2013.10.28
無料でここまでできる→日本語を書くのに役立つサイト20選まとめ
(例文/コーパス)
◯KOTONOHA「現代日本語書き言葉均衡コーパス」 少納言
www.kotonoha.gr.jp/shonagon/search_form
現代の日本語の書き言葉の全体像を把握できるように集められた約1億語収録の『現代日本語書き言葉均衡コーパス』をジャンルを指定したり、前後にくる言葉を指定した上で検索できる。用例を探したいときはまずここを当たる。

◯コーパス検索ツールNINJAL-LWP for BCCWJ (NLB)
nlb.ninjal.ac.jp/
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』を検索するために、国語研とLago言語研究所が共同開発したオンライン検索システム。上の少納言との違いは、名詞や動詞などの内容語の共起関係や文法的振る舞いを網羅的に表示できるところ。
たとえば「タバコ」を検索すると、用例が「タバコ+助詞+動詞」や「動詞+タバコ」+「タバコ+助詞+形容詞」などのパターンに分類される。この中から例えば「形容詞+タバコ」というパターンを選ぶと、タバコにどんな形容詞がつくのかがリストアップされ、その中から例えば「うまいタバコ」を選ぶと
・「しかし、そうやって「働いて」きた人間だけが本当に旨い酒の味が解り、本当に旨い煙草が味わえる。」
(Yahoo!ブログ, 2008, 人文科学)
・「そして、この先、波瀾に満ちた生涯が待ち受けているはずの彼に、今の僕ができることは、せめて日本の旨い煙草を差し出すことぐらいだった。」 (長岡洋幸全撮影・文 『チベットの夜空の下で眠りたい』, 2002, 292)
といった用例がリストアップされる。

(クリックで拡大)
なお、NINJAL-LWP for TWC(http://corpus.tsukuba.ac.jp/)は、日本語のウェブサイトから収集して構築した約11億語のコーパス『筑波ウェブコーパス』(Tsukuba Web Corpus: TWC)を、NLBと同じユーザーインターフェースで検索できる。
◯日本語作文作成支援システムなつめ
https://hinoki-project.org/natsume/
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』やWikipedia、科学技術論文のデータを用いて、日本語を外国語として学ぶ人のための日本語作文を支援するサイト。
東京工業大学留学生センター仁科研究室グループが開発している日本語学習支援システム(ひのきプロジェクト)の一部。
日本語の新聞や論文やブログのデータベースの中から、単語が実際にどのように使われているのか調べることができる。
たとえば「学ぶ」と入力し「Verbal(動詞)」を選び、「Search」をクリックすると、
「学ぶ」+助詞ごとに、どのような単語が結びつくか頻度順に表示される。

その内の一つを選ぶと
ジャンル別の頻度も表示されて、論文で使われる表現なのか、プログで使われる表現なのかを知ることもできる。

◯日本語用例検索(青空文庫を対象に)
www.let.osaka-u.ac.jp/~tanomura/kwic/aozora/
青空文庫の収録作品を対象に、先行文脈/後続文脈を指定して用例検索できる。
たとえば「のような」や「のように」というキーワードと共に検索すると、青空文庫から自分のほしい比喩(直喩)を探したりできる。

◯日本語KWIC辞書使用例検索・コロケーション抽出システムfinder
www.nihon.co.kr/kwic.html
青空文庫や新聞社説を対象に、正規表現を使った用例検索ができる。

◯日本語表現インフォ(小説の言葉集):ピンとくる描写が見つかる辞典
hyogen.info/
感情/風景/食べ物/人物/感覚(五感)についての比喩表現や情景表現を集めたデータベース。似ている表現へのリンクも表示されて便利。

◯小説投稿サイト検索
https://www.google.com/cse/publicurl.....
Googleのカスタム検索エンジンで作ってみた。
以下の小説投稿サイト検索を横断検索できる。
ノベリスト.jp、星空文庫、E★エブリスタ、ふみふみ、作家でごはん!、dNoVeLs、FC2小説、のべぷろ!、小説家になろう、アットノベルス、ライトノベル、作法研究所、ラノベジェネレーション、Arcadia、小説カキコ、すぴばる小説部、QBOOKS、jyunbun、幻創文庫、PiPi's World『投稿小説』
自分が書いた表現が「白魚のような手」や「ツンと上を向いた乳首」のような紋切り型になっていないかをチェックするのに使える。

(採点/レベルチェック)
◯Jess®: 日本語小論文 評価採点システム
coca.rd.dnc.ac.jp/jess/
小論文のお題と自分が書いた回答を入力すると、採点してくれるシステム。

