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     以前に、文章トレーニングとして、元の文章の言葉をそのまま使って行う〈縮約〉の話をした。

    30日で達人級の実力がつく日本語トレーニング〈縮約〉はこうやる 読書猿Classic: between / beyond readers 30日で達人級の実力がつく日本語トレーニング〈縮約〉はこうやる 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

     今回は、その続きとして、要約の話をする。


     日常書かれる実用文のほとんどは、何かの要約であるか、一部に要約を含むものである。
     そのため文章を要約する技術は、書き言葉を使った情報伝達に不可欠であり、身につければ今日から役に立つ。
     
     そればかりでない。
     要約は、読み書きに関する基礎スキル(必要な情報を探す、異なるソースからの情報を突き合わせる、異同を確認しどの部分についてはどのソースからの情報を選ぶか選択する、趣旨を変えずに同義の言葉に言い換える、要約するなど)のほとんどを含む、ことばのサーキット・トレーニングにもなる。
     
     以下に、母語はもちろん、外国語の読み書きについても、総合訓練となる要約づくりのトレーニングを紹介しよう。
     
     より実践に近く、(ひとつの文章ではなく)複数のソース(文章)を元に、それらを突き合わせ/つなぎ合わせて、ひとつの要約をつくるものである。
     
     元ネタは英語のアカデミックライティングの教科書にあったものだが、最初から専門文献を素材にするかわりに、同一トピックについての複数の文章を見つけやすいという理由から、ブリタニカやアメリカーナといったgeneral encyclopedia(一般の百科事典)を用いている。
     
     トレーニング素材として百科事典は、

    ○ 一つの記事の長さがあまり長くない(本1冊に比べればはるかに短い。すぐ読めるし、繰り返せる)
    ○ 短すぎない(国語辞典のような2行説明では要約もたいへん)
    ○ 専門以外の人間が読めるように難易度は低く抑えられている
    ○ ちゃんとした書き言葉で書かれている

    など、ビギナー向けの特徴を持っている。
     また探し物の《はじめの一歩》として使うべき百科事典に熟知するにも最適である、という余禄もつく(引いたり読んだりするだけよりも、はるかに効果が高い)。

     かつては図書館へでも行かないと、複数の百科事典を引き合わせることはできなかったが(そして百科事典の選び方ガイドがあるほど、たくさんの百科事典がある国・言語ならではのやり方だと思ったが)、今ではネットに接続さえすれば、どこででも可能となった。




    (1)同じトピックを扱った複数の文章を用意する

     手っ取り早いのは、先に述べたとおり、同じ項目を複数の百科事典で引くことである。
     最初はあまり長くない項目を選ぶ。
     あるいは異同が少ないので、人物を扱った項目を引く。



    (2)読みながらキーワードに線を引く

     元になる文章のひとつを読んでいく。
     読みながら、重要である、あるいは要約をつくる際にキーワードになると感じた言葉に線を引く。
     重要だと思う部分が一つの文だったり、それ以上の長さがある場合も、その中の一語だけに線を引く。
       一語を選ぶのが難しい場合は、とりあえず多めに線を引いておき、最後まで読んだ後、線を引いた部分を読み直して、その中から一語を選ぶ(一語を囲む、二重線を引くなどする)という二段階方式を使う。
      一つの文章についてキーワードに線が引けたら、別の文章についても同じようにする。これを文章の数だけ繰り返す。
     
    ※本当は、線を引き始める前に、すべての文章を軽く見ておいた方が、どこに線を引くべきか判断しやすい。
     しかし、下読みせずに、後で「しまった、先に一通り読んどけばよかった」と一度後悔した方が、下読みの習慣が身につきやすい。
     


    (3)キーワードの重複を数える

     すべての文章に線が引けたら、キーワードを抜き出していく。キーワードの横には、いくつの文章に含まれていたかを数字で書く。たとえば用意した3つの文章すべてに、そのキーワードが含まれていたら「3」を、2つの文章に含まれていたら「2」を、1つの文章だけに含まれていた場合は「1」を、キーワードの横に書く。
     
     時には、複数の文章で登場するにも関わらず、(接続詞や助詞、助動詞、指示詞などの機能語は除いて)自分がキーワードとして抜き出せていない言葉があることがある。
     大うっかりによる読み落としの場合もあるが、多くは当たり前すぎて背景に沈んでいた言葉である。
     そうした言葉については、改めてキーワードとして抜き出すか検討する。



