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     物語の半分は、主人公の少女が、毎回その本をどう読んだのか------店主はそれを「ブックガイド」と呼ぶのだけれど------に費やされる。

     これがすごい。

     多分『読書猿』なんか束になってもかなわない。
     この読書感想マンガの感想を書くなんて、何度か書いては消ししたけれど、自分の実力ではちょっと無理だった。

     だが紹介はしたいと思っているので、あと少しだけ何か書く。



    草子ブックガイド(1) (モーニングKC)草子ブックガイド(1) (モーニングKC)
    (2011/09/23)
    玉川 重機

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     無口で人が苦手な本好きの少女。
     時が流れるというよりも降り積もっていくような古書店。
     その奥にたたずむ老賢者のごとき店主。
     おっちょこちょいの若い見習い。
     器量の良くない猫。
     静かに話し始めそうな背の高い本棚。
     
     ああ、それならば知っている、プレイス・オブ・マイ・ハートだ、と本読みのあなたならいうかも知れない。

     だが、この世界はどうやら、あの現実というやつと陸続きであるようだ。

     酒びたりで仕事もしない父親は、少女が本好きであることも知らない。
     母親は仕事を選んで家を出て、今では別の家庭があり娘がある。
     学校には居場所がなくて、生徒は学ぶことを、教師は教えることをあきらめていて、図書館は閑古鳥がないていて、司書教諭もほとんど望みをなくしていて、本はほとんど誰にも必要とされていない。

     本(わたし)は、ほとんど誰にも、必要とされていない。
     
     
     「------本好きは、世界で自分だけと思ったかい?」
     

     自分の不明を気付かせる言葉は痛い。
     本を読んでいると、ひとりで読んでいると、自分がいよいよひとりであると信じられるけれど、さめるには辛く甘美な思い込みだけれど、本を読むことはそのずっと先にも繋がっている。

     
     


     文章を読むときのアタマの情報処理は、大きく分けると次の2つがある。
     文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理と、頭の中の情報を本の情報と結びつける(アタマ→文章)処理だ。
     すぐにわかるように、自分の中に、その本の内容と結びつけるものが少ないと、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理が優勢となる。
     
     実は、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理だけの読書はつまずきやすい。
     頼りになるのが文章から来る情報だけになるから、単語や語句に、文や段落のつながりに、文章のテーマや取り上げられるトピックに、そのどこかに分からないところがあると、途端に理解に支障が出るからだ。
     逆に、自分のアタマから文章へ向かう情報が豊富だと、文章から来る情報に不明な点があっても、何とか進むことができる。
     
     このことは、特に難しい本や外国語の本を読むときには、心にとめておいた方が良い。
     アタリマエのことだけれど、読もうとしている本に関連ある知識を入手しておけばそれだけ、理解は深まり速度は上がり、なにより挫折する可能性が小さくなる。

     具体的なやり方はよし、もう一度→ムリ目な難解書を読む5つの方法 読書猿Classic: between / beyond readers よし、もう一度→ムリ目な難解書を読む5つの方法 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加に書いたので、今回は難しめの本を読む先導になるような入門書を紹介する。

     初回なのでジャンルは哲学。
     メジャーどころの哲学者について一人につき一冊ずつ、手に入りやすさから新書やそれに類するものから選ぶことにした。一応、歴史順で。



    ソクラテス (岩波新書)ソクラテス (岩波新書)
    (1957/01/17)
    田中 美知太郎

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    プラトン (岩波新書)プラトン (岩波新書)
    (1972/10/20)
    斎藤 忍随

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     まずはソクラテスとプラトン。
     もっと新しいもの、たとえば岩波新書でも、藤沢令夫『プラトンの哲学』 (岩波新書)なんかがあるけれど、古い方にした。
     プラトンが書いたものは、読みやすさでいえば、哲学書の中で右に出るものがない。つるつる読める。
     その〈柔らかさ〉に添わせるには、藤沢のは、やや張り切り過ぎている気がしたという、主として叙情的な理由からである。言い過ぎれば、プラトン哲学入門ではあっても、プラトン入門やましてやソクラテス入門にはどうなんだろう、と。むしろブラック『プラトン入門』 (岩波文庫)なんかと比べる本なのだ。
     田中美知太郎のも、斎藤 忍随のも、今読むと、ちょっとほんわかし過ぎの感がある。だが、これからプラトンを読むには、それがいいと思った。




    アリストテレス入門 (ちくま新書)アリストテレス入門 (ちくま新書)
    (2001/07)
    山口 義久

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     対して、アリストテレスものは基本的に講義ノートかメモなので、読み物としてはうまくない。
     なので、こちらはもっときっちりしたのを用意した。
     古い本の対抗馬では出隆『アリストテレス哲学入門』(岩波書店)を考えていたが、これは勝負あった感じ。ちくま新書のを強くオススメする。
     哲学の入門書を何か一冊、という人にも推薦できる出来。



