2010.12.30
日本の発禁書一覧2000冊
この記事の末尾につけたリストは、内務省が旧出版法(明治26(1893)年制定)に基づき検閲を行い、「安寧秩序妨害(禁安)」「風俗壊乱(禁風)」に当たるとして発売禁止処分にした図書の一覧である。
国立国会図書館蔵書検索・申込システムで、
(1)請求記号が特501-で始まるもの(内務省から米軍が接収し、1976年から1978年までに米国議会図書館から返還されたもの)
(2)同じく請求記号が特500-で始まるもの(昭和12(1937)年以降、内務省から移管された帝国図書館蔵のもの)
を抽出してマージして作成した。
ただし押収した図書を保管していた内務省保管書庫は、関東大震災により焼失しているため、(1)(2)とも大正12(1923)年秋以降に処分を受けたもののみで、それ以前のものは残っていない。

発禁書は、「アカ」(マルクス主義に限らず労働運動等にも)と「エロ」(井原西鶴、ゾラから性科学まで)と「宗教」に限らない(後述の「日本十進分類ごとの発禁書点数」を参照)。他にも
幕末・明治・大正回顧八十年史. 第3輯(東洋文化協会、昭和8.4)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000695287/jpn
(禁止理由)「御写真等粗末ナル」こと (安寧秩序妨害(禁安))
小学生の読む陸軍読本(金の星社、昭和8.10)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000694736/jpn
(禁止理由)軍事機密が載っている (安寧秩序妨害(禁安))
といったものもある。もちろん、いわゆる「エログロ」もあるのだが、
犯罪図鑑 江戸川乱歩全集付録(平凡社、昭和7.5)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000695311/jpn
(禁止理由)「拷問ソノ他変態性欲等ノ残忍ナル絵画写真ヲ収録」 (風俗壊乱(禁風))
……平凡社の気が利き過ぎた付録。
女優ナナ エミール・ゾラ原作(三興社、昭和3.9)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000790039/jpn
(禁止理由)「風俗上有害ナリト認メラル性的場面ノ露骨ナル描写」 (風俗壊乱(禁風))
……どんなすごい小説かと思う。『ナナ』には、やたらと邦訳があるが、手に入りやすいものを挙げておく。
日本十進分類ごとの発禁書点数
(点数上位30、多い順)
国立国会図書館蔵書検索・申込システムで、
(1)請求記号が特501-で始まるもの(内務省から米軍が接収し、1976年から1978年までに米国議会図書館から返還されたもの)
(2)同じく請求記号が特500-で始まるもの(昭和12(1937)年以降、内務省から移管された帝国図書館蔵のもの)
を抽出してマージして作成した。
ただし押収した図書を保管していた内務省保管書庫は、関東大震災により焼失しているため、(1)(2)とも大正12(1923)年秋以降に処分を受けたもののみで、それ以前のものは残っていない。

発禁書は、「アカ」(マルクス主義に限らず労働運動等にも)と「エロ」(井原西鶴、ゾラから性科学まで)と「宗教」に限らない(後述の「日本十進分類ごとの発禁書点数」を参照)。他にも
幕末・明治・大正回顧八十年史. 第3輯(東洋文化協会、昭和8.4)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000695287/jpn
(禁止理由)「御写真等粗末ナル」こと (安寧秩序妨害(禁安))
小学生の読む陸軍読本(金の星社、昭和8.10)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000694736/jpn
(禁止理由)軍事機密が載っている (安寧秩序妨害(禁安))
といったものもある。もちろん、いわゆる「エログロ」もあるのだが、
犯罪図鑑 江戸川乱歩全集付録(平凡社、昭和7.5)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000695311/jpn
(禁止理由)「拷問ソノ他変態性欲等ノ残忍ナル絵画写真ヲ収録」 (風俗壊乱(禁風))
……平凡社の気が利き過ぎた付録。
女優ナナ エミール・ゾラ原作(三興社、昭和3.9)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000790039/jpn
(禁止理由)「風俗上有害ナリト認メラル性的場面ノ露骨ナル描写」 (風俗壊乱(禁風))
……どんなすごい小説かと思う。『ナナ』には、やたらと邦訳があるが、手に入りやすいものを挙げておく。
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日本十進分類ごとの発禁書点数
(点数上位30、多い順)
363 | 236 | 社会運動に投ぜんとする青年に与ふ/ 山川均〔等〕述 共産党宣言/カール・マルクス,フリードリツヒ・エンゲルス共著 ; デ・リヤザノフ編評註 ; 大田黒研究所訳編 一切を挙げて赤露の挑戦に備へよ/赤尾敏著 | |
913.6 | 172 | 男女の秘密/山本春雄作 「女重役」と女共産党員発表号/SMG-171号作 江戸川乱歩選集. 第6巻(「 | |
169 | その他の宗教 新興宗教 | 115 | 記紀真釈/出口王仁三郎著 教のかがみ/清水英範著 ; 日の本教会本部編 生命の実相 : 生長の家聖典. 信の巻/谷口雅春著 |
366 | 労働経済 労働問題 | 103 | 労働組合読本/荒畑寒村著 失業と失業に対する闘争/ 「インタナシヨナル」編輯部訳編 弥次喜多労働組合の巻 |
310 | 政治 | 67 | ロシア共産党第十五回報告演説/スターリン〔著〕 ; 秋田篤訳 日本愛国革新本義/橘孝三郎著 興亜聖戦の輿望/足立陽太郎著 |
155 | 国体論 詔勅 | 47 | 左傾ニ関シ国事御願/島安兵衛著 皇道の栞/有留弘泰編 大日本忠孝訓/中島竜三著 |
911.5 | 詩 | 39 | 日本プロレタリア詩集. 1929年版/日本プロレタリア作家同盟編 罰当りは生きてゐる : 岡本潤詩集 帝国情緒 : 詩集/鈴木政輝著 |