    (4)キーワードを使って文をつくる

     そうして拾い上げたキーワードをつかって1文ずつ、要約の元をつくっていく。
     まず、キーワードをいくつかを使って、どうしても落とせない内容を表す一つの文をつくる。
     一文を完成させてから、さらに追加したい内容について、キーワードを使って一文をつくる。
     これを使っていないキーワードがなくなるまで続ける。
     この段階では伝える順序や構成は考えなくてもよい。
     


    (5)構成を整える

     キーワードを使って文をつくる作業が終わったら、必要ならば、文を並べ替え、接続詞を加えて、構成を整える。


    (6)原文を読み返しチェックする

     元になった文章と、できあがった要約を読み比べ、内容・表現の過不足などを確認する。



     慣れてきて、もう少しトレーニングに負荷を加えたい場合は、キーワードの拾い出しと、文章づくりの間に時間を空ける。
     たとえば数日空けて、元の文章の記憶が薄れると難しくなる。



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    ぼくは読むことも学ぶことも苦手だった/弱点は継続するための資源となるということ 読書猿Classic: between / beyond readers ぼくは読むことも学ぶことも苦手だった/弱点は継続するための資源となるということ 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加
    が、精神論ばかりで具体性がない、といわれたので、何から読み始めたかを書いてみる。
     

     当然すべてを書くことはできないので(できたとしても、とても読めるものにはならないので)、ターニング・ポイントになったと思われる何冊かを挙げる。




    1.コロ助の科学質問箱

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     私見では、学研まんがひみつシリーズが生んだ最高傑作。

     色々な疑問を取り上げ科学に検証するという筋立てで、たくさんの疑問をオムニバス形式でとりあげていく。
     登場人物のコロ助、ニャーゴ、チュー助の3人(?)が、疑問について意見をぶつけ合い、つまり先に自分たちでディベートしてから、大学や博物館の先生に聞きに行く、という展開も素晴らしい。というか、その後、多くの学習まんがの範例となった。

     1つのトピックが、短いもので1ページ、長いものでも6ページという分量でまとめられているところも、読めない自分には優しい仕様だった。

     最初に読んだのは従兄弟の家で、自分の本ではなかった。
     あまりに熱心に読んでいるので、あげるから持って帰れ、みたいなことになった覚えがある。

     そんな訳で、自分にとっての最初期の「読書」は、まんがひみつシリーズを読むか、同じく学研の図鑑を眺めるか、どちらかを意味した。

     次点は、同じ内山安二の、センス・オブ・ワンダーに満ちた『できる・できないのひみつ』。
     これも、なんでも否定する口癖がそのまま名前のデキッコナイスと、なんでもできると言い張り実際にやってみてしまう少年ヤッ太の、ディベート仕立て。「地球のうらがわまであなをほって荷物を送れるか?」って実際に掘ってしまう。

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    2.現代用語の基礎知識

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     辞書を読む、という記事を何回か書いたことがあるが(たとえばこれ)、自分にとってのルーツはこの本である。

     もちろん通読した訳ではなかったし、自分の本でもなかった。

     父親と本屋へ行った時だった。
     「若い頃買ったことがある」と言い、こちらの顔を見て、「久しぶりに買ってみるか」と言って、父がレジに持っていったのがこの本だった。

     当時、クラスメイトに、どの戦闘機がどうのこうのと語る人がいた。
     新谷かおるの『エリア88 』が連載中だったと思う。
     なので、うちにあった『現代用語の基礎知識』を学校に持っていった。
     軍事用語のページに、簡潔ではあるがそこそこ詳しく、彼がいう戦闘機のすべてが載っていた。
     彼も、他のクラスメイトも、それから自分も、ジテンというのは、大人が「自分は知らない」という代わりに使う「ジテンを引け」というフレーズにだけ登場するものだと思っていた(ジテンは無知な大人の換喩だった)。
     自分たちが話題にする/知りたいと思うことが載っているなんて、想像だにしなかったのだ。

     しばらくの間、クラスの男子限定で『現代用語の基礎知識』の局地的なブームが起こった。




    3.エヌ氏の遊園地

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     「ひみつシリーズ」と学研の図鑑と『現代用語の基礎知識」のせいで、子供の頃の自分は、どちらかといえば物知りで、本を読む方だと思っていた。
     それが大きな勘違いであることを知る時が来た。