◯帯3:日本語テキストの難易度を測る
http://kotoba.nuee.nagoya-u.ac.jp/sc/obi3/
カフカ『変身』はラノベよりもずっと読みやすい←日本語難易度推定をやってみた 読書猿Classic: between / beyond readers
で紹介した日本語の難易度判定システム。
テキストをコピペしてボタンを押すだけで、小学校から大学にかけての教科書127冊から抽出した1478サンプル、約100万字のコーパス(教科書コーパス)を用い、小学1年から高校3年+大学レベルの13段階で、日本語のテキストの難易度(リーダビリティ)を推定する。

◯日本語難語レポーター
https://mbc.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/nango_report/
学術度判定(学術(ac.jpドメイン)と、限定なしのWeb検索の比率で学術度を計算)、レア語(IPADICの[形態素生起コスト]をもとにした用語生起コストと、Yahoo!検索件数をもとに計算)、テキスト中の常用漢字(学年別)、ひらがなの比率などを計算してくれる。

◯小説形態素解析CGI(β)
http://www.ennach.sakura.ne.jp/
「かな:漢字の比率」や「ひとつの文章の長さ」、品詞の頻度などの傾向を解析して、「説明・要約的な文章展開」なのか、「物事を形容する言葉より、動きの描写が多い」のか、など文体を分析してくれるサイト。
(校正)
◯Enno - 日本語のタイポ/変換ミス/誤字脱字エラーをチェック
enno.jp/
日本語のあからさまなエラー 、タイポ、スペースのエラー、誤字脱字、変換ミス、入力後の編集ミス、文字化けを自動チェックしてくれる。

◯文章校正支援 日本語プルーフリーダー
www.languagecraft.jp/proofreader/nihongopr_2.html
※青山学院大学 日本語表現法開発プロジェクト
http://www.pawel.jp/outline_of_tools/
サイト上のサービスではないが有用なツールを提供しているので紹介。
文章構造理解支援ツールHinako、文章見直し支援ツールComiQlip、校正・推敲支援ツールTomarigi、文章相互評価支援ツールHiyodori、演習問題生成支援ツールYamagaraなどをダウンロードして利用できる。
(辞書)
◯翻訳類語辞典
www.dictjuggler.net/ruigo/
Wordnetや翻訳訳語辞典のデータを元にした類語辞典。
これを類語辞典のベースにするメリットは、類語玉手箱や国語辞典、英和辞典、Wikkipediaへのリンクもあるところ。

◯辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書
www.weblio.jp/
570の専門辞書や国語辞典、百科事典などを横断検索できる。
約380万語の類語や同義語・関連語が引ける類語辞典(http://thesaurus.weblio.jp/)や、
古典、民話から小説、映画や漫画に至るまでを対象に、物語のパーツとなる「物語要素」(物語素)を拾い出し、分類、整理した物語要素事典もこの中から引ける。
◯漢ぺき君
http://www.sanrui.co.jp/web/
サンルイ・ワードバンクが公開する難読語に強い漢和辞典サイト。漢字のパーツの読みを使い、かな2〜3文字で読めない漢字を検索できる。漢字字典の検索結果として区点コード、シフトJISコード、よみ、熟語などを出力。

◯Yahoo!辞書: 国語・類語・英和・和英・百科事典・用語集
http://dic.yahoo.co.jp/
日本大百科全書(小学館)をベースにしたYahoo!百科事典、大辞泉、プログレッシブ英和/和英辞典などを検索できる。
◯辞典横断検索 Metapedia - 551の辞書・辞典サイトを一括検索
metapedia.jp
◯excite国語辞書ー大辞林第三版(三省堂)
www.excite.co.jp/dictionary/japanese/
◯goo国語辞典ーデジタル大辞泉(小学館)
dictionary.goo.ne.jp/jn/
◯KOTONOHA「現代日本語書き言葉均衡コーパス」 少納言
www.kotonoha.gr.jp/shonagon/search_form
現代の日本語の書き言葉の全体像を把握できるように集められた約1億語収録の『現代日本語書き言葉均衡コーパス』をジャンルを指定したり、前後にくる言葉を指定した上で検索できる。用例を探したいときはまずここを当たる。

