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     理解は記憶の最大の援軍であるが、記憶もまた、ある水準を越えると、理解を助けることができる。

     このことは、とりわけ独学者にとって朗報だ。
     理解を助ける直接的な支援=誰かに教えてもらうことが難しい独学者にとって、他に打つ手があるということだから。

     しかし理解を助ける域にまで記憶が達するには、正確かつ高速に想起することができる必要がある。
     流暢に引き出せる知識は、忘れにくく、妨害されにくいだけでなく、応用されやすい。

     思い出すことを要しないほど定着した記憶は、認知リソースをほとんど消費しない。
     したがって、そこで浮いた分を複雑な処理に回すことができる。

     例えば、掛け算の九九をマスターした人と、7×6を7を6回足して計算する人が、同じ方程式を解くことを想像しよう。
     九九をマスターした人は、ただ解くのが速いだけでなく、正確であり、より楽により複雑なものを処理できる。
     7を6回足すのに費やされるワーキングメモリや注意(これも重要かつ限りある認知リソースだ)を、別のことに用いることができるからだ。

     単純な事項を反復訓練するだけで、文章理解や問題解決のような、より複雑な行動のパフォーマンスが上がることがあるのは、こうした理由からである。



    記憶に最適なスケジュール

     しかし、覚えることに望外の効果があるとしても、その覚えることこそ難所ではないか?

     繰り返せばよいというが、多くのことを覚えようとすれば、そのループの期間は長くなり、最初に覚えたことを忘れてしまっている。
     忘れたことを覚える、覚えたことを忘れる、の繰り返しで、ある程度以上は先に進めない。
     効果が感じられない。やり甲斐がない。続けるのがつらい。やめる。そして忘れ続ける。ついには、何もやらなかったのと同じになる。嫌になる。学ぶことなんてムダだ、二度とやるもんか。


     対処法を示そう。

     まず知っておくべきは、《忘れるのは、人間の仕様である》ということである。
     そして、それに打ち勝つことができるのは、繰り返すことだけである。

     さまざまな記憶の方法(方略)が存在するが、我々に必要なのは、見世物としての記憶術や記憶のスプリント競技に必要な、円周率を何桁も覚えるような少種類大容量タイプの記憶術ではなく、いろいろな種類の事項について長期に維持しメンテナンスできるような記憶方略である。

     ここでいう記憶のメンテナンスは具体的にいえば、繰り返し思い出すことで、記憶の内の優先順位を上げて、取り出しやすくすることを意味している。

     では、多くのことを覚えようとすれば、そのループの期間は長くなり、最初に覚えたことを忘れてしまうという問題はどうすればよいのか?

     忘却するという人間の仕様を、もう少し詳しくみることで対処法がわかる。
     時間が経つに従って忘却し続けるが、その忘却の度合いはゆるやかになっていく。
     この忘却スケジュールに照らすならば、復習のタイミングもまた次第に間隔を広げていくことで最適化できる。

     このスペースド・リハーサルと言われる復習タイミングの方法については、何度か書いてきた。

    復習のタイミングを変えるだけで記憶の定着度は4倍になる 読書猿Classic: between / beyond readers 復習のタイミングを変えるだけで記憶の定着度は4倍になる 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加
    1年の計はこれでいく→記憶の定着度を4倍にする〈記憶工程表〉の作り方 読書猿Classic: between / beyond readers 1年の計はこれでいく→記憶の定着度を4倍にする〈記憶工程表〉の作り方 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加


     単純な暗唱ものから文章理解から技能習得に至るまで有効な方法だが(そしてほとんどの記憶術/記憶方略と併用可能である)、最大の欠点は〈面倒くさい〉ことである。

     最初のうちはいいが、学習をはじめて何十日か経つと、復習すべき項目が〈1日前覚えた項目〉〈3日前覚えた項目〉〈7日前覚えた項目〉……と積み重なってきて、しかも復習までの期間が広がっていくわけだから、とっさに今日はどれを復習すればいいかが分かりにくくなる。