148 | 相法 易占 | 33 | 二十八宿詳解 : 吉凶速断/高島易断所本部神宮館編 恋の辻占 : 都々逸独占い 家相の見方 : 家業繁栄子孫長久/松田定象編著 |
210.7 | 33 | 上海事変に就て/内藤順太郎編 五・一五事件軍法会議記録 2・26事件を語る/黒木正麿著 | |
319.1 | 外交 国際問題 | 29 | 満蒙論 : 満蒙の経済的価値と日本のとるべき態度/室伏高信著 聯盟脱退と国民の覚悟/竹林芙蓉著 英国打倒欧洲参戦の主張 /野依秀市著 |
367.6 | 性問題 | 29 | カーマスートラ(性愛の学/印度学会訳編 男女生殖器図解全書/花柳隠士著 正しい性教育/ジー・デー・オールズ著 ; 湯浅与三訳 |
304 | 論文集 評論集 講演集 | 27 | 金持の父と子へ/武藤重太郎著 デパートの白魔 : 本当にあった事/週刊朝日編輯局編 銃後の叫び/林喜一著 |
315 | 政党 政治結社 | 27 | 農民の無産政党の国際的形勢/オイゲン・ウァルガ著 ; 大西俊夫訳 全国大衆年鑑. 1931/浅沼稲次郎編 日本共産党公判闘争傍聴記 |
194 | キリスト | 24 | 基督教道話/前田元二著 聖書より見たる日本/中田重治著 約束の地/バツクストン著 ; 米田豊訳 |
911.16 | 和歌 | 24 | おいらはプロレタリア : 歌集 花明山 : 第1歌集 /出口王仁三郎著 奥戸足百・影山正治両君獄中吟詠歌集出版後援会要綱並作品抜抄 |
611.9 | 農村・農民問題 | 23 | 農村と青年運動/三宅正一著 農民の福音 ノウミン ノ フクイン 赤羽一著 農村調査の要点 |
491 | 基礎医学 | 22 | 性慾の実際と其善用/久保川南柯著 結婚愛/マリー・ストープス著 ; 矢口達訳 正しい性生活/H.W.ロング著 ; 性科学研究所訳 |
238 | ソビエト連邦 | 19 | 労農ロシアの社会主義的建設 : 社会主義への道/ブハーリン原著 ; 河上肇,大橋積共訳 世界を震撼させた十日間/ジヨン・リード著 ; 樋口弘,佐々元十共訳 ロシヤ大革命史. 第3巻/ロシヤ国立図書出版所編 ; 南蛮書房編輯部訳 |
915.9 | 記録・報告文学 | 19 | 噫!忠烈加納部隊/伊藤実著 妙法の御名を叫びて死闘四十時間 : 秋尾伍長血戦記/倉沢樹一郎編 独立機関銃隊いまだ猛射中なり /坂口一郎著 |
198 | キリスト教 各教派 教会史 | 18 | 苦難の福音/中田重治講演 ; 大江信筆記 天よりのラジオ/ジョン・トマス著 ; 蔦田二雄訳 救世軍亡国論/小俣洋平著 |
289.1 | 18 | 労働者・農民の代議士山本宣治は議会に於て如何に闘争したか?/政治的自由獲得労農同盟編 東郷元帥写真帖/大日本偉勲顕彰会編纂部〔編〕 軍神杉本五郎中佐/中桶武夫著 | |
368 | 社会病理 | 18 | 特殊部落一千年史 : 水平運動の境界標/高橋貞樹著 全国水平社第十二回大会詳報 動く愛国団体 : 新日本国民同盟等の改造断行請願運動 |
312.1 | 政治史・事情 | 16 | 不逞不臣の暴状輔弼の重責を汚す放蕩無頼の現内閣 政党及び憲政史/田中康夫著 軍部の系派・動向/小林住男著 |
384 | 社会・家庭生活の習俗 | 16 | 猥褻と科学 /〔宮武〕外骨編 春画王の告白/堀伊八著 芸者生活打明け話 |
598 | 家庭衛生 | 15 | 性愛技巧と初夜の誘導/羽太鋭治著 不感症と早漏の素人療法/隠士菊翁著 夫婦道心得帖 : 通俗医学/艸楽園主人著 |
912 | 戯曲 | 15 | 菊池寛戯曲全集. 第1巻(「特殊部落の夜」所収) 戯曲資本論/阪本勝著 鍬と銃 : 反戦小脚本集/コツプ日本プロレタリア演劇同盟レパアトリイ委員会編 |
170 | 神道 | 12 | 全村ノ祀神法ヲ統一シ教化方針ヲ確立セヨ/尾家天霊著 月読基礎学生業書/石井藤吉著 宇宙神秘ト信仰 : 大和民族之使命 /青木茂著 |
913.5 | 小説 物語 近世 | 12 | 梅ごよみ・春告鳥/為永春水著 ; 博文館編輯局校訂 西鶴全集/石川巌編 ねさめくさ/悟道軒書 |
311 | 政治学 政治思想 | 11 | 帝国主義と戦争問題/コムミンテルン編 ; 町田鶴哉訳 フアシズム論/パシユカニー,エルコリ著 ; 吉野次郎,万里信一郎共訳 ヒットラーは何を求るか/イ・オ・ロリマー著 |
908 | 叢書 全集 選集 | 11 | 恋百態/河森萍花訳 巴里・上海エロ大市場/尖端軟派文学研究会編 世界猟奇全集 |
2010.12.29
今年復刊した本から10冊(選ぶつもりが4冊だけ)
人もすなる「今年読んだ本」のようなものを書いてみたのだが、「今年出た本」が一冊も入っていない。
いや、まったくない訳ではないが、取り上げたいと思えるものがない。
それどころか『大阪府立図書館参考事務必携』みたいな本が幅を利かせている。
そもそも本屋に置いてない本のことなど、暮れのおしつまったこの時期に聞かされてもなあ、だいたい図書館だってもう閉まってるし。
という訳で一計を案じて、今年になって復刊した本ということなら、実際に読んだ時期はいろいろだが、とにかくも「今年出た本」ということで取り揃えられるだろうと思い、以下書いてみた。
(追記)
書いてみたのだが、時間が本当になくなってしまった。
あと『クレーの日記』と『社会学の根本問題―個人と社会』と『偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活』と(『悲劇の死』は別にいいや)、『荒涼館』についてはいくらなんでももう少し、プラス『現代語から古語を引く辞典』と『美花選』について書くつもりだったが、今年はこれで打ち止めである。
では、よいお年を。
今年はナボコフだとかル・クレジオなんかの復刊がいくつかあったけれど、このリストは幸田露伴からはじめる。
露伴の書くものは、どれも途方もなく面白いのだが、これが文学かと言われれば、うなづく理由がほとんど見当たらない。
日本の小説書きが、こぞってヨーロッパの文学運動のあとを夢中になって追随していった時期にも(笑うの待て。今もそのあたりの小説に用いられる言葉はこのなれの果てなのだから)、露伴はそういった主流の外にいた。今日では「自然」なものと見なされる自然主義の文体とは遠く、『運命』までは格調の高い文語体で書かれ、だから読みにくいことは読みにくいし、古くさいと言われればその通りだろう。『幻談』が発表当時、熱狂的に迎えられたのは、読者が苦労せずに読むことができるはじめての露伴作品だったから、というフォークロアがあるほどだ。