◯コーパス検索ツールNINJAL-LWP for BCCWJ (NLB)
nlb.ninjal.ac.jp/
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』を検索するために、国語研とLago言語研究所が共同開発したオンライン検索システム。上の少納言との違いは、名詞や動詞などの内容語の共起関係や文法的振る舞いを網羅的に表示できるところ。
たとえば「タバコ」を検索すると、用例が「タバコ+助詞+動詞」や「動詞+タバコ」+「タバコ+助詞+形容詞」などのパターンに分類される。この中から例えば「形容詞+タバコ」というパターンを選ぶと、タバコにどんな形容詞がつくのかがリストアップされ、その中から例えば「うまいタバコ」を選ぶと
・「しかし、そうやって「働いて」きた人間だけが本当に旨い酒の味が解り、本当に旨い煙草が味わえる。」
(Yahoo!ブログ, 2008, 人文科学)
・「そして、この先、波瀾に満ちた生涯が待ち受けているはずの彼に、今の僕ができることは、せめて日本の旨い煙草を差し出すことぐらいだった。」 (長岡洋幸全撮影・文 『チベットの夜空の下で眠りたい』, 2002, 292)
といった用例がリストアップされる。

(クリックで拡大)
なお、NINJAL-LWP for TWC(http://corpus.tsukuba.ac.jp/)は、日本語のウェブサイトから収集して構築した約11億語のコーパス『筑波ウェブコーパス』(Tsukuba Web Corpus: TWC)を、NLBと同じユーザーインターフェースで検索できる。
◯日本語作文作成支援システムなつめ
https://hinoki-project.org/natsume/
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』やWikipedia、科学技術論文のデータを用いて、日本語を外国語として学ぶ人のための日本語作文を支援するサイト。
東京工業大学留学生センター仁科研究室グループが開発している日本語学習支援システム(ひのきプロジェクト)の一部。
日本語の新聞や論文やブログのデータベースの中から、単語が実際にどのように使われているのか調べることができる。
たとえば「学ぶ」と入力し「Verbal(動詞)」を選び、「Search」をクリックすると、
「学ぶ」+助詞ごとに、どのような単語が結びつくか頻度順に表示される。

その内の一つを選ぶと
ジャンル別の頻度も表示されて、論文で使われる表現なのか、プログで使われる表現なのかを知ることもできる。

◯日本語用例検索(青空文庫を対象に)
www.let.osaka-u.ac.jp/~tanomura/kwic/aozora/
青空文庫の収録作品を対象に、先行文脈/後続文脈を指定して用例検索できる。
たとえば「のような」や「のように」というキーワードと共に検索すると、青空文庫から自分のほしい比喩(直喩)を探したりできる。

◯日本語KWIC辞書使用例検索・コロケーション抽出システムfinder
www.nihon.co.kr/kwic.html
青空文庫や新聞社説を対象に、正規表現を使った用例検索ができる。

◯日本語表現インフォ(小説の言葉集):ピンとくる描写が見つかる辞典
hyogen.info/
感情/風景/食べ物/人物/感覚(五感)についての比喩表現や情景表現を集めたデータベース。似ている表現へのリンクも表示されて便利。

◯小説投稿サイト検索
https://www.google.com/cse/publicurl.....
Googleのカスタム検索エンジンで作ってみた。
以下の小説投稿サイト検索を横断検索できる。
ノベリスト.jp、星空文庫、E★エブリスタ、ふみふみ、作家でごはん!、dNoVeLs、FC2小説、のべぷろ!、小説家になろう、アットノベルス、ライトノベル、作法研究所、ラノベジェネレーション、Arcadia、小説カキコ、すぴばる小説部、QBOOKS、jyunbun、幻創文庫、PiPi's World『投稿小説』
自分が書いた表現が「白魚のような手」や「ツンと上を向いた乳首」のような紋切り型になっていないかをチェックするのに使える。

(採点/レベルチェック)
◯Jess®: 日本語小論文 評価採点システム
coca.rd.dnc.ac.jp/jess/
小論文のお題と自分が書いた回答を入力すると、採点してくれるシステム。

◯帯3:日本語テキストの難易度を測る
http://kotoba.nuee.nagoya-u.ac.jp/sc/obi3/
カフカ『変身』はラノベよりもずっと読みやすい←日本語難易度推定をやってみた 読書猿Classic: between / beyond readers

テキストをコピペしてボタンを押すだけで、小学校から大学にかけての教科書127冊から抽出した1478サンプル、約100万字のコーパス(教科書コーパス)を用い、小学1年から高校3年+大学レベルの13段階で、日本語のテキストの難易度(リーダビリティ)を推定する。