     だったらコンピュータに復習タイミングの管理を任せられないかとは、誰しも考えることだが、スペースド・リハーサルを取り入れた単語帳ソフトSuperMemoが1985年に商品化され、その後Ankiというオープンソースでマルチプラットフォーム(Windows、Mac osx Linux、FreeBSD、iPhone、Android、ノキアのMaemo(マエモ)で動く)のソフトが登場した。



    Ankiによる後退しない学習

     Ankiの使い方は簡単である。

     覚えたいコンテンツをダウンロードなり入力するなりしておけば、カードの表が表示され、それを見て裏側を思い出す。
     正解だったか間違いだったかを、クリック/タップすれば、正答率に基づき、最適化されたスケジュールで(当然、間違えたものはより早いタイミングで、正解だったものはより遅いタイミングで)、それぞれのカードは再登場する。

     携帯端末にAnkiを入れておけば、たとえば乗り物待ちのわずかな時間に数枚のカードを復習することができる。
     あとでその日の学習結果をグラフで見ると、そんなすきま時間だけで合計39分で356枚のカードをこなしていることが分かる。

    anki-統計(一部)


     我々の目標は、単にうろ覚えすることでなく、正確かつ高速に想起できるようになることだから、慣れていけばいくほど、こなせるカードの数は増えていく。

     もちろん、もっと忙しい日や体調が悪い日もあるだろう。しかし机に向かって勉強する/しないの、大きな単位のゼロか100かでなく、Ankiによる学習は最小単位が数秒で済む1枚のカードなので、日によって5や10になることはあってもゼロにはなりにくい。

     そしてこれが重要なところだが、Ankiに入力した事項は、あなたがAnkiを使い続ける限り、もう二度と決して忘れないのと同じだと見なせる。
     今の時点では覚えていなくても、遅かれ早かれ、何十回と思い出す作業を行う中、嫌でも覚えることになる。
     そして忘れようにも、忘れかけた頃に再び登場して、思い出すことを求めるのだから、忘れることができない。いや、たとえその時忘れていたとしても、その時は間を置かずに繰り返し再登場するのだから、やっぱり覚えてしまうしかない。

     Ankiは、あなたが止めないかぎり(止めたとしても再開すれば)、いつまでもあなたに付き合う。



    Ankiで何ができるか?

     シンプルな機能であり、応用は様々であるが、例としていくつかあげてみる。


    ◯外国語の文字

     ロシア語やアラビア語は、文字から覚える必要があったで、カードの表に文字を、裏に文字の呼び名や発音を入れた。
     ロシア語のほうが、由来の外来語や知っている固有名詞も多いので、外来語/固有名詞の綴りをカードの表に、裏にそのローマナイズと外来語を書いた。

    根気も時間もないあなたが外国語習得の臨界点を越える一番ゆるいスタートアップの方法 読書猿Classic: between / beyond readers 根気も時間もないあなたが外国語習得の臨界点を越える一番ゆるいスタートアップの方法 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加




    ◯外国語の単語・短文

     外国語の短文記憶は、語学における九九にあたる。
     
     慣れない言語を、我々の脳が扱うバッファは驚くほど小さい。
     当然、処理速度は遅く、読んでも遅々として進まず、会話も速すぎると感じて、着いていくことができない。

     アルファベットを覚えたての段階では、我々は1文字ずつ写すことしかできない。
     やがて慣れてくると、1語ずつが扱えるようになり、さらに進むと数語を一度に扱えるようになる。

     短文を反射的に想起できるようにすることは、一度に処理できるバッファの容量を増やすことである。
     覚えるなら、自分のバッファぎりぎりのものを選ぶと良い。
     バッファの容量は、外国語の文を見て書き写す時、いくつの語一度に書き写せるかで分かる。
     4語程度のバッファしかないのに、10数語でできた長めの文章を覚えるのはつらい。
     それよりも短い文の、想起の正確さを速度を高めることから取り組んだ方が効率が良い。
     Ankiはこうした用途に向いている。


