出すな
     4-2 自分のレベルを超えたものに手を出すな
     4-3 最初は自分で問題を解くな

     絵画についてのおしゃべりは、もちろん絵画にならない。

     しかし画家だって、他人の絵を見て良いはずだし、それを見てブツクサ言ったって良い訳だ。

     この本は、画家が他人の(時々自分の)絵についてブツクサ言ったそんなコトバが、当の絵とブツクサ言ってる画家のイラストその他のイラストとまざりあって出来ている。
     絵解きコトバ解きの絵画史だ。
     これ見たら、いままでの美術史なんか、抹香臭くて読めない。

     「ベラスケスに比べれば、ティッティアーノの肖像なんて、材木に見える」といったマネは、そのベラスケスから構図や背景の処理(無背景にしてしまう)だけでなく、その黒の使い方も学んだ(比べると歴然である)。

     「フェルメールにはベラスケスでさえ遠く及ばない。フェルメールには、すでに完璧なものを、なお完璧にしようとする熱狂と苦悩があった。極限を極めるために彼は何度でも書き直し、コトバがまったく無力になる奇跡に達したのだ」といったダリは(彼がここまで手放しに誉めるなんて珍しい!)、このコトバとおりにフェルメールにぞっこんで、自分の絵になんどもフェルメール(「絵画芸術の寓意」という作品の中で絵を描いているフェルメール自身の姿)を登場させている。時には、フェルメールをテーブルにして登場させている(ダリ「テーブルとして使われるフェルメールの亡霊」←しょうがないヤツ)。

     耳を切ったんで狂人扱いされたゴッホだが、図抜けた才能の絵描きであったばかりでなく、すごぶる的確な絵読みであったことも知られている。

    「ゴッホはすべてが乱雑と混沌の中にあるくせに、キャンバスの上ではすべてが輝いている。また、彼の芸術についてのコトバも同様だ」(ゴーギャン)。

     シャガールもこう言ってる。
    「スーティンは大した絵描きだが、ゴッホには到底およばない。デッサンをやらないからだ。ゴッホの絵はどれも卓越した画法に支えられている。二人の違いはそれだけだが、何という違いか」。

     このゴッホとダリはともに、土に生き働く農民の姿を描いたミレーの絵を自作に引用している。当然、絵についてもブツクサ言っている。
    「「彼の百姓は種まきしているそこの土で描かれているようだ」という言葉はミレーの絵を的確に言い当ててる。彼はすべての基礎のなるような色彩をパレット上でどうつくるかを知っている」(ゴッホ)。

     なるほど的確だ。

    「「晩鐘」の男は自分の勃起を帽子で不自然に隠している。その結果、よけいにそれをはっきりさせてしまっている。まったく、ミレーはユニークな主題を書いたものだ」(ダリ)。

     出たな、偏執狂的批判的方法(ほとんど言いがかり)。


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     速く覚える人(ファスト・ラーナー)とゆっくり覚える人(スロー・ラーナー)とでは、どちらが忘れやすいのだろうか?

     古い、せっかちな実験では、断然ファスト・ラーナーの方が成績がよかった。
     スロー・ラーナーの方が、ファスト・ラーナーよりも「忘れっぽい」とされた。

     「頭のいい奴より、頭の悪い奴の方が、忘れっぽいのは当然だ」と人は思うかもしれない。
     いわば通念に合った結果が出た、という訳だ。


     しかし、じっくり時間をかけると、スロー・ラーナーも、同じだけ覚えることができる。
     時間あたりの覚える量は、ファスト・ラーナーの方が、スロー・ラーナーよりも多い。

     そこで忘却を左右するのは、「覚える速さ」ではなく「覚えた量」なんじゃないか、という仮説が登場した。

     記憶に要した時間は問わないで、覚えた量をファスト・ラーナーとスロー・ラーナーとを同じにして、忘れる速さを計ってみた。
     すると、ファスト・ラーナーとスロー・ラーナーとで、忘れっぽさは同じだ、という結果が出た。

     さらに「覚えた量」をいろいろ変えて実験した。
     すると、ある程度までは、たくさん覚えれば覚えるほど、忘れる速さは落ちていく。つまり、忘れっぽくなくなる、ことが分かった。

     複数の理由が考えられるけれど、より多く覚えた方が、記憶されたものの間のネットワークが密になって、忘れにくくなる。


     覚えやすいように、フラスコの比喩で説明してみる。

    memory_beakers.png


     覚えることはフラスコに水を入れること、忘れることは水が蒸発することに喩える。
     条件が同じなら空気と触れている面積が大きいほど、蒸発は進む。
     そしてフラスコの形状は真横から見ると三角形であり、首のところに来るまでは水が入れば入るほど、空気を触れる面積が小さくなるようになっている。
     首のところまで水が入ると、それ以上入れても、空気に触れる面積は変わらない。ある程度覚えると、それ以上は忘れる速度は下がらない、という訳だ。

     逆に、学びが少ないほど、忘れるのは速い。
     

    (文献)
    Underwood, B.J., 1964. Forgetting. Scientific American 210, pp. 91–99.

    Horton D. L., & C. B. Mills. 1984. Human learning and memory, Annual Review of Psychology, Vol. 35, pp. 361-394






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