    アウグスティヌス講話 (講談社学術文庫)アウグスティヌス講話 (講談社学術文庫)
    (1995/07/04)
    山田 晶

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     古代ローマの哲学についてはすっとばすことになって心残りだが(ヘーゲルが敷いた哲学史のフレームワークから未だ抜け出せない感じがしてうざい)、この本で気を取り直そう。
     アウグスティヌスに興味がなくてもいい、突き抜けるくらいの秋の晴れた空を思わせるこの本を。
     読みやすい上に感動する。



    トマス・アクィナス 『神学大全』 (講談社選書メチエ)トマス・アクィナス 『神学大全』 (講談社選書メチエ)
    (2009/11/11)
    稲垣 良典

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     同じ著者の『トマス・アクィナス』 (講談社学術文庫)も良いが、今のところ、トマス・アクィナスの入門はこの本で決まりだろう。



    デカルト (岩波新書)デカルト (岩波新書)
    (1966/07/20)
    野田 又夫

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     デカルト自体が〈哲学の入門〉みたいな扱いなので、実際に案外短いし、言葉遣いもそれほどめんどくさくないし、いきなり読めと言われることが多いけれど、入門書となると手薄である。新しい方の
    方法序説 (岩波文庫)の訳者、谷川 多佳子のデカルト『方法序説』を読む (岩波セミナーブックス)は数少ない例外だけれど、軽く触れるだけにとどめて、メインは野田又夫の古い岩波新書を。
     薄い本なのに、怒涛の理解と感動が押し寄せる名品。同じ岩波新書、野田又夫だと
    パスカル (岩波新書 青版 145)も感動ものだが、パスカルについては次で触れる傑作があるので割愛する。



    パスカル―痛みとともに生きる (平凡社新書)パスカル―痛みとともに生きる (平凡社新書)
    (2002/11)
    田辺 保

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     ふつう書評では禁じ手になっている言葉を使おう。
     この本はよい本である。
     従来の日本で読まれてきた『パンセ』の読み方を一新させ、現代的水準に引き上げんとする名著。




    カント入門 (ちくま新書)カント入門 (ちくま新書)
    (1995/05)
    石川 文康

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     この記事を新書中心で書こうと思ったきっかけの一冊。
     カントは、日本だと哲学そのものといった扱いで、その著書も挫折させてきた人の数もおびただしく、入門書や概説書も少なからぬ有様だが、この本はその中でも群を抜いた出来。
     他には黒崎 政男『カント『純粋理性批判』入門』 (講談社選書メチエ)や、ハンス・ミヒャエル・バウムガルトナー『カント入門講義〈新装版〉』 (叢書・ウニベルシタス)




    新しいヘーゲル (講談社現代新書)新しいヘーゲル (講談社現代新書)
    (1997/05/20)
    長谷川 宏

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     正直いうと、「ですます」と「である」が気持ち悪く混じる長谷川 宏のヘーゲルの翻訳は好きじゃない。
     それでも分かりやすいとは思うし、この本もよく書けていると思う。ヘーゲルについて一冊というなら、今はこれ。
     あとは金子武蔵(ヘーゲル『精神現象学』の壮絶な方の訳者)が、長野県南佐久郡で学校の先生たちがやってた勉強会で解き語った口調も楽しい『ヘーゲルの精神現象学』 (ちくま学芸文庫)が読みやすく分かりやすい。



    キルケゴール (センチュリーブックス 人と思想 19)キルケゴール (センチュリーブックス 人と思想 19)
    (2000)
    工藤 綏夫

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     キルケゴールの入門書が意外に少ない。
     みんなキルケゴールなんかに入門したくないのかも知れない。
     だがみんな読まず嫌いだと思う。読めばノリノリで腹がよじれるほどひどい。ニーチェなんか目じゃないほどだ。
     上に上げた本は、もうちょっと落ち着いて学習できる本。




    図解雑学 ニーチェ (図解雑学シリーズ)図解雑学 ニーチェ (図解雑学シリーズ)
    (2002/10)
    樋口 克己

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     ニーチェとなると、やたらめったら本があって、もうどうにでもして、という感じである。
     どうしようもない本が多いけれど(いくらでも勘違いできるところがニーチェがこんなにも好まれる理由の一端だとしてもだ)、趣味に走らずがっちり分かるのに向いた本だと、意外な良書があるこのシリースのこの本が良い。
     この本でなければ、ジャン グラニエ『ニーチェ』 (文庫クセジュ)と、渋いところをあげようと思っていた。
     西尾 幹二『ニーチェ』 (ちくま学芸文庫)も、今はあんなだけど、若い頃はよい仕事をしていたのだと分かる。



    ベルクソン (文庫クセジュ)ベルクソン (文庫クセジュ)
    (1993/05)
    ジャン・ルイ ヴィエイヤール・バロン

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     ベルクソンに入門したいという人がいるとは思えないが、哲学史の鬼門にあたるこの方面を等閑視する訳には行かない。
     ジル・ドゥルーズの美しい本『ベルクソンの哲学』 (叢書・ウニベルシタス)もよいが(ドゥルーズが最良のベルクソニアンであることがよくわかる)、必ずしも読みやすいとは言えないので、上のクセジュのにした。