露伴の登場人物は悲嘆し呻吟することはあっても、自身を責め煩悶することがない。「文学的」と呼ばわれる自意識を欠いている。だがそれを言うならホメロスだってそうで、大アイアスのごとき猪武者は脳みそさえ欠いている気がするが、それでも彼の姿、行為は我々の胸を打つ。いや、露伴の話だったな。
『連環記』は露伴最後の「作品」。主人公のひとり、慶滋保胤は、平将門、藤原純友の乱にさいして白衣観音法を修すべきことを進言し『今昔物語集』にも陰陽道に関して肩を並べる者なしと評された賀茂忠行の子。兄に、忠行を継いだ保憲がいて、忠行・保憲の門から安倍晴明が出た。保胤は、陰陽道の家を出て紀伝道へ進み、疫病神さえもその家には押入らず礼拝して通り過ぎたと噂される菅原文時(菅原道真の孫)に師事して首席となった。その人となりは、露伴の筆が読む者の魂を呆れさせてなお離さないから譲ることにするが、この保胤がやがては比叡山横川の源信のもとで出家し寂心と称するようになる。
さてもう一人の主人公、大江定基は、参議大江斉光の第3子で、文章博士となり三河守となったが、これも出家し寂心に師事することになる。そして師の死後、中国宋までも渡って行ってしまう。定基の発心の下りもまた、「人間世界の最低と最高の領域を同時に覆うことのできる言葉の力として感得される」と川村二郎などは言うところで、読者の楽しみを奪う不調法は差し控えなければならないだろう。
広く往生伝や説話類に取材し(なにしろあの露伴のやることだ)、瞠目すべきエピソードが、いくつもいくつでも投げ込まれている。ほとんど構成など無き感があるのだが、その最後の最後になって露伴がそっと最後の珠を添えた瞬間に、それまで気付かなかった環の連なりに読む者を思い至らせる。
倉多江美には、その色気も毒気もない真っ白な絵、枯れ果てた作風を駆使して、フランス革命において、政権がかわってもずっと政府中枢に居続けた究極の日和見主義者 、誰も信用せず誰からも信用されなかった「過去において最も罪深く、将来においても最も危険な人物」を描いた傑作『静粛に・天才只今勉強中!』というマンガがあるのだが、これはシュテファン・ツヴァイクがその人物を描いた伝記の名作。
描くツヴァイクもうまいのだが、何しろ素材となった男がひどい。
聖職者だったのに、誰よりも教会を否定して1792年に国民公会の議員に当選。穏健派ジロンド派に属していたのに、実はロビスピエールの妹と付き合っていて、ルイ16世の死刑に表を投じてジャコバン派に転身。ジロンド派追放から免れ、ジャコバン派では誰よりも私有財産を廃止したり虐殺したりと大活躍するが、そのうちロビスピエールと対立。こっそりテルミドールのクーデターを画策してロビスピエールを追放、処刑に追い込む。自分はまんまと生き伸び、その情報収集力を買われて総裁政府の警視総監に。そこでは密偵を多数雇い入れ、秘密警察にしたてて政府関係者の秘密を握り倒し、ブリュメールのクーデターに協力してナポレオンの政権奪取に貢献。ナポレオンに罷免されると今度はタレーランと策謀しナポレオン追い落としを計る。帝政崩壊後、臨時政府首班としてタレーランと協力しルイ18世をパリに迎えて、王政復古で自分はまたしても警察大臣に。しかし国王殺しに加担したことを王党派は忘れるはずもなく2ヶ月で失脚。フランスから亡命するも、晩年は家族と家族と友人に囲まれた平穏な生活を営み、安らかに死んでいった。それというのも敵対者の個人情報を使って保身に勤めていたからだった。
静粛に!天才只今勉強中! 復刊リクエスト投票
女王陛下から靴磨きの小僧まで夢中になって読んだディケンズの中でも、最もおもしろい物語のひとつ。
これを読んでた時は、夜な夜な電話をかけまくって、さっき読んだばかりの個所を朗読していた。
あの時はみんな迷惑かけたな。ごめん。
この物語に登場するどんな矮小な人間も、ワンシーンどころかワンショットしか登場しないどんな端役も、人格のどん底まで真っ黒で陰影のつけようがない悪人も、残らずキャラが立ち過ぎてて、紙面からはみ出るその立ち姿、しぐさ、口にする言葉を、(ナボコフが言う意味での)「良い読者」は覚えずにはいられない。
森毅はやたらと対談している印象があるけれど(なんというか、ばーばー適当なことを喋っていつも楽をしている、という拭い難いイメージがあるのだ。これにはそうあって欲しいという願いも込められている)、これは多分、最高傑作の一つ。
いや、こう書くのはきっと誉め過ぎで、本当は読むに値するものは3つくらいしかない。
ひとつは学生時代の浅田彰に編集を押し付けた『世話噺数理巷談―さろんのわだいにすうがくはいかが』。浅田が対談の現場までも介入することで、ずるずる流れがちな森毅の対談が、何か大したことが語られているかのような錯覚に陥るほどの仕上がりになっている(これは後年ちくま文庫に入って『森毅の学問のススメ』というタイトルで出ているのだが、重要な二人の対談が何故だか抜けている)。
もうひとつは、発言内容でもスタイルでも、まったく森に合わせようとしない(というかダメ出しし続ける)竹内啓を対談相手に迎えた『数学の世界―それは現代人に何を意味するか』。こういう逆風にさらされた方が森のホニャララさは生きるのである。
さて、『対談 数学大明神』では安野光雅が対談相手である。そう、安野がいい。対談のテーマはタイトルのとおり数学というか〈数〉なのだが、安野がふってくる数に関わるネタがいい。全部いい(安野が教師時代、生徒に数字で成績をつけるのが忍びなくて「この子はトンカチのようです」と通信簿に書いた話など、今読んでも鼻水がこぼれる)。そしてみんな忘れているかもしれないが、我らが森一刀斎は何を隠そう数学者なのだ。控えめな伴奏のように安野のネタに乗ってくる森は(伴奏なら乗ったらだめじゃないか。まあいいか)、対談の名手でもあるのだった。
森毅、2010年7月24日逝去。
いや、まったくない訳ではないが、取り上げたいと思えるものがない。
それどころか『大阪府立図書館参考事務必携』みたいな本が幅を利かせている。
そもそも本屋に置いてない本のことなど、暮れのおしつまったこの時期に聞かされてもなあ、だいたい図書館だってもう閉まってるし。