◯日本語難語レポーター
https://mbc.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/nango_report/
学術度判定(学術(ac.jpドメイン)と、限定なしのWeb検索の比率で学術度を計算)、レア語(IPADICの[形態素生起コスト]をもとにした用語生起コストと、Yahoo!検索件数をもとに計算)、テキスト中の常用漢字(学年別)、ひらがなの比率などを計算してくれる。

◯小説形態素解析CGI(β)
http://www.ennach.sakura.ne.jp/
「かな:漢字の比率」や「ひとつの文章の長さ」、品詞の頻度などの傾向を解析して、「説明・要約的な文章展開」なのか、「物事を形容する言葉より、動きの描写が多い」のか、など文体を分析してくれるサイト。
(校正)
◯Enno - 日本語のタイポ/変換ミス/誤字脱字エラーをチェック
enno.jp/
日本語のあからさまなエラー 、タイポ、スペースのエラー、誤字脱字、変換ミス、入力後の編集ミス、文字化けを自動チェックしてくれる。

◯文章校正支援 日本語プルーフリーダー
www.languagecraft.jp/proofreader/nihongopr_2.html
※青山学院大学 日本語表現法開発プロジェクト
http://www.pawel.jp/outline_of_tools/
サイト上のサービスではないが有用なツールを提供しているので紹介。
文章構造理解支援ツールHinako、文章見直し支援ツールComiQlip、校正・推敲支援ツールTomarigi、文章相互評価支援ツールHiyodori、演習問題生成支援ツールYamagaraなどをダウンロードして利用できる。
(辞書)
◯翻訳類語辞典
www.dictjuggler.net/ruigo/
Wordnetや翻訳訳語辞典のデータを元にした類語辞典。
これを類語辞典のベースにするメリットは、類語玉手箱や国語辞典、英和辞典、Wikkipediaへのリンクもあるところ。

◯辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書
www.weblio.jp/
570の専門辞書や国語辞典、百科事典などを横断検索できる。
約380万語の類語や同義語・関連語が引ける類語辞典(http://thesaurus.weblio.jp/)や、
古典、民話から小説、映画や漫画に至るまでを対象に、物語のパーツとなる「物語要素」(物語素)を拾い出し、分類、整理した物語要素事典もこの中から引ける。
◯漢ぺき君
http://www.sanrui.co.jp/web/
サンルイ・ワードバンクが公開する難読語に強い漢和辞典サイト。漢字のパーツの読みを使い、かな2〜3文字で読めない漢字を検索できる。漢字字典の検索結果として区点コード、シフトJISコード、よみ、熟語などを出力。

◯Yahoo!辞書: 国語・類語・英和・和英・百科事典・用語集
http://dic.yahoo.co.jp/
日本大百科全書(小学館)をベースにしたYahoo!百科事典、大辞泉、プログレッシブ英和/和英辞典などを検索できる。
◯辞典横断検索 Metapedia - 551の辞書・辞典サイトを一括検索
metapedia.jp
◯excite国語辞書ー大辞林第三版(三省堂)
www.excite.co.jp/dictionary/japanese/
◯goo国語辞典ーデジタル大辞泉(小学館)
dictionary.goo.ne.jp/jn/
2013.10.26
論文はどんな日本語で書かれているか?アタマとシッポでおさえる論文らしい文の書き方
小説の文章のことを書いた(文字色hatena-bookmark-title">物語は作れたがどんな文章で小説にしていいか分からない人のための覚書
)ので、論文についても触れておこう。
論文の構成については何度か書いているので、今回は文のレベルについて、論文表現のインサイド、例えばあの持って回った言い回しは一体どこから生まれてくるのかを解説する。
何故こんな言い方が生まれてくるのかを理解した方が、やってはいけないリストをいたずらに増やすよりも、記憶に残るし応用も効くだろう。
(関連記事)
(論文の文例)
・卒論に今から使える論文表現例文集(日本語版) 読書猿Classic: between / beyond readers