     「読書の習慣をつけよう」という呼びかけで、昭和の営業マンの業績グラフのように、教室のうしろにクラス全員分の大きな読書グラフが貼られる事になった。
     グラフの下には出席番号順で全員の名前が並び、1冊読むことに(自己申告で)1枚の小さなシールを貼っていくというものだった。
     たくさん読んだ人の名前の上には、何枚ものシールが上に向かって高く伸びることになる。
     抜きん出て読んでいる人が悪目立ちしてイジメにあったり、嘘をついて読みもしないのにどんどんシールを貼っていく行為が頻発したり、ということはなかった。
     ただシールには種類があって、読んだ本によって、貼れるシールの色が決まっていた。
     詳しく覚えていないが、字だけの物語が金色で、マンガは何冊読んでもカウントされなかった。図鑑もジテンも同様だった。
     今考えると、自分にとっては恐ろしく不利なレギュレーションだった。事実、グラフはちっとも伸びていかなかった。
     文学至上主義の学校国語色が前面に押し出されていて、今思うと気色悪い。
     これもずっと後で知ったことだが、どこの社会でも男子は女子に比べて読書経験が少ないという結果が出るが、その一因は読書の研究者が考える読書の範囲を狭くて、男子がよく読むもの(たとえばガジェットのカタログやマニュアル)がそこから除かれているせいもあるらしい。 

     しかし当時はそうは思わず、道理でクラスの読書好きな連中と話が合わないわけだ、と今さらながらに思った。
     当時は、物語や小説を単に読まないだけでなく、読み始めてもつまらなくて(内容が頭に入ってこなくて)読んでいられなかった。
     
     そこから、本が読めない子のファースト・ブックとして定番の、星新一のショートショートにどうつながるか、よく覚えていない。
     ただ「星新一」や「ショートショート」という言葉よりも前に、「こういうのを新書という」と父親に言われた覚えがある。
     つまり新書すら知らなかったのだ。
     


    4.あしながおじさん

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     この本のことは、メルマガ「読書猿」の第1号最初に書いた。
     今書いてもおそらく同じことを書くだろうから、再載する。


     主人公の女の子はそのうちに、小説家になったり、玉の輿にのったりするのだけれど、そんなことはどうでもよくて、「みなしご」ではなかったけれど、字を覚えるのだって遅かったし、それに一冊を読み切る根気をついぞ身につけなかったおかげで、ずっと本を読まなかったし、読めなかった自分には、これは「遅れてきた読書家」の物語なんだと思えてしまう。

     孤児院出身で、大きくなってからもそこで手伝いなんかしていて、外の世界を知らなかった(それに本なんて読む暇がなかった)女の子は、ひょんなことから、お嬢様な学校へ通うことになるのだけれど、そこで彼女は自分が「あまりになんにも読んでいない」ことに呆然としてしまうのだ(そしてそれは、本を読もうとする誰もの「呆然」ではないか)。
    「マザー・グース」も「デヴィット・コパフィールド」も「アイヴァンホー」も「シンデレラ」も「青ひげ」も「ロビンソン・クルーソー」も「ジェイン・エア」も「不思議の国のアリス」も……。

     利発な彼女のことだから、その「欠落」を取り返すべく、猛然と〈読み〉を開始するのだけれど(そして凡百のお嬢様方をかるく凌駕してしまって、学内誌に「作品」を載せるまでになっちゃうのだけれど)、それよりもなによりも、ドレスに心躍らせるのと同じくらい(いや、それ以上に)胸高鳴らせてページを繰り、スチーブンソンの物語のことを、あるいは「ねえ、ハムレットって読んだことありますか?」と、いちいち書き送る喜び一杯の彼女に心うたれる。このメールマガジンは何しろ「本の雑誌」なのだから、まずは本を読むのが大好きな彼女にご登場願おう。

     「わたしの愛読書ってなんだと思う?つまりたった今の。三日ごとに変わるんですけど」
    (「あしながおじさん」谷川俊太郎 訳)





    5.知的トレーニングの技術


    知的トレーニングの技術 (1982年)知的トレーニングの技術 (1982年)
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     最初に、本を読むことや学ぶことを〈技術〉として考えるきっかけを与えてくれたのは、自分にとっては 田中菊雄『現代読書法』でも梅棹忠夫『知的生産の技術』でも 外山滋比古『思考の整理学』でもなくて、この書物だった。