という訳で一計を案じて、今年になって復刊した本ということなら、実際に読んだ時期はいろいろだが、とにかくも「今年出た本」ということで取り揃えられるだろうと思い、以下書いてみた。
(追記)
書いてみたのだが、時間が本当になくなってしまった。
あと『クレーの日記』と『社会学の根本問題―個人と社会』と『偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活』と(『悲劇の死』は別にいいや)、『荒涼館』についてはいくらなんでももう少し、プラス『現代語から古語を引く辞典』と『美花選』について書くつもりだったが、今年はこれで打ち止めである。
では、よいお年を。
![]() | 連環記 他一篇 (岩波文庫) (1991/02/18) 幸田 露伴 商品詳細を見る |
今年はナボコフだとかル・クレジオなんかの復刊がいくつかあったけれど、このリストは幸田露伴からはじめる。
露伴の書くものは、どれも途方もなく面白いのだが、これが文学かと言われれば、うなづく理由がほとんど見当たらない。
日本の小説書きが、こぞってヨーロッパの文学運動のあとを夢中になって追随していった時期にも(笑うの待て。今もそのあたりの小説に用いられる言葉はこのなれの果てなのだから)、露伴はそういった主流の外にいた。今日では「自然」なものと見なされる自然主義の文体とは遠く、『運命』までは格調の高い文語体で書かれ、だから読みにくいことは読みにくいし、古くさいと言われればその通りだろう。『幻談』が発表当時、熱狂的に迎えられたのは、読者が苦労せずに読むことができるはじめての露伴作品だったから、というフォークロアがあるほどだ。
露伴の登場人物は悲嘆し呻吟することはあっても、自身を責め煩悶することがない。「文学的」と呼ばわれる自意識を欠いている。だがそれを言うならホメロスだってそうで、大アイアスのごとき猪武者は脳みそさえ欠いている気がするが、それでも彼の姿、行為は我々の胸を打つ。いや、露伴の話だったな。
『連環記』は露伴最後の「作品」。主人公のひとり、慶滋保胤は、平将門、藤原純友の乱にさいして白衣観音法を修すべきことを進言し『今昔物語集』にも陰陽道に関して肩を並べる者なしと評された賀茂忠行の子。兄に、忠行を継いだ保憲がいて、忠行・保憲の門から安倍晴明が出た。保胤は、陰陽道の家を出て紀伝道へ進み、疫病神さえもその家には押入らず礼拝して通り過ぎたと噂される菅原文時(菅原道真の孫)に師事して首席となった。その人となりは、露伴の筆が読む者の魂を呆れさせてなお離さないから譲ることにするが、この保胤がやがては比叡山横川の源信のもとで出家し寂心と称するようになる。
さてもう一人の主人公、大江定基は、参議大江斉光の第3子で、文章博士となり三河守となったが、これも出家し寂心に師事することになる。そして師の死後、中国宋までも渡って行ってしまう。定基の発心の下りもまた、「人間世界の最低と最高の領域を同時に覆うことのできる言葉の力として感得される」と川村二郎などは言うところで、読者の楽しみを奪う不調法は差し控えなければならないだろう。
広く往生伝や説話類に取材し(なにしろあの露伴のやることだ)、瞠目すべきエピソードが、いくつもいくつでも投げ込まれている。ほとんど構成など無き感があるのだが、その最後の最後になって露伴がそっと最後の珠を添えた瞬間に、それまで気付かなかった環の連なりに読む者を思い至らせる。
![]() | ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4) (1979/03/16) シュテファン・ツワイク 商品詳細を見る |
倉多江美には、その色気も毒気もない真っ白な絵、枯れ果てた作風を駆使して、フランス革命において、政権がかわってもずっと政府中枢に居続けた究極の
描くツヴァイクもうまいのだが、何しろ素材となった男がひどい。
聖職者だったのに、誰よりも教会を否定して1792年に国民公会の議員に当選。穏健派ジロンド派に属していたのに、実はロビスピエールの妹と付き合っていて、ルイ16世の死刑に表を投じてジャコバン派に転身。ジロンド派追放から免れ、ジャコバン派では誰よりも私有財産を廃止したり虐殺したりと大活躍するが、そのうちロビスピエールと対立。こっそりテルミドールのクーデターを画策してロビスピエールを追放、処刑に追い込む。自分はまんまと生き伸び、その情報収集力を買われて総裁政府の警視総監に。そこでは密偵を多数雇い入れ、秘密警察にしたてて政府関係者の秘密を握り倒し、ブリュメールのクーデターに協力してナポレオンの政権奪取に貢献。ナポレオンに罷免されると今度はタレーランと策謀しナポレオン追い落としを計る。帝政崩壊後、臨時政府首班としてタレーランと協力しルイ18世をパリに迎えて、王政復古で自分はまたしても警察大臣に。しかし国王殺しに加担したことを王党派は忘れるはずもなく2ヶ月で失脚。フランスから亡命するも、晩年は家族と家族と友人に囲まれた平穏な生活を営み、安らかに死んでいった。それというのも敵対者の個人情報を使って保身に勤めていたからだった。
静粛に!天才只今勉強中! 復刊リクエスト投票
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女王陛下から靴磨きの小僧まで夢中になって読んだディケンズの中でも、最もおもしろい物語のひとつ。
これを読んでた時は、夜な夜な電話をかけまくって、さっき読んだばかりの個所を朗読していた。
あの時はみんな迷惑かけたな。ごめん。
この物語に登場するどんな矮小な人間も、ワンシーンどころかワンショットしか登場しないどんな端役も、人格のどん底まで真っ黒で陰影のつけようがない悪人も、残らずキャラが立ち過ぎてて、紙面からはみ出るその立ち姿、しぐさ、口にする言葉を、(ナボコフが言う意味での)「良い読者」は覚えずにはいられない。
![]() | 対談 数学大明神 (ちくま学芸文庫) (2010/11/12) 森 毅、安野 光雅 他 商品詳細を見る |
森毅はやたらと対談している印象があるけれど(なんというか、ばーばー適当なことを喋っていつも楽をしている、という拭い難いイメージがあるのだ。これにはそうあって欲しいという願いも込められている)、これは多分、最高傑作の一つ。
いや、こう書くのはきっと誉め過ぎで、本当は読むに値するものは3つくらいしかない。