・こう言い換えろ→論文に死んでも書いてはいけない言葉30 読書猿Classic: between / beyond readers

(論文の構成)
・論文に何を書くべきか→これだけは埋めろ→論文作成穴埋めシート 読書猿Classic: between / beyond readers

・論文は何からできているのか?それは何故か?から論文の書き方を説明する 読書猿Classic: between / beyond readers

論文文体のあたまとしっぽ
論文は、A.(学問的に価値がある)課題・問いを自ら設定し、B.論証に基づいて、C.何らかの主張を行うものである。
したがって論文の中核となる文は、次の3つに分類される。
A.課題・問いを設定し、議論の方向性を示す表現
B.事実やデータに基づき、また他の文献を参照して、論証を展開する表現
C.まとめとして論文の主張を示す表現
そして、それぞれの表現は、文レベルでみると、文頭の接続詞・接続副詞と、文末の動詞・助詞・助動詞に特徴が見られる。
論文は決まったフォーマットに基づいて書かれる。これにより読み手は、どこに何が書いてあるのか予想を立てることができ、理解のための準備・構えを取ることできる。こうしてより速く読むこととともに、よりよく理解することが可能となる
全体の構成についてそうなように、文レベルでも、読み手の予想を促し助けるサインを出すことが求められる。これは当然ながら文頭で行われ、接続詞・接続副詞などがその役目を担う。
これに対して文末は、書き手(話し手)の性別・年齢・職業などのいわゆる位相の違いが現れる場所であり(例えば「食べてきたよ」「食べてきたわ」「食べてきたぜ」)、文体(話体)において中心的な役割を果たす。当然「論文らしさ」もまた、文末をどうするかによって生まれたり損なわれたりする。
つまり文のアタマとシッポをおさえておけば、それぞれのパートで必要な「論文らしい日本語」が書けるのである。
時間のない人のために、最初に表にまとめておく。

「私は……と思う」から「…は……である」へ
各論に入る前に、最も重要な事項を述べておこう。
論文やレポートは、アイデンティティを養生したり開陳したりするものではない。
そして大学は、学生の自我や人生を引き受ける場ではない。
「私は……と思う」といった読書感想文の文体がまったく出番がなくなるのは、そういう理由からである。
ある結論を出した私の思考と、その判断のもとになった根拠との関係を簡単に図式化すると以下のようになるだろう。

感想文では「私の思考」が強調され、論文では「根拠」と「結論」が前に出て「私の思考」は背景に退く。
このあたりについては、英文論文について書いた、次の記事も参考になるかもしれない。
・言葉と思考の解像度を上げる→つぶやきをフォーマルな英文に仕上げる4つの技術 読書猿Classic: between / beyond readers