     さて、Ankiでは、カードの内容と、レイアウトその他を含むカードのテンプレートは、別の階層になっている。
     複数のカードに共通する事項は、テンプレートに記入することで入力の労力を少なくできる。
     また、ひとつの単語帳(カードデッキ)には、いくつのテンプレートでも使うことができる。

     よく使われるテンプレートはすでに用意されている。
     たとえば表裏両面のテンプレートを使えば、表に外国語、裏に日本語を入力するだけで、外国語→日本語と、日本語→外国語の2枚のカードができることになる。

     下の例は、google翻訳を使って発音する機能を埋め込んだものである。
    (参考:Anki日本語マニュアル Wiki* etc/AnkiTips/語学 発音させる

    Anki-arab-temp.png

     これをテンプレートに入れておけば、カードに単語や短文を入れておくだけで、音声ファイルを用意しなくても合成音声による発音をさせることができる。



    ◯プログラミング言語(穴埋め&入力)

     Ankiでは、カードの表/裏を使うだけでなく、穴埋め問題を作ったり、入力を求めて合っているかどうかをテストするカードも作ることができる。

     以下の例は、穴埋め問題 と キー入力 を組み合わせたテンプレートをつかい、Javaについてのカードを作ったもの。
    (参考:Anki日本語マニュアル Wiki* etc/AnkiTips/プログラミング言語


    Anki-java.png

    そのテンプレート

    Anki-java-temp.png


     本やサイトに載っているサンプルコードをもとに、何を答えるべきかをコメントで書き、憶えたい単語 (コマンドや関数名) を穴埋めにすることで、数理系を含む「指が憶える」系の知識を習得することもできる。

    (参考)
    プログラミングの学習を劇的に効率化する「Janki」メソッド : ライフハッカー[日本版] プログラミングの学習を劇的に効率化する「Janki」メソッド : ライフハッカー[日本版] このエントリーをはてなブックマークに追加



    Ankiの入手先とマニュアル

    (本家サイト;ダウンロードもここから)
     http://ankisrs.net/index.html

    (日本語ユーザーマニュアル)
     http://wikiwiki.jp/rage2050/?manual

    AnkiMobile Flashcards App

    カテゴリ: 教育

    価格: ¥2,200




    アンキドロイド単語帳
    Nicolas Raoul
    価格:無料




     精読とは、ただ細かく詳しく読むことではない。
     
     テキストに徹底的に寄り添いながら、そこに書いていないことを、読み手自らが補完しながら読むことである。
     
     こうした読み方は、あなた向けに書かれた訳ではないものを読むときに必要となる。
     
     時代背景も、直面している課題も、異なる時間空間で書かれたテキスト(たとえば古典)は、このようなものの一例である。
     以前書いた言い方を繰り返せば、
     プラトンはあなたのことなど何も知らない。
     デカルトはあなたを読者として想定していない。
     
     逆に、完全にあなたのために書かれたあなた向けのテキストを読むときには、こうした読み方をする必要はないだろう。
     書き手は、あなたが何を知っているか/知らないかをある程度理解しており、あなたに理解してもらうためには、どのようなことが前提にできるか/できないかについても知っている。
     理解に必要なことで、あなたが知らなさそうなこと、知っているとは前提できないことは、あなたが知っていることだけを前提にして説明してくれるだろう。
     
     しかしまた、こうした親切な書き手やテキストは、あくまで理想にとどまる。
     書き手は読者を想定するが、それはあなたに完全に当てはまるものではない。
     複数の読み手を期待するテキストであれば、あなたのためだけに書かれたものではない。あなたの知識や読書スキルは、書き手の想定内に収まる部分もあれば、はみ出す部分もある。
     著者から投げられたボールは、あなたを目掛けて投げられたものであっても、必ずしもあなたが構えたグローブの真ん中に向かって飛んでくるわけではない。
     受け取るためには、受け手の方もいくらか動かなくてはならないのだ。