ひとつは学生時代の浅田彰に編集を押し付けた『世話噺数理巷談―さろんのわだいにすうがくはいかが』。浅田が対談の現場までも介入することで、ずるずる流れがちな森毅の対談が、何か大したことが語られているかのような錯覚に陥るほどの仕上がりになっている(これは後年ちくま文庫に入って『森毅の学問のススメ』というタイトルで出ているのだが、重要な二人の対談が何故だか抜けている)。
もうひとつは、発言内容でもスタイルでも、まったく森に合わせようとしない(というかダメ出しし続ける)竹内啓を対談相手に迎えた『数学の世界―それは現代人に何を意味するか』。こういう逆風にさらされた方が森のホニャララさは生きるのである。
さて、『対談 数学大明神』では安野光雅が対談相手である。そう、安野がいい。対談のテーマはタイトルのとおり数学というか〈数〉なのだが、安野がふってくる数に関わるネタがいい。全部いい(安野が教師時代、生徒に数字で成績をつけるのが忍びなくて「この子はトンカチのようです」と通信簿に書いた話など、今読んでも鼻水がこぼれる)。そしてみんな忘れているかもしれないが、我らが森一刀斎は何を隠そう数学者なのだ。控えめな伴奏のように安野のネタに乗ってくる森は(伴奏なら乗ったらだめじゃないか。まあいいか)、対談の名手でもあるのだった。
森毅、2010年7月24日逝去。
2010.12.27
地蔵系 JIZO-SYSTEM
地蔵=ヘルメス
地蔵菩薩(クシティガルバKsitigarbha)は六道および五濁悪世を巡って衆生を救うという。地獄までも降りて衆生を救いに来るこの菩薩は、六道輪廻の、そして地獄の恐怖が人々に植え付けられるまでは、さほど知られた菩薩ではなかった。
子どもが死後行き、苦を受けると信じられた、冥土の三途(さんず)の川のほとりの河原を賽の河原という。子どもは石を積み塔を作ろうとするが、大鬼がきてこれをこわす。その繰り返し。「シシフォスの労働」を思わせるこの永遠(永劫回帰)の徒労から子どもを救うのが地蔵菩薩である。身代わり地蔵であり、子供姿で現れる地蔵は、ここでは子供の救い主(まるで聖ニコラウス=サンタクロース)として登場する。では、何故ことさらに地蔵なのか。
子供たちの積む石こそ、亡者の導べとなる石だった。疫病に苦しむ平安京を救うため京の外周(京への進入路)に配置された六地蔵は、やがて辻々を守る地蔵様として広がっていった。そこで日本古来の賽の神(道祖神)と出会う。伊弉諾尊イザナギノミコトが伊弉冉尊イザナミノミコトを黄泉ヨミの国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女ヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神) 邪霊の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)、「境の神」である(イザナギ=オルフェウスは振り返ったため妻を失い、ロトの振り返ってしまった妻は塩の柱と化す。オルフェウス教の流れをくむピタゴラス教団の教えには「豆を食うな」の他に「国境で振り返ってはならない」というものがある)。地蔵菩薩は道祖神と習合し、道を守り、導きを守る。子供たちが石を積む河原は、その救い主(地蔵=賽の神)の名から「賽の河原」と呼ばれるのである。
賽の神、「さえぎる神」は、また導きの旅である、神々の旅の先駆を勤めた猿田彦神にも擬し,地獄と現世の境である「賽の河原」で亡者を救う神、我らが地蔵のもうひとつの姿である。
誰かが山を歩いていて、ふと道の端に積み上げられた石ころを見つける。この石の山は、彼のような者が何人か通りすがりに投げていって、時が経つにつれてこうした形になったものである。これをギリシャ人たちは「ヘラス」と呼ぶ。この石の山はよく知らない場所を通るときの道標となる(誰かがそこを通って行ったのだ)。やがてギリシャ人の旅人たちはこう考える。神がそこに住まっておられる、神が我々を導いて下さる。旅路の平安を祈る旅人がここに食べ物を備える。次に通った者が空腹ならそれを食べる。
この「見つけもの」を「ヘルマイオン」と呼ぶ。石の小山は、のちに人の姿をとり、ヘルメスと呼ばれる旅人の道案内、さらに我々の知る《越境の神》となってゆく。
まず国境を越える旅の守り神、共同体の境を越える商業の神(商人merchantは、ヘルメスのラテン名メルクリウスからきている。)。そして天上界と地上界の境を越え、天上から火を盗んだ人間たちへの不幸の贈り物(パンドラ)を送り届けたのも、また愛の神エロスのところへ花嫁プシュケを連れていったのも彼だった。
あるいは地上界と冥界の境を越え、死せる魂を地獄の番人カローンに引き渡すのも、冥界の王ハデスに嫁いだ彼女につかのまの里帰りをさせるのに地上への案内人の役をはたすのも、また彼ヘルメスだった。
ヘルメスの像、ヘルメ柱は(しばしば名ばかりの杭や石塚に過ぎなかったが)、距離や境界を示すために道端に立てられていく。
地蔵=閻魔
冥府の王Yamarajaは、インドのヴェーダ神話に見える神で、最初の死者として天上の楽土に住して祖霊を支配するとされていたが、後に下界を支配する死の神、地獄の王となった。これが仏教に取り入れられ、因果応報の唱道に利用されるため、地獄の裁判官=閻魔王、閻魔羅闍(エンマラジヤ)となった。『仏説閻羅王五天使経』『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土教』など多くの仏典(中国・日本の偽撰)に表れる。後者は「預修十王経」とも呼ばれ、地獄の裁判システム=魂の仕分けシステムを次のように記している。初七日に秦広王の庁に至り、以下順次に、二七(ニシチ)日(初江王)・三七日(宋帝王)・四七日(伍官王)・五七日(閻魔王)・六七日(変成王)・七七日(太山府君)・百箇日(平等王)・一周年(都市王)・三周年(五道転輪王)といった具合に各王の庁を過ぎて娑婆でした罪の裁断を受け、これによって来世の生所が定まるとされる)。そして仏教が中国に移入された段階ですでに、閻魔の本地は地蔵菩薩である、という信仰が生まれていた。
いずれにしろ、死者の生前の行いをあの閻魔帳(魂の戸籍謄本)により残らずチェックし、その罪を呵責する憤怒の王であることには変わりない。つまり閻魔は、判事であると同時に、衆生の逃るべからぬ記録管理人である。魂を、輪廻における魂の仕分け責任者にして、その再生に至るまで管理する情報管理人。
ヘルメス=天使