このことは当然ながら論文の文体に大きな影響を与える。
根拠と論理に基いて、論を展開することが求められる論文やレポートでは、対象と同じ地平に自分を置き、自らの目に映る姿を述べる一人称ではなく、視点を対象とは別のところに置き見ている自らをも視野におさめて観察する三人称による記述が求められる。
まず文の主語は、書き手から取り扱われる概念へと変わり、こうして「…は……である」という文体が選ばれることになる。
この論文文体は、学問の普通語であるだけでなく、何事かを伝えるために書かれる大人の実用文においても(したがって知識に値するものを読み書きする際に出会う)デフォルトの文体である。
では、各論へ進もう。
A.議論の方向性を予告する表現
複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さをもった文章が必要になる。
こうした場合、これからどんなことを論じようとしているのか、あらかじめ議論の方向性を示すことで、読み手の理解を助けることができる。
込み入った文章の迷路に、道しるべを立てるわけだ。
論文でよく用いられる「道しるべ」には次のものがある。。
A1 行動の予告によって後に続く内容を概説する
(例)
・以下では、シミュレーションにより、債券運用の違いによるALMの安定性の分析を考察する。
・次に、アメリカの現状と比較することで、別の角度から考えてみることにしよう。
論文は「~である。」で結ばれる文を基本にできている。
書き手の姿は極力消して、事柄について述べる文が中心となるのである。
そんな中に、ときどき「~する。」や「~したい。」「~しよう。」という行為を表す文末が登場することがある。
「~である」ばかりの中に出てくるから、目立つ。
これは、行為や行為の予定を示す文で、後続の展開を予告する〈道しるべ〉である。
ここ以降では何を論じようというのか、論文の叙述に対して、いわば一つ上のレベルに立って、その方向を整理し示しているわけだ。
他の部分で「である。」を貫き、「私は~と思う」のような書き手の存在をあからさまに示す表現を退けるからこそ、行動の予告をつかったこの〈道しるべ〉は目立つ。
A2 疑問文によって論点となる問いを示す
(例)
・それでは,なにがこのような介在原理の作動様式を決めているのだろうか。
・さて,1980年代の教育の潮流はどういう方向に行ったのか。
行為の予定とともに、論述の方向性を示す表現に、疑問文を使ったものがある。
疑問には、問いかける者がいるはずだ。
疑問文を使った表現も、極力姿を消している書き手の姿が突然現れる箇所である。
疑問文もやはり、論文の叙述に対していわば一つ上のレベルに立った書き手の介入の跡をありありと示す。
「~のか。」「のだろうか。」などの表現が、「である。」中心の叙述から浮き上がり目立つ、つまり「道しるべ」として役立つのは、こうした訳だ。
さらに目立たさせるために、それ以前の文脈からの切替えを示す「では」「それでは」「さて」といった接続詞を文頭に伴うことも多い。
問いかけとそれへの応答は、議論を方向付ける。
論理的であることは元々、相手の疑問に遺漏なく答えることだった。
現在では弁証法という日本語をあてがわれるダイアレクティークという語が、古来、論理学と問答術の両方を意味したように、論理についての知識は、もともと問答の研究から生まれたのである。
何事か論じるために書かれる論文のなかで、いきなり自問自答が行われるのは(だって論文の書き手は答えを知ってるからそもそも書いているのだろうに、何故わざわざ問いなおすのか?)、問答が議論を方向付けるからである。いや根源的に言えば、問答こそが議論そのものであるからである。
書き手は自身の研究が、ひとつの問い(リサーチ・クエスチョン)に導かれていることや、この根源の問いに答えるために、より小さな問いにいくつも答えなければならないことを知っている。
論文の中でそのすべてが疑問文で登場するとは限らないが、主要な問いは、主要な議論を導くために、必ず疑問文として登場する。
もし疑問文がひとつも出てこないなら、あるいは多すぎる疑問文で埋め尽くされるなら、あなたの論文は何について問い答えようとしているのか、答えることができるのはどの問いなのか、今一度確認した方がいい。
A3 以降の展開を構造化する/構造を予告する
A3-1 列挙を予告する表現
↓
(例)
・土地によって生産性が異なるのには、大きく分けて二つの理由がある。
第一に、土地の豊度であり、肥沃度、地形、水利、気温、日照条件などがこれに当たる。第二に、土地の位置である。これは、市場までの輸送の難易である。
先に、複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さが必要だと言った。
たとえば根拠を示すにしろ、例を挙げるにしろ、たった一つでなく複数の根拠なり例示を挙げることになるだろう。
これから全部で何個の根拠なり事例を挙げるかをあらかじめ予告することで、以降の展開を構造化するのが〈列挙〉の表現である。
たとえば「3つの……がある。」と予告された後は「第一に……」「第二に……」「第三に……」という3つの同じ種類の項目が続くことになる。
A3-2 対比を示す表現
(例)
・一方、婚姻による交流を意図的に排除している例として、次のような場合がある。
・これに対して、動物解放の立場からはトム・レーガンによる生態系保存論批判がある。
同種の項目を予告する〈列挙〉に対して、反対の/対称的な項目やブロックが続くことを予告するのが〈対比〉である。
個々の対象レベルから、より大きな集合や集団レベル、さらに包括的な構造レベルまで、大小さまざまな〈対比〉が行われる。
B.論証を展開する表現
論文は、講義には説得を目的とする文章の一種である。
そして根拠と例示は、説得の二大手段であり、根拠を示す表現と例示する表現は書くことはできない。さもないと、主張を言いっぱなしにすることになる。
B1 根拠を示す表現
(例)
・なぜなら、人間は、自己意識を持った自覚的な存在であるからである。
・というのは、この書の主人公である唐の太宗が、頼朝や家康に、やや似た位置にいたからである。
B2 例示する表現
(例)
・たとえば新内「明烏夢泡雪」のつぎにあげる一節の地から詞への転調をおもわせるものがある。
・これには、とくに瞬発的な抗重力運動を行う競技者に高い骨塩濃度を認めるという報告がある。
B3 参照・引用を示す表現
(例)
・ダルゼルによれば、インターネットの長所は混沌と不協和音に、その自由な言論にあるという。
・『越登賀三州志』によると、この年謙信は蓮沼城を攻め、城主椎名康胤が自刃して、城が陥落したという。
・『放浪記』によれば、「一九二〇年代にすでにあったようである」と述べている。
論文では、前提を示すにしろ反論するにしろ、他の研究(論文)を参照・引用することが不可欠である。
そして参照・引用は、論文の他の部分からは明確に区別され、典拠が示されなくてはならない。
したがって参照・引用を明示するマーカーが使われる。
通常「~によれば」「~では」ではじめられ、「~という。」「~と述べている。」などで括られることで、参照・引用であることが示される。
B4 譲歩を示す表現
(例)
・確かに財産の中で建築物等を特別に扱うことは理由があるかにみえる。
しかし、結論的にはこの見解に同意することはできない。