     つまり現実には、どのようなものを読んでも、程度の差こそあれ、補完する読み=精読は必要となる。
     

     とはいえ、精読の必要を繰り返すだけでは、スローガンにもなりはしない。
      
     さて元々、外国語の文法訳読法は、こうした補完する読みとしての精読をトレーニングする機会であった。

     今回は、書かれざるコンテキスト(文脈)を補完しないと単語を知っていても構文が取れても意味が取れない英文とその読み方を、英文解釈の最高水準書のひとつ
     
    英文の分析的考え方18講―英文解釈・古谷メソッド・完結篇英文の分析的考え方18講―英文解釈・古谷メソッド・完結篇
    古谷 専三

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    を題材に紹介する。
    (『英語リーディング教本―基本からわかる』の薬袋善郎氏は、晩年の古谷専三に教えを受けた経験を語っている)

     
    例文と直訳

    (1)I was a little older than my brothers, though, and my feelings were mixed.
    (2)I loved Mother and hated to disappoint her, but I couldn't respond as easily as the other boys to her gentle appeals.
    (3)I never seemed to have the emotions that she waited for me to show.
    (4)I wish now that I could have listened uncritically and have thought only of the look in her eyes.
    (5)What difference need it have made to me whether the stories Mother thought lovely seemed less so to me?
    (6)But there I sat staring uncomfortably at the carpet and trying to avoid answering questions.

    (直訳)
    (1)けれども、私は兄弟より少し年上で、私の感情は複雑だった。
    (2)私は母を愛していたし、彼女を失望させるのは嫌だった。
    (3)しかし母のやさしい訴えに対して、他の少年と同じくらい容易に答えることはできなかった。
    (4)彼女が私が示すことを待っているような感情を、私は持つとはまったく思えなかった。
    (5)私は、無批判に聞くことができ、彼女の目に映る姿だけを考えることができればよかったのにと、今となっては思う。
    (6)しかし私はそこに座って、居心地悪くカーペットを見つめながら、質問に答えることを避けようしていた。




     単語に関しては、あまり難しいものはない。
     9割はGSL(General Service List)1000語以内だし、GSL2000+AWL(Academic Word list 570words)に入らない6語(appeal、emotion、uncritically、stare、uncomfortably、carpet)もよく見かけるものだ。

     単語レベルについてはVocabProfilers Englishで簡単に調べることができる。
     またGSLやAWLについては以下の記事が参考になるかもしれない。
    日本の英語教育が落っことしがちな英単語最頻出2000語を7クリックで覚える表 読書猿Classic: between / beyond readers 日本の英語教育が落っことしがちな英単語最頻出2000語を7クリックで覚える表 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加
    570の学術系英単語を5クリックで覚える表 読書猿Classic: between / beyond readers 570の学術系英単語を5クリックで覚える表 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

     また、ちなみに英文の読解難易度の指標をみてみると(Tests Document Readabilityで計ることができる)、

    Gunning Fog index : 9.59
    (英文を一読で理解するのに必要な学校教育年数(小学校1年生=1とする)を示す。専門的な文書は10から15、ニューヨークタイムス誌は11か12、タイム誌は11、リーダーズ・ダイジェスト誌は7程度)。

    Flesch Reading Ease : 67.85
    (点数が高いほど読み易い。英語を母国語とする平均的な中学2年生や3年生は60点から70点の英文をさっと理解できるとされている。リーダーズ・ダイジェストで65点程度)。

    である。

     
     しかし大学生が訳したという直訳は、一箇所を除いては大きく間違ってはいないものの、一読して何の話をしているのか分からない。
     むしろ訳者もこの英文の意味を理解しないまま訳していることが、ありありと分かる。
     
     おそらく1パラグラフだけを抜き出した、わずか100語あまりの短い文章であることが、かえって難しさを増している。
     見えないのは文脈、つまり前後にどんなことが語られているか、この短文はいったいどんな文章の中に本来は納まっているのか、である。