ゆるやかな定義によれば、天使は次のようにいわれる。「神の使者として天界から人間界に派遣され、神と人間との仲介をなし、神意を人間に伝え、人間を守護するというもの」。このような天使は、一神教の特産である。一神教で、神は唯一神にして超越神である。人が神から切り放されているのと同じく、神が人間や世界から遠く、切り離されている。天使は、神と人とを媒介する。神と人の中間に位置するもの、神と人との境にあるもの。
越境する神ヘルメスは、神(ゼウス)の使いである。彼は神の一員であるが、神々と人々の媒介者でもある。
閻魔=天使
神なき時代の「天使の仕事」がなんであるか、『ベルリン天使の詩』というフィルムが知らせている。
かれらは歴史の証人だ。だが誰にも証言しない。かれらは眺めている。かれらは耳を傾ける。かれらは拾い上げる。かれらは記録する。それがかれらの仕事だ。
たとえば3世紀ヨーロッパにおいて、伝統的ユダヤの宗教実践に抗して展開された一種の神秘的教義(カバラ)を解するヘブライ人たちに記録天使として知られるメタトロン(情報の天使)。 いうまでもなく記録天使RECORDING ANGELは閻魔(この記録=情報管理人)とごく親しい関係にある。
天使=サタン
堕天使を悪魔(サタン/ルシファ)の起源とする説について、初期教会は「明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった」(イザヤ書14:12以下)を根拠としていた。ダンテは北半球から地獄へと降りていくが、途中地の底で、南半球の海に頭から落ちてきたルシファのその頭に出くわす。彼が登ることになる浄罪山は、ルシファの頭が落ちてきた衝撃で、反対側に突起したものである。
一方、サタンという名は、ヘブライ語satan(敵対するもの)に由来する。「ヨブ記」では、人の罪を神に訴え、義人ヨブに試練として苦難を与えるために,神と人の間を往復(あるいは媒介)する。ファウストのもとを訪れる誘惑者メフィストフェレスもこの系列に属する。
またサタンの名はローマの地神サトゥルヌスに近しい(その英語読みはSaturnである)。鎌を手にしたこの古代ローマの農耕神の意匠は,やがて死神のそれへと転ずるだろう。ダンテが悪魔に与えたその姿(ヤギの角と尾、割れたひづめをもつ)は、サトゥルヌスや半人半獣のファウヌス(パン)などの異教の神々に由来する。
しかしなによりも、サトゥルヌスはギリシャ神話のクロノスと習合する。時の神クロノスは、父である天空神ウラノスによって地下界(冥界)へと突き落とされるのだ(彼の鎌は、復讐をとげ、ウラノスを去勢するための道具である)。やがて自身が復讐されることを恐れるクロノス=サトゥルヌスは、神々を残らず飲み込んでしまう。そして「時」とは、すべてを飲み込み、「熱死(ヒート・デス)」へむかって最終的には破滅させるものだろう。
いずれにせよ悪魔たちは、後にも神の負の使いである。試練や試しという神意は、悪魔という回路=媒介を通じて行われる。あるいは本来世界に満ちている悪や悪意は、悪魔という回路=媒介を通じて、神に(あるいは教会の教えに)回収されるといえるかもしれない。
サタン=プロメテウス
プロメテウスは神々から火を盗み人間に与えた。火は単なる自然の要素でなく(それであれば、神々はあんなにも苛酷な罰をプロメテウスに与えはしなかっただろう)、人間を動物から分かつ、知の火花である。
火は知の源だった。プロメテウスがしたことは(そして許されざる彼の罪は)、人を無知から救い出したこと、人に知を与えたことである。
神はアダム(人間)に、「知恵の実」を食べることを禁じていたのだ。狡猾な蛇は、アダムの妻イブをそそのかす。「それを食べるとあなたがたは目を開け、神のように善悪を知るでしょう」。
蛇は聖書ではサタンと同義語である。黙示録は、サタンを「歳の経た蛇」と呼んでいる。 かれらの仕業は知と情報の独占とその対抗(知の伝達)に関わる。
プロメテウス=ヘルメス
火と知をもたらす、いわゆる文化英雄は、かならず越境者である。
彼は盗人であり、一方から他方へと「持ち出し-もたらす」ために、悪人であるとともに英雄である。
善悪は境界において背中合わせであり、かれらはそれを越える/転換する。知は錯乱と再生を引き起こす。盗人の神、越境の神であるヘルメスもまた、情報と知を司る神であり、やがてエジプトの文字の発明者、知識神トート神と合体する(トート・ヘルメス・トリスメギストス)。
トート神はまた地獄の裁判官の書記・記録官を勤めていた。古代中国では伝説皇帝伏犠、神農であり、日本では作者の聖、聖徳太子がこれにあたる。
アレキサンドリアの伝承によれば、ヘルメス・トリスメギストスは3度生まれ変わっている。最初のヘルメス・トリスメギストスはアダムの孫であり、ノアの洪水以前にエジプトを訪れ、錬金術と占星術を講義し、ピラミッドを建造した。トート・ヘルメスが錬金術の父であるのは、地下の鉱物と地上の生命を繋ぎ(かれは両世界の伝奏者である)、死と再生を司る秘術を伝えるものである。地上の事象と天体の運動を繋ぐ占星術についても同様のことがいえる。
2度目のヘルメス・トリスメギストスはバビロンに姿を現し、自然学、医学、哲学、数学を、他ならぬピタゴラスに教えている(ピタゴラスはインドへ渡り、ブッダと輪廻転生について意見を交わす)。
3度目のヘルメスはアレキサンドリア(ギリシャ人のエジプト植民地;おそらくはヘルメスとトートが出会った都市である)で、エジプト人タトとギリシャ人アスクピレオスにヘルメスの奥義を手渡す。アスクピレオスは、アポロンの子にして、医術の神であるが、医師であり階段状ピラミッドの設計者として知られるインポテプをモデルにするという。ヘルメスの杖(カドゥケウス)には、知恵の象徴である蛇が2匹絡まっている(カドゥケウスは現実界では伝令使の持ち物であり、通行手形の役目を果たした)。一方、アスクピレオスの杖には1匹の蛇が絡まっている。
ヘルメス=サタン
「錬金術師たちは、土星(Satan:Saturn)の中に、水星(Mercury:Hermes)が隠されているのではないかと考えた。黒の中の白、鉛の中の水銀(Mercury)。彼は大人の中にいて、いつか大人の皮を食い破って表れる子供だ」(種村季弘)