論文では、他の研究を単に参照・引用するだけでなく、それらの主張や常識的な見解、また想定される反論を挙げて、それらを部分的に受け入れつつ、一部分を否定し、書き手の主張や見解を展開する〈譲歩〉の表現を用いることが少なくない。
部分的に受け入れる前段は「たしかに」「もちろん」「一見」などで始められ、「である。」「であるかにみえる」等で結ばれる。
そして批判を行う後段は、すぐあとに「だが」「しかし」ではじめられる。
B5 定義する表現
(例)
・資産の流動化を「資産の保有者が資産の価値および資産の生み出すキャッシュフローを原資として資金調達を行うことである。」と定義する。
・三者関係で記述された世界を外在世界と名づける。
他に論文表現で欠くことのできない重要なものに〈定義〉の表現がある。
定義は、学問的コミュニケーション(論文はまさしくコミュニケーションのツールである)において、解釈のばらつきを避け、厳密性を担保するとともに、説明や正当化の無限後退や循環論法のような〈場外乱闘〉を封じ込め、健全で意義のある議論を成立させるために重要である。
定義は、論述そのものというより、その前提となるものなので、「である」中心の叙述から目立つように「と呼ぶ。」「という。」「と名づける。」「と定義する。」といった文末を持つ。
C.主張提示の表現
長く複雑な論証を受けて行われる論文の主張では、それらを受ける「このように」「以上のことから」といったまとめの表現や「したがって」「それゆえ」などの帰結の接続詞がマーカーとして用いられる。
しかし論文表現としてより特徴的であり、また問題をはらんでいるのは、主張における文末である。
これは種類が多いので、後で6種類に分類して示す(C1〜C6)。
これら文末は、いずれも論文表現に特徴的な「私」消しの機能を担い、(多くは無自覚的にだが)論理的必然性を強調するために用いられるものである。
なぜ、論文では、特にその主張部分では「私」を消す必要があるのか。
それは、論文の主張が、原理的には、論文執筆者の個人的見解、私有物ではなく、当該分野の学問の一部であり共有財産であるからである。
エッセイに書かれるような個人的見解は、その書き手の見解だからこそ価値を持つ。読み手はそれに共感する(あるいは共感しない、反感を持つ)が、個人的見解であれば異なる見解が併立しても差し支えない。
しかし論文における主張は違う。それは「私」の見解ではなく、「我々」の知的共有財産(の一部)である。だからこそ旧来の学説と矛盾する主張が登場すれば、その検証・反証に多くの研究者が参加し、最終的には新説が退けられるか、あるいは旧来の学説が改められるか、いずれかになる(ここまで理想的に展開が運ばなくとも、少なくともこうした志向が学問コミュニティに生じる)。
一個人の特殊的見解ではなく、我々すべてに共有されるべき普遍的知識を志向するために、事実・データから論文の主張を導き出した研究者=論文執筆者の関与は背景に退けられ、まるで事実・データから自動的に論文の主張が導き出されるかのような表現が使われるのである。
この「私」消しの機能こそ、「行為の主体が曖昧になるから受身形を避けるように」と多くの論文表現本が主張しているにもかかわらず、この種の表現が消えない理由である。
C1.自発表現
(例)
・以上のことから、本製剤が適切に使用される限りにおいては、食品を通じてヒトの健康に影響を与える可能性は無視できると考えられる。
思考作用を表す動詞につけられる「れる」「られる」は、論文表現本では乱暴に「受身」扱いされることもあるが、心的作用が自然に/自動的に/意志によらず実現してしまうことを示す自発の助動詞である。
自発の助動詞を使うことで、書き手の(研究者=分析主体の)意志とは無関係に自然と/自ずから、分析が〈湧き出た〉かのような表現ができあがる。
「私は~と思う」から〈私〉が剥ぎ取られ、「~と思われる」といった表現に置き換えられることで、思考主体の存在は見えなくなり、主張はあたかも/誰でも「自然とそう思える」かのように扱われ、断定を避けつつ必然性を強調する表現が生まれる。
C2.受身表現
(例)
・以上のことから、総合的に判断して、所期の計画以上の取組が行われていると評価される。
受身表現も、自発の表現と同じ役割を果たすべく用いられる。
たとえば「求められる」「期待される」「注目される」「評価される」という表現は、もちろん実際には、文章を書いているこの私が、求める/期待する/注目する/評価するのだが、受身となることで〈私〉が消され、必然性を強調する表現がここでも導入される。
C3.可能表現
(例)
・以上のことから、モデル駐車場では、空間分離を実施することが可能であると言える。
可能には、「私は泳げる」という能力可能のほかに、「この浜辺は遊泳可能である」という状況可能がある。
論文で頻出する「~とまとめられる。」や「~と分析できる」「~であると評価しうる」といった可能表現の多くはこの状況可能であり、やはり〈私〉を背後に隠し、そうなってしまう状況を強調することで必然性を添加する表現として用いられる。
C4.推量表現
(例)
・したがって、多角化戦略という点では、ソニーは日本の代表的企業といっていいだろう。
・したがって域内で閉鎖経済の傾向が強くなると、ユーロの国際的な役割も限定されるだろう。
断定を避けつつ蓋然性の高さを強調しようという魂胆を持った推量表現も、多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。前述の自発表現、受身表現、可能表現と併せて用いられることも多い。
事態成立の条件が整っていることを示唆しつつ、だから(私や誰かの意志がどうであれ)自ずからそういうことになるだろう、という持って行き方であるが、本来、研究はそうした「だろう」をひとつでも減らすために行われる営為である。
無論、ひとつの研究だけですべてを明らかにすることはできないから、推量を完全に払拭することは難しい。しかし推量が紛れ込む理由を自覚することで、これらの管理下に置くことが求められる。
C5.否定表現
(例)
・従って日本は主義として之に反対せざるを得ない。
・したがって、年金制度には社会政策としての側面があることは否めない。
これも多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。
〈私〉消しの機能としては推量と似ており、「したいわけではないけれど、(私や誰かの意志がどうであれ)こうするしかないよね」と消極的承認の姿勢をとりつつ、事態成立の必然感を演出する表現である。
C6.帰結表現
(例)
・したがって,遺伝子が染色体に含まれるとすれば,1つの染色体には多数の遺伝子が存在することになる。
これも「事態が成立してしまった」という表現によって必然感を演出し、加えて「である。」の繰り返しで単調になりがちな文末に変化を与えるものである。
総じて、〈私〉消しの文末表現は、研究論文が持つべき非私性・公共性が要請するものであり、〈論文らしさ〉の一翼を担うものであるが、繰り返し指摘されているように、責任逃れで自信なさげな文章、断言を回避しつづけるもったいぶった文章に堕する危険性を孕むものである。
「論文でやってはいけないリスト」に載せることは簡単だが、だといって「私は~と思う」のような〈私〉回帰になっては元も子もない。
そこでこの記事では、何ゆえ根絶されないのかを理解して、自覚し、管理下に置くことを推奨する。