     しかし、この文章が、前後とひどく齟齬をきたしているのでない限り、見えないと感じている文脈は、この短文の中にも染みとおっているはずである。

     では、それを析出しよう。
     

    まずは接続詞に着目する

    (1)のthoughは、書かれざる前文に対して、文(1)が逆接の関係にあることを示す。
    (1)のandは文中の二つの節を順接でつないでいる。
    (2)andは節中のlovedとhatedをつないでいる。
    (2)のbutは、文中の2つの節が逆接の関係であることを示す。
    (3)thatは関係代名詞。thatが結び合わせているものをほどき、(3)を二つの節に分けるとShe waited for me to show emoions, but I never seemed to have the emotions.と逆接で結ばれていると考えるのが相当である。
    (4)のthatはwishの目的語として従属節を導く。この文は仮定法。I could以下は実際にはできなかったことである。
    (4)のandは従属節中のhave listenとhave thoughtを結び、ともに助動詞couldに続くことを示す。
    (5)whetherは譲歩の副詞節(~であろうとなかろうと)。
    (6)Butは前文に対して逆接。

     まとめとして、逆接の接続詞が出るたびに〈向こう側〉へ移る様を、簡単に図解しよう。
     書かれざる前文に対して逆接→文(1)となっているが、文(1)がどちら側かははっきりしない(mixedだといっている)ので、さしあたり文(2)からはじめよう。
     文4は仮定法が使われているから、書かれている反実仮想(~だったらいいな)と書かれざる現実(実際は~だ)を両側に分けて配分しよう。
     
             |
      文(2)前半→|→文(2)後半
             |  ↓
      文(3)後半←|←文(3)前半
         ↓   |  
    文(4)反実仮想→|(→文(4)書かれざる現実)
             |  ↓
     文(5)前半 ←|←文(5)のwhether以下
         ↓   |
         ・→→→|→文(6)
             

     この逆接によって向こう側に移るとして、二つの領域はどういったものなのか?
     
    (右側):現実サイド
    文(2)後半 I couldn't respond as easily as the other boys to her gentle appeals.
    文(3)前半 I never seemed to have the emotions
    文(4)書かれざる現実 I couldn't have listened uncritically and have thought only of the look in her eyes.
    文(5)後半the stories Mother thought lovely seemed less so to me?
    文(6)there I sat staring uncomfortably at the carpet and trying to avoid answering questions.

     私は、答えることができなかった「couldn't respond」し、答えることを避けようとした「trying to avoid answering」。
     また、母が待っている(期待する)ような感情を持つことが出来そうになかった「never seemed to have the emotions」し、批判的でなく聞くことができない=批判的にしか聞けない「couldn't have listened uncritically」し、母はそれらの物語をlovelyだと思っているけど、自分はそこまでは思えない「seemed less so to me」。

     まとめるとこちらサイドは、母(の感性、期待)≠私(の感情→答え)


    (左側):願望サイド

    文(2)前半 I loved Mother and hated to disappoint her
    文(3)後半 the emotions that she waited for me to show.
    文(4)反実仮想 I could have listened uncritically and have thought only of the look in her eyes
    文(5)前半 What difference need it have made to me

     しかしこの文を書いている〈私〉はなにも全面的に母と対立している訳ではない。それほど単純でないし割り切れるものでもない。
     〈私〉は母親が大好きだったし「loved Mother」、失望させたくなんかなかった「hated to disappoint her」。
     母親が期待するような感情「the emotions that she waited for me to show.」を持てたら、批判がましくなく聞き入ることができたら「could have listened uncritically」、母の目にどううつるかだけを考えられたら「have thought only of the look in her eyes」、よかったのにと今では思うのに「I now wish」。
     だいたい、母はlovelyだと思っている物語たちを、自分はそこまでは思えない「seemed less so to me」として、それがどうだっていうんだ(大した違いはない)「What difference need it have made to me」≒「It made little difference to me.」。

     まとめるとこちらサイドは、母(の感性、期待)=私(の感情→答え)

     しかし実際は、右サイドからの引きはあるけれど、左サイドの方が強くて、〈私〉は困ってる。だから「my feelings were mixed.」なのだ。
     


    〈私〉は何歳ぐらいなのか?