     読むことが、本に書いてあることを自分の頭に入れるというだけでなく、世界のどのようなところに/どのような世界に、つながっていくのかを感じることができた。

     目次にいちいち惹句がついている。この本の持つ雰囲気がよくわかるので少し写してみよう。

    第1部 準備編 知的生産、知的創造に必要な基礎テクニック11章
    ◯志をたてる……立志術
      それはいま宙づりのモラトリアム状態からあなたが脱出するための第一歩だ。
      中国の賢人・孔子のライフ・タイム・スケジュールから学んでみる。

    ◯人生を設計する……青春病克服術
      革命的な『相対性理論』を構築したあとのアインシュタインの知性は、
      30年間、袋小路を歩み続けた。

    ◯ヤル気を養う……ヤル気術
      ポール・ヴァレリーが「朝のみそぎ」と呼ぶ、彼の知的習慣は、
      ヤル気術の典型例といえるだろう。

    ◯愉快にやる……気分管理術
      漱石の絶望的な“不愉快”は、何が原因だったのだろうか?
      “不愉快”を知的創造エネルギーに転化させる方法は?

    ◯問いかける……発問・発想トレーニング法
      問いは知的好奇心から生まれる。知的好奇心は、知の空白部分から出てくる。
      そのために、自分の知的マップが必要だ。

    ◯自分を知る……〔基礎知力〕測定法
      ほんとうの知的「脚力」は、漢字の知識まで必要になってくる。
      知性の飛躍のためには、そこまで必要だ。

    ◯友を選ぶ・師を選ぶ……知的交流術
      自分と異なる分野の知人をつくること、同学の士をつくって協力すること。
      そして、異なる専門分野のひとたちが集まって共通テーマを研究する学際集団をつくること。

    ◯知的空間をもつ……書斎術
      書斎は自分の知的能力の空間的拡張だ。頭脳と手足の延長だ。
      そして、部屋全体を思考させることが必要だ。

    ◯文房具をそろえる……道具術・保管術
      ペンやハサミのように手の延長に属する「筋骨系統」のものと、
      バインダーやファイル・ボックスのように保管を目的とする「脈管系統」のものとに大別する。

    ◯本を並べる……配架術
      愛書家の書斎が、いつしかスエたようなカビくさい古本屋さんの匂いを
      漂わせてくるようになるのは避けられない。

    ◯事典をそろえる……知的工具術
      語学の上達するひとは、辞書のめくり方ひとつとっても、実に見事なものだ。
      指にすいつくようにページがめくられる。


     もちろん悪い影響も受けていて、たとえばこの本を読んだおかげで、しばらく百科事典を軽視するようになってしまった。

     このブログにある知的生産っぽい記事は、この本の(ネットがある時代の)増補改訂だと思って書いている。
     


    6.イラスト西洋哲学史

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     右も左も分からない頃、最初に読んだ哲学史。
     前の本と宝島つながり。前の本は古書で求めるしかないけれど、こちらは文庫になって出ている。

     小阪修平もやさしく書こうとしているが、難易度もカバーする範囲(タレス〜ヘーゲルとその後の数人)も、今思うと概ね普通の水準である。
     とすると、長所は、静かで扇情的で時には理解を助けることすらある、ひさうち みちお のイラストである。
     
     しかし、分かりやすく説明しよう(悪くいえば、難しく言うのはやめよう)という小阪修平の文の印象が薄いのは、この後、頭をかち割るような分かりやすさである九鬼周造の『西洋近世哲学史稿』(平賀源内の放屁論に始まりヘーゲルの手前で終わる)を読んで印象が上書きされているからもしれない。

     いつか『史稿』の文体と攻撃的な分かりやすさで、オールタイムの思想史・哲学史が書ければいいのだけれど。




    7.エーコ『論文作法』

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     人文系の文献探索から論文執筆まで、ものすごく具体的に書いてある。
     実は、あまりに具体的なので、最初はよく分からなかった。

     たとえば碩学なエーコが持っている哲学、美学、文学に関するほとんどの知識を、高校卒業程度にしか知らないことにして封印して使わずに、公立図書館もない人口1000人の田舎町(やたらの具体的なエーコは「北モンフェッラート村」と記す)に暮らしている、大学に入学したもののほとんど学校に足を運んだことがない勤労学生が半日の年休を3日とれるとして(3時間×3回分=9時間で)、アレッサンドリア(イタリア共和国ピエモンテ州アレッサンドリア県の県都、人口9万人、北モンフェッラート村から23kmの距離)の公立図書館だけをつかい、卒論の構想をつくることができるかどうかを、実際にやってみせる。
     無人惑星に不時着したキャプテン・フューチャーが、ハンマー2本から始めて、どうにかして宇宙船をつくり脱出するように、徒手空拳のハンディを負ったエーコは無事、卒論の構想を作り出すことができるだろうか。