    フッサール 起源への哲学 (講談社選書メチエ)フッサール 起源への哲学 (講談社選書メチエ)
    (2002/05/10)
    斎藤 慶典

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     フッサールという飛び切り頭の悪い人がはじめた現象学は、その後の哲学すべてを覆いつくさんばかりに広がることになるが、読むとなると極めつけに手に負えない難読書になる(講義もひどいものだったらしい)。
     こういった書物にこそ、先行オーガナイザーが有効で、この記事の趣旨に叶う。
     だが選書には手間取った。正直、他の本ほどの確信がないが、この本を推しておく。



    ハイデガーの思想 (岩波新書)ハイデガーの思想 (岩波新書)
    (1993/02/22)
    木田 元

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     自分だけかも知れないが、こういったラインナップに木田元を持ち出してくるのは、販促もとい反則気味に感じる。
     安易なオチというか、哲学史の本を教えろと言われて加藤尚武『ジョーク哲学史』と答えるあざとさというか、そんな感じだ。
     古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』 (講談社現代新書)の方がよい本だという確信もある。
     だが、木田の本のほうが分かりやすいことは分かりやすいし、読みやすいことは間違いない。説明できることしか書いてないからだが、それも見識ではある。



    図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)
    (2003/08)
    永野 潤

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     サルトルは、あんなに馬鹿みたいに流行する必要はないが、普通に読めば普通の書き手以上に面白い男である。
     時代と一蓮托生にするには、少しだけ勿体無い。
     バルザックと政治的信条を同じくしなくても、バルザックの小説は面白く読めるだろう。それと同じだ。
     実はいろいろと大事な問題を提示してくれたり、抱えてもいる。
     今となっては入門書を探すのは簡単ではなくなったが、こんなところに小さな花を見つけた。良書。



    ウィトゲンシュタイン (現代思想の冒険者たちSelect)ウィトゲンシュタイン (現代思想の冒険者たちSelect)
    (2005/12/16)
    飯田 隆

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     ウィトゲンシュタインは取り上げる必要はない気がしたが、フッサールをあげてしまったことだし、選ぶことにした。
     哲学のことを何も知らなかったこの男は、フッサールのような執拗さとはまた違った歩幅で、哲学のこっちからあっちまでを渡り歩いて行った。哲学を学ばなければ陥るはずのない穴にいくつもいくつも落っこちて、這い上がるたびに紡がれた言葉が、新しい時代の哲学の種となった。
     今時、ウィトゲンシュタインをニーチェのように読む人間はいないだろうが、もう決してそんな読み方ができないようになる入門書を選んだ。
     後、新書だがぜんぜん入門書でない鬼界 彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951 』(講談社現代新書)は、次のオススメ。








    1.紙の真中に縦の線を一本引く。準備はこれだけ。

    2.決定したい事項について、賛成する理由を線の左側に、反対する理由を線の右側に、それぞれ書く*1

    3.一通り出尽くしたところで、今度は賛成理由と反対理由それぞれについて、重要度(重み)をつけ、釣り合う賛成理由と反対理由を相殺する*2

    4.相殺し切ったところで、賛成理由と反対理由のどちらに多く残っているかによって、賛成/反対を決定する。

    以上。





    注)
    *1 創案者のベンジャミン・フランクリン*3は、「数日に渡り,折に触れては、賛成の側、反対の側それぞれに、理由を追加していくように」と時間をかけるよう勧めている。

    *2 ある賛成理由と反対理由が同じ重みなら、両者を相殺するものとして消す。ある賛成理由の重みが、二つの反対理由と同じならば、ひとつの賛成理由とふたつの反対理由を相殺するものとして消す、ということ。

    *3 元ネタはフランクリンが友人プリーストリーからアドバイスを求められた際に返信した以下の手紙から。

    London, Sept 19, l772
    Dear Sir,
    In the affair of so much importance to you, wherein you ask my advice, I cannot, for want of sufficient premises, advise you what to determine, but if you please I will tell you how. When those difficult cases occur, they are difficult, chiefly because while we have them under consideration, all the reasons pro and con are not present to the mind at the same time; but sometimes one set present themselves, and at other times another, the first being out of sight. Hence the various purposes or inclinations that alternatively prevail, and the uncertainty that perplexes us. To get over this, my way is to divide half a sheet of paper by a line into two columns; writing over the one Pro, and over the other Con. Then, during three or four days consideration, I put down under the different heads short hints of the different motives, that at different times occur to me, for or against the measure. When I have thus got them all together in one view, I endeavor to estimate their respective weights; and where I find two, one on each side, that seem equal, I strike them both out. If I find a reason pro equal to some two reasons con, I strike out the three. If I judge some two reasons con, equal to three reasons pro, I strike out the five; and thus proceeding I find at length where the balance lies; and if, after a day or two of further consideration, nothing new that is of importance occurs on either side, I come to a determination accordingly. And, though the weight of the reasons cannot be taken with the precision of algebraic quantities, yet when each is thus considered, separately and comparatively, and the whole lies before me, I think I can judge better, and am less liable to make a rash step, and in fact I have found great advantage from this kind of equation, and what might be called moral or prudential algebra.
    Wishing sincerely that you may determine for the best, I am ever, my dear friend, yours most affectionately.
    B. Franklin