論文の構成については何度か書いているので、今回は文のレベルについて、論文表現のインサイド、例えばあの持って回った言い回しは一体どこから生まれてくるのかを解説する。
何故こんな言い方が生まれてくるのかを理解した方が、やってはいけないリストをいたずらに増やすよりも、記憶に残るし応用も効くだろう。
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(論文の文例)
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(論文の構成)
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論文文体のあたまとしっぽ
論文は、A.(学問的に価値がある)課題・問いを自ら設定し、B.論証に基づいて、C.何らかの主張を行うものである。
したがって論文の中核となる文は、次の3つに分類される。
A.課題・問いを設定し、議論の方向性を示す表現
B.事実やデータに基づき、また他の文献を参照して、論証を展開する表現
C.まとめとして論文の主張を示す表現
そして、それぞれの表現は、文レベルでみると、文頭の接続詞・接続副詞と、文末の動詞・助詞・助動詞に特徴が見られる。
論文は決まったフォーマットに基づいて書かれる。これにより読み手は、どこに何が書いてあるのか予想を立てることができ、理解のための準備・構えを取ることできる。こうしてより速く読むこととともに、よりよく理解することが可能となる
全体の構成についてそうなように、文レベルでも、読み手の予想を促し助けるサインを出すことが求められる。これは当然ながら文頭で行われ、接続詞・接続副詞などがその役目を担う。
これに対して文末は、書き手(話し手)の性別・年齢・職業などのいわゆる位相の違いが現れる場所であり(例えば「食べてきたよ」「食べてきたわ」「食べてきたぜ」)、文体(話体)において中心的な役割を果たす。当然「論文らしさ」もまた、文末をどうするかによって生まれたり損なわれたりする。
つまり文のアタマとシッポをおさえておけば、それぞれのパートで必要な「論文らしい日本語」が書けるのである。
時間のない人のために、最初に表にまとめておく。

「私は……と思う」から「…は……である」へ
各論に入る前に、最も重要な事項を述べておこう。
論文やレポートは、アイデンティティを養生したり開陳したりするものではない。
そして大学は、学生の自我や人生を引き受ける場ではない。
「私は……と思う」といった読書感想文の文体がまったく出番