     ここでエーコは、件の学生の設定を順守し、気の利いた司書も、役立つ割には知られていない主題別文献目録もスルーして、参考図書室に赴き百科事典を引くところから始める。
     しかしエーコが手にするトレッカーニ(l'Enciclopedia Italiana di scienze, lettere ed arti(イタリア学術・文字・芸術百科事典)。ファシスト党時代に編集されたイタリアの文化や芸術にやたらと強い百科事典)を実地に見たことがないので、それどころかどういう事典なのかも知らないので、想像が追いつかないのである。
     人口9万の町の図書館に、ちゃんとした参考図書室があって、そこで開いた百科事典の項目には、マリオ・プラーツ(ヴィスコンティの映画『家族の肖像』のあの老教授のモデルにもなった美術史家・文学研究者)がすばらしい項目を書いていたりするのが、少々出来すぎに思えてしまう。
     結局、プラーツのこれと全10巻のイタリア文学史 Storia della letteratura italiana の中にあったフランコ・クローチェが書いた50ページほどの項目が、決定的な手がかりとなって、必要な文献の7割ほどが見つかる決定的転機となるのである。
     けれども、数式に数値を代入して自分で計算してみないと身にしみて分からないように、エーコの実行した一歩一歩を、日本語で日本の図書館で自分の体を使ってやってみることで、多くを得ることができた。たとえば図書館の力や日本の百科事典の実力(なかなか捨てたものではない)がよく分かった。

     今では、世界の図書館の蔵書を自宅に居ながらにして検索することができるし、なによりトレッカーニもネット上でフリーで公開されているから(http://www.treccani.it)、エーコのロールプレイングを追体験することはずっと容易になった。
     プラーツの書いた'secentismo' (セチェンティズモ、17世紀様式)の項目はここ



     そして、この後ぐらいに、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義 』『ロシア文学講義』が来る。
     忙しい読者のために今日の記事を要約すれば
    「ナボコフの文学講義が文庫になった。すばらしい本だから、とにかく読め」
    である。

     しかしこれだけでは何も伝わらない自信がある。

     これだけでうなずいてくれる人はそもそも、ナボコフの文学講義が文庫になったことなど、読書猿に言われるまでもなくご存知だろう。
     というか、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義 』も『ロシア文学講義』も『ナボコフのドン・キホーテ講義』も、とっくの昔に読んでいるだろう。


     だからオススメする相手は、別の人たちである。

     そんな訳で、いくつかのバージョンを書いてみた。それぞれは独立して読めるはずである。
     成功している気がしないのは仕方がないが、それでも「こんな本があるなんて、どうしてもっと早く教えてくれないんだ」という批判は回避できると思う。
     
     ちゃんと言ったからな。


    ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)
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    ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)
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    ※『ナボコフの文学講義 上/下』(河出文庫)は、『ヨーロッパ文学講義』(ティビーエス・ブリタニカ, 1982.7→新装版1993.4)の文庫化である。



    1:

     読むことに慣れた言語の場合、我々は一つ一つの文字を拾い上げて読んでいるわけではない。
     なれない言語を読むときのような、そうした読み方では、文字を追うのに精一杯で、言葉のつながりや、そのつながりが全体として表しているものについて、十分な注意を振り向ける余裕がないだろう。
     当然、文章の内容をうまく受け取ることができない。
     遅く読んでも、理解の水準は低いままである。
     
     その言語を読み慣れた読み手は、すべての文字や言葉を同じようには扱わない。
     大事な部分を中心にいわば拾い読みしつつ、自分の中にある言葉や知識の蓄積でもって補完しながら読んでいく。
     だからこそずっと速く、理解を損なわずに読んでいくことができる。
     
     しかし更に熟達した読み手は、拾い読みと補完でできた自分の読み癖を、読んでいる対象に合わせて作り変えながら読む。
     自分のいつもの読み癖を使っていては、十分に理解できないものを読んでいるのだと知っているからだ。
     こうした読み方ができると、いままで読めなかったテキストを読みこなせるようになるだけではない。
     自分の読み方のスタイルを広げることは、自分の思考のスタイルを広げることでもある。

     精緻に読むことができる人は、精緻に考えることができる。
     おおざっぱなあらすじしか拾えない読み手には、誰かと似たり寄ったりの、あらすじ的思考だけが待っている。
     