     いよいよ行間を読んでいく。

     そうしてみると文(2)に注目すべきところがある。
     「not ... as easily as the other boys」で、「the other boys」とtheがついているから、これはすでに登場している少年たちで、この文章にはmy brothorsしか該当するものはいない。つまり「他の年下の少年=弟たちほど簡単には・・・できなかった」というのだから、弟たちは私よりずっと
     母(の感性、期待)=弟たち(の感情→答え)
    つまり今の区分だと弟たちは左側の方の住人のだろうと推測できる。

     しかし文(1)に「I was a little older than my brothers」とあるように、〈私〉と弟たちは、少しの歳の差があるだけだ。そのわずかの差が、すなおに母(の感性、期待)に従えるか、従えずしかし振りほどくこともできず苦しむか、の違いになって現れている。
     
     ここに書かれていない文脈(コンテクスト)のひとつを知るヒントがある。
     こう問えば、答えやすいだろう。
     この文は過去形で書かれており、著者の過去の出来事を書いているのだが、
    「著者は、自分がいくつの頃の自分の出来事を書いているのか?言い換えれば、文中の〈私〉は歳をとっているのか?それとも若いのか?大人なのか?子どもなのか?青年なのか?幼少なのか?」

     この問いの答えは、文中に明記されていない。
     しかし先に見たように「not ... as easily as the other boys」や「I was a little older than my brothers」に注意を向けることができたなら、次のように推測できるだろう。
     〈私〉はもう、母親が「よい」というものをただ素直に「よい」と思うことはできなくなっている。しかし幼い弟たちはまだ、母親が「よい」というものをただ素直に「よい」と思うことができる。加えて〈私〉は弟たちよりも少し年上なだけで年齢差は大きくない。
     よってこの時〈私〉は、幼少か、それよりわずかに歳を重ねたぐらいの年齢である。
     

    母親は何をしたのか?
     
     〈私〉と弟たちとの間の年齢差は、〈私〉にとっては、言い換えれば〈私〉主観では決定的なものであるが、客観的には小さい。
     この文章には3種類の人物が登場する。〈私〉、弟たち、そして母親である。
     ここで母親の主観で物事を見てみよう。
     母親にとっては、〈私〉と弟たちの年齢差は、決定的なものではなく、小さい、おそらくはないに等しいものである。
     なぜならば、母親の扱いは、この短文にあらわれている限りでは、〈私〉と弟たちの間に違いはないからだ。
     しかし、母親の〈扱い〉とは、具体的にはどういうことなのだろうか? 言い換えれば、母親は〈私〉と弟たちにどんな働きかけをしたのだろうか?そして何を待っているのだろうか?
     
     文中から拾い出せば、待っている(期待しているの)のは「the emotions」(文(3))である。しかし「その感情(複数)」といっても、具体的にどういうことなのかが書いていない。おそらく、これが何なのか分からないと、文章を理解したことにならない(理解した上で訳すこともできない)。
     「the」がついているのだから、「the emotions」は読み手にとっても既知なはずである。とすれば、それ以前の文(1)か文(2)に、形は違っているかもしれないが、「the emotions」が何なのか知ることができるだけの情報が提示されているはずである。
     文(1)は、誰の行動についても述べたものではない。とすれば文(2)に何か書いてあるはずである。
     「I loved Mother and hated to disappoint her」は行動ではない。「 I couldn't respond」というのだから〈私〉は行動できていない。
     「I couldn't respond as easily as the other boys to her gentle appeals.」を眺めると、同じフレーズをくりかえさないように省略されていることに気付く。省略されたフレーズを復活させてみると
     「I couldn't respond as easily as the other boys could respond to her gentle appeals.」となる(他の兄弟たちが答えたほど容易には、私は答えることができなかった)。
     我々が探していた行動はthe other boys could respond to her gentle appeals easily.」(他の兄弟たちは、彼女(母親)のやさしい求めに簡単に答えることができた)。
     「gentle appeals」が何なのかはまたはっきりしないのだけれど。これは後でつめていこう。
     