古代天文学において、もっとも遠くもっとも遅いもっとも暗くもっとも憂鬱に沈んだ惑星:土星(その輪は逃れるのことのできない運命の輪を意味するだろう。永劫回帰:輪廻転生)放射性。物質(たとえばウラノスの石:ウラニウム)の久遠の果ての成れの果てである鉛。そして、もっとも近くもっとも速いもっとも明るくもっとも快活な惑星:水星。液体金属の水銀の運動性、何者のもおかされぬ黄金すら溶かし込みアマルガムをつくるその活性。
「地蔵」は、大地(クシティksiti)の子宮(ガルバ garbha)の意訳である。すべてを飲み込む大地=土がやがて何かを生み出す力を意味している。地蔵は冥界の支配者(Satan:Saturn)=閻魔であるが、また子供の姿で我々の前に表れるだろう。憂鬱の中の快活さ。土星の中の水星。いつか大人(運命)の皮を食い破って表れる子供。
地蔵菩薩(クシティガルバKsitigarbha)は六道および五濁悪世を巡って衆生を救うという。地獄までも降りて衆生を救いに来るこの菩薩は、六道輪廻の、そして地獄の恐怖が人々に植え付けられるまでは、さほど知られた菩薩ではなかった。
子どもが死後行き、苦を受けると信じられた、冥土の三途(さんず)の川のほとりの河原を賽の河原という。子どもは石を積み塔を作ろうとするが、大鬼がきてこれをこわす。その繰り返し。「シシフォスの労働」を思わせるこの永遠(永劫回帰)の徒労から子どもを救うのが地蔵菩薩である。身代わり地蔵であり、子供姿で現れる地蔵は、ここでは子供の救い主(まるで聖ニコラウス=サンタクロース)として登場する。では、何故ことさらに地蔵なのか。
子供たちの積む石こそ、亡者の導べとなる石だった。疫病に苦しむ平安京を救うため京の外周(京への進入路)に配置された六地蔵は、やがて辻々を守る地蔵様として広がっていった。そこで日本古来の賽の神(道祖神)と出会う。伊弉諾尊イザナギノミコトが伊弉冉尊イザナミノミコトを黄泉ヨミの国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女ヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神) 邪霊の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)、「境の神」である(イザナギ=オルフェウスは振り返ったため妻を失い、ロトの振り返ってしまった妻は塩の柱と化す。オルフェウス教の流れをくむピタゴラス教団の教えには「豆を食うな」の他に「国境で振り返ってはならない」というものがある)。地蔵菩薩は道祖神と習合し、道を守り、導きを守る。子供たちが石を積む河原は、その救い主(地蔵=賽の神)の名から「賽の河原」と呼ばれるのである。
賽の神、「さえぎる神」は、また導きの旅である、神々の旅の先駆を勤めた猿田彦神にも擬し,地獄と現世の境である「賽の河原」で亡者を救う神、我らが地蔵のもうひとつの姿である。
誰かが山を歩いていて、ふと道の端に積み上げられた石ころを見つける。この石の山は、彼のような者が何人か通りすがりに投げていって、時が経つにつれてこうした形になったものである。これをギリシャ人たちは「ヘラス」と呼ぶ。この石の山はよく知らない場所を通るときの道標となる(誰かがそこを通って行ったのだ)。やがてギリシャ人の旅人たちはこう考える。神がそこに住まっておられる、神が我々を導いて下さる。旅路の平安を祈る旅人がここに食べ物を備える。次に通った者が空腹ならそれを食べる。
この「見つけもの」を「ヘルマイオン」と呼ぶ。石の小山は、のちに人の姿をとり、ヘルメスと呼ばれる旅人の道案内、さらに我々の知る《越境の神》となってゆく。
まず国境を越える旅の守り神、共同体の境を越える商業の神(商人merchantは、ヘルメスのラテン名メルクリウスからきている。)。そして天上界と地上界の境を越え、天上から火を盗んだ人間たちへの不幸の贈り物(パンドラ)を送り届けたのも、また愛の神エロスのところへ花嫁プシュケを連れていったのも彼だった。
あるいは地上界と冥界の境を越え、死せる魂を地獄の番人カローンに引き渡すのも、冥界の王ハデスに嫁いだ彼女につかのまの里帰りをさせるのに地上への案内人の役をはたすのも、また彼ヘルメスだった。
ヘルメスの像、ヘルメ柱は(しばしば名ばかりの杭や石塚に過ぎなかったが)、距離や境界を示すために道端に立てられていく。
地蔵=閻魔
冥府の王Yamarajaは、インドのヴェーダ神話に見える神で、最初の死者として天上の楽土に住して祖霊を支配するとされていたが、後に下界を支配する死の神、地獄の王となった。これが仏教に取り入れられ、因果応報の唱道に利用されるため、地獄の裁判官=閻魔王、閻魔羅闍(エンマラジヤ)となった。『仏説閻羅王五天使経』『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土教』など多くの仏典(中国・日本の偽撰)に表れる。後者は「預修十王経」とも呼ばれ、地獄の裁判システム=魂の仕分けシステムを次のように記している。初七日に秦広王の庁に至り、以下順次に、二七(ニシチ)日(初江王)・三七日(宋帝王)・四七日(伍官王)・五七日(閻魔王)・六七日(変成王)・七七日(太山府君)・百箇日(平等王)・一周年(都市王)・三周年(五道転輪王)といった具合に各王の庁を過ぎて娑婆でした罪の裁断を受け、これによって来世の生所が定まるとされる)。そして仏教が中国に移入された段階ですでに、閻魔の本地は地蔵菩薩である、という信仰が生まれていた。
いずれにしろ、死者の生前の行いをあの閻魔帳(魂の戸籍謄本)により残らずチェックし、その罪を呵責する憤怒の王であることには変わりない。つまり閻魔は、判事であると同時に、衆生の逃るべからぬ記録管理人である。魂を、輪廻における魂の仕分け責任者にして、その再生に至るまで管理する情報管理人。
ヘルメス=天使
ゆるやかな定義によれば、天使は次のようにいわれる。「神の使者として天界から人間界に派遣され、神と人間との仲介をなし、神意を人間に伝え、人間を守護するというもの」。このような天使は、一神教の特産である。一神教で、神は唯一神にして超越神である。人が神から切り放されているのと同じく、神が人間や世界から遠く、切り離されている。天使は、神と人とを媒介する。神と人の中間に位置するもの、神と人との境にあるもの。
越境する神ヘルメスは、神(ゼウス)の使いである。彼は神の一員であるが、神々と人々の媒介者でもある。
閻魔=天使
神なき時代の「天使の仕事」がなんであるか、『ベルリン天使の詩』というフィルムが知らせている。