     ここでいつもなら読書技術の10冊みたいなリストが続くところだが、吉川幸次郎『読書の学 』(ちくま学芸文庫)やラルボー『罰せられざる悪徳・読書』 (みすずライブラリー)や渋江抽斎『読書指南』や内田義彦『読書と社会科学 』(岩波新書)やどこかの厭世思想家の『読書について』なんかキャンセルしてでも読むべき一冊が近頃、ふたたび書店で手に取ることができるようになった。
     長らく本屋から消え、知る人の間で高値で取引されていた好書であるが、いくつかの理由から、この書を必要としている人の目を回避する恐れがあるので注意を喚起したい。
     
     もしも読書初心者という生暖かいポジションを手放す覚悟ができたなら、真っ先に手にすべき本がある。
     著者は小説家で、題材は誰もが知っているような有名どころの小説ばかりだが、およそ文学に親しみを感じない人にこそ、文学村の連中がずるずると引き回す曖昧で恣意的な物言いに辟易している人にこそ、読んでもらいたい。
     ナボコフがやっていることは、小説を丁寧に、恐ろしく丁寧に、読む。ただそれだけだ。
     精確に読むことが、ほとんどあらゆる〈読み物〉よりも(ジェイン・オースティンよりはもちろん、ある瞬間にはチャールズ・ディケンズよりも!)、はるかにスリリングで愉快で知的興奮をもたらす営みであることを痛感するだろう。
     そして何よりも、あなたの読書スキルはその時、格段に上がっているはずだ。
     保証する。
     


    2:

     ものの見える人の存在(たとえ側でなくても、ただ居てくれること)がありがたいのは、「そんなにも広く深く物事を見ることができるのか?」と、その可能性に驚嘆するだけでも、我々をいくらか前や斜め上に進ませるから、それだけでも我々の認識は広がり深まるからである。
     
     たとえば短いものだと、幸田露伴の「望樹記」という随筆。
     庭にある一本の倒木に始まって、その根から土の下、地下水とその水位、東京の水利と治水へとパノラマは展開していき、最後にまた、一本の庭木に戻る筆の運びは、あまりに日常すぎて見過ごしてしまう目の前の光景を、地下のように目が届かないところで生じているものや、橋げたが一つ増えるたびにわずかに上がる川の水位のように微小すぎて見えないもの、さらに東京という都市をマクロに捉えることなしには見えないものへとつなげていく。
     樹を通して、遠くを眺め、また見えないものを見ようとする、まさに望樹記。

     小説という人の手になるものについて、さらに広く深い(そして細かい)見る/読むことの可能性に驚嘆させるものがある。
     確かにそこに書いてあるのだが、読み飛ばし/読み忘れ/読み落としていた細部が、それもごくごく微細なものが、あらぬところと結びつきながら、その全体の有り様を、まるで違ったものにしてしまうような読み。
     著者は、何か切れ味のいい理論や概念を振りかざしたり振り回すのではない(当然ながら、その反対の立場に立ち、理論家たちの不躾な読み解きを断罪する)。
     手にしているとしたら、先の細さが見えなくなるほどの針。
     その針の先を何度も作品に入れることで、細部をさらに細かく腑分けして、その襞を開いていく。
     辛気臭い? その逆なのだ。
     この恐るべき精度の作業が、実に軽やかに楽しげに、進められていく。
     我々が襞の深さを知るのは、口笛のような語り口と、次々に繰り広げられる謎と謎解きとに、夢中になってその中に進んでいった後だ。
     
     
    3:

     「文学」と聞くと、それだけで嫌な顔をする人も多いだろう。
     それどころか嫌な心持ちになる人も少なくないだろう。
     
     何の役に立たないだけならまだしも、時間がかかる上に、どうしようもないことに恐ろしくつまらない。
     さらに輪をかけて、文学を論じることの残念さときたらもう。
     どんなに面白くってわくわくするような作品も、ポテトチップスに風呂の湯を注ぐよりもひどく、台無しになってしまう。
     
     そんな訳で、今日では小説や詩をつくる人たちですら、文学を避けて通る。
     自分のやってることやつくっているものが、文学呼ばわりされたりしたら目を剥いて否定する。

     この者達に幸あれ!
     
     我々はむしろこの隙に、文学という悪場所に手をつっこみ、ナボコフを手に取ろう。
     作品を論じることが、いつもいつも作者を墓の下で悲しませるばかりではないことを、時に作品のおもしろさをさらに増すことさえあることを、知るために。