     もうひとつの問い、母親の〈扱い〉とは、具体的にはどういうことなのだろうか?
     短い文章の中を探しても、母親を主語にしたちゃんとした文はない。節や句レベルで探すとさっきの「her gentle appeals」、それと「she waited for me to show (the emotions)」「Mother thought (the stories)」だけである。
     母は(返事を)求めて、待って、物語がよいものだと考えている。って結局何もしてないぞ!
     おそらくは、ここがこの文章を理解できるかどうかのクリティカル・ポイントだ。書かれざる母親の行動はどんなものだったか?それをどうやって推測できるか?
     

     ミッシング・リングを明確にしよう。

     時系列で考えるとおそらくこういうことだろう。

     母親はある物語を良いものだと考える。
          ↓
    (               )
          ↓
     母親は子どもたちの反応を待つ
          ↓
     子どもたちが「よかった」と反応する。


     彼女の子どもたちが幼少ないし幼少+αだとすれば、(   )を埋める母親の行動は「物語する tell stories」ではないかと推測できる。
     もう少し文章に沿って考えれば、文(5)で「the stories」と出てくるのだから、どんな物語か読み手にとっても既知になっていないといけないと考える。「母親がよいと思っている物語」があり「母親は子どもたちから反応を待っている」のだから、その物語は子どもたちの前で披露されていなくてはならないはずである。
     これが母親の書かれざる行動であった。
     
     母親の隠れた行動が明らかになると、これまで具体的には何なのかはっきりしなかった部分にも光があたる。
     
     母親はある物語を良いものだと考える→(母親は自分がおすすめの物語を子どもたちに読んでやる)→母親は子どもたちの反応を待つ→(子どもたちが「よかった」と反応する)のだから、
     「gentle appeals」は、「ねえ、どうだった?」と、いま子供たちに披露した物語の感想を(やさしく)求め尋ねることだろう。
     当然文(6)で〈私〉が答えるのを避けようとしているquestionsも、これと同じ、物語の感想を尋ねる質問である。
     「the emotions that she waited for me to show」がどんなemotionsなのかといえば、母親が披露した物語について感じたこと、すなわち感想(しかも「いいお話だね」という肯定的な感想)をさしていると考えられる。
     


    再び、例文を読み直す

     こうして書かれざる前提が明らかになったので、これらを仮説として文章を読んでみて、ちゃんと意味が通るかを確認しよう。
     


    (1)けれども、私は兄弟より少し年上で、その心境は複雑だった。
    (2)私は母を愛していたし、彼女を失望させたくはなかった。(3)けれど母がしてくれた物語の感想をやさしく聞いてきても、弟たちのようにはすらすらと答えることができなかった。
    (4)母が期待するような感想が持てるとは、私にはまったく思えなかった。
    (5)母の物語を無邪気に聞くことができたら、それから母の目に自分がどう映るかだけを考えることができたら、よかったのにと今となっては思う。
    (6)けれどそのときは、なんとか感想を言わなくてもすむように、カーペットを苦虫を噛み潰したような顔で見つめながら、そこにじっと座っていた。



    いくつかの教訓

     いまの分析作業から得られる、いくつかの教訓を記す。
     
     まず出題者の立場に立てば、仮にこの英文を和訳せよという問題を課すとして、最初から
    「これは、いつも子どもたちに物語を話してやる母親とその子どもたちの話です」と文脈(コンテキスト)を与えてやれば、難易度はいっきに下がる。
     同じことを、解答者の立場から見れば、文脈(コンテキスト)として与えられた情報を活用しないと、いらぬ困難にぶち当たることになる。
     
     さらに文章作成者の立場に立つと、文脈(コンテキスト)を読み手が補完しなければならないような文章は、読み解くのに余計な労力が必要になるから避けた方が無難である。
     「わかりやすい文章の書き方」なるものの多くは、文脈に左右されない(コンテキスト・フリー)とまではいかなくても、読み手に文脈(コンテキスト)補完の手間を取らせないための工夫が大半を占めている。