かれらは歴史の証人だ。だが誰にも証言しない。かれらは眺めている。かれらは耳を傾ける。かれらは拾い上げる。かれらは記録する。それがかれらの仕事だ。
たとえば3世紀ヨーロッパにおいて、伝統的ユダヤの宗教実践に抗して展開された一種の神秘的教義(カバラ)を解するヘブライ人たちに記録天使として知られるメタトロン(情報の天使)。 いうまでもなく記録天使RECORDING ANGELは閻魔(この記録=情報管理人)とごく親しい関係にある。
天使=サタン
堕天使を悪魔(サタン/ルシファ)の起源とする説について、初期教会は「明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった」(イザヤ書14:12以下)を根拠としていた。ダンテは北半球から地獄へと降りていくが、途中地の底で、南半球の海に頭から落ちてきたルシファのその頭に出くわす。彼が登ることになる浄罪山は、ルシファの頭が落ちてきた衝撃で、反対側に突起したものである。
一方、サタンという名は、ヘブライ語satan(敵対するもの)に由来する。「ヨブ記」では、人の罪を神に訴え、義人ヨブに試練として苦難を与えるために,神と人の間を往復(あるいは媒介)する。ファウストのもとを訪れる誘惑者メフィストフェレスもこの系列に属する。
またサタンの名はローマの地神サトゥルヌスに近しい(その英語読みはSaturnである)。鎌を手にしたこの古代ローマの農耕神の意匠は,やがて死神のそれへと転ずるだろう。ダンテが悪魔に与えたその姿(ヤギの角と尾、割れたひづめをもつ)は、サトゥルヌスや半人半獣のファウヌス(パン)などの異教の神々に由来する。
しかしなによりも、サトゥルヌスはギリシャ神話のクロノスと習合する。時の神クロノスは、父である天空神ウラノスによって地下界(冥界)へと突き落とされるのだ(彼の鎌は、復讐をとげ、ウラノスを去勢するための道具である)。やがて自身が復讐されることを恐れるクロノス=サトゥルヌスは、神々を残らず飲み込んでしまう。そして「時」とは、すべてを飲み込み、「熱死(ヒート・デス)」へむかって最終的には破滅させるものだろう。
いずれにせよ悪魔たちは、後にも神の負の使いである。試練や試しという神意は、悪魔という回路=媒介を通じて行われる。あるいは本来世界に満ちている悪や悪意は、悪魔という回路=媒介を通じて、神に(あるいは教会の教えに)回収されるといえるかもしれない。
サタン=プロメテウス
プロメテウスは神々から火を盗み人間に与えた。火は単なる自然の要素でなく(それであれば、神々はあんなにも苛酷な罰をプロメテウスに与えはしなかっただろう)、人間を動物から分かつ、知の火花である。
火は知の源だった。プロメテウスがしたことは(そして許されざる彼の罪は)、人を無知から救い出したこと、人に知を与えたことである。
神はアダム(人間)に、「知恵の実」を食べることを禁じていたのだ。狡猾な蛇は、アダムの妻イブをそそのかす。「それを食べるとあなたがたは目を開け、神のように善悪を知るでしょう」。
蛇は聖書ではサタンと同義語である。黙示録は、サタンを「歳の経た蛇」と呼んでいる。 かれらの仕業は知と情報の独占とその対抗(知の伝達)に関わる。
プロメテウス=ヘルメス
火と知をもたらす、いわゆる文化英雄は、かならず越境者である。
彼は盗人であり、一方から他方へと「持ち出し-もたらす」ために、悪人であるとともに英雄である。
善悪は境界において背中合わせであり、かれらはそれを越える/転換する。知は錯乱と再生を引き起こす。盗人の神、越境の神であるヘルメスもまた、情報と知を司る神であり、やがてエジプトの文字の発明者、知識神トート神と合体する(トート・ヘルメス・トリスメギストス)。
トート神はまた地獄の裁判官の書記・記録官を勤めていた。古代中国では伝説皇帝伏犠、神農であり、日本では作者の聖、聖徳太子がこれにあたる。
アレキサンドリアの伝承によれば、ヘルメス・トリスメギストスは3度生まれ変わっている。最初のヘルメス・トリスメギストスはアダムの孫であり、ノアの洪水以前にエジプトを訪れ、錬金術と占星術を講義し、ピラミッドを建造した。トート・ヘルメスが錬金術の父であるのは、地下の鉱物と地上の生命を繋ぎ(かれは両世界の伝奏者である)、死と再生を司る秘術を伝えるものである。地上の事象と天体の運動を繋ぐ占星術についても同様のことがいえる。
2度目のヘルメス・トリスメギストスはバビロンに姿を現し、自然学、医学、哲学、数学を、他ならぬピタゴラスに教えている(ピタゴラスはインドへ渡り、ブッダと輪廻転生について意見を交わす)。
3度目のヘルメスはアレキサンドリア(ギリシャ人のエジプト植民地;おそらくはヘルメスとトートが出会った都市である)で、エジプト人タトとギリシャ人アスクピレオスにヘルメスの奥義を手渡す。アスクピレオスは、アポロンの子にして、医術の神であるが、医師であり階段状ピラミッドの設計者として知られるインポテプをモデルにするという。ヘルメスの杖(カドゥケウス)には、知恵の象徴である蛇が2匹絡まっている(カドゥケウスは現実界では伝令使の持ち物であり、通行手形の役目を果たした)。一方、アスクピレオスの杖には1匹の蛇が絡まっている。
ヘルメス=サタン
「錬金術師たちは、土星(Satan:Saturn)の中に、水星(Mercury:Hermes)が隠されているのではないかと考えた。黒の中の白、鉛の中の水銀(Mercury)。彼は大人の中にいて、いつか大人の皮を食い破って表れる子供だ」(種村季弘)
古代天文学において、もっとも遠くもっとも遅いもっとも暗くもっとも憂鬱に沈んだ惑星:土星(その輪は逃れるのことのできない運命の輪を意味するだろう。永劫回帰:輪廻転生)放射性。物質(たとえばウラノスの石:ウラニウム)の久遠の果ての成れの果てである鉛。そして、もっとも近くもっとも速いもっとも明るくもっとも快活な惑星:水星。液体金属の水銀の運動性、何者のもおかされぬ黄金すら溶かし込みアマルガムをつくるその活性。
「地蔵」は、大地(クシティksiti)の子宮(ガルバ garbha)の意訳である。すべてを飲み込む大地=土がやがて何かを生み出す力を意味している。地蔵は冥界の支配者(Satan:Saturn)=閻魔であるが、また子供の姿で我々の前に表れるだろう。憂鬱の中の快活さ。土星の中の水星。いつか大人(運命)の皮を食い破って表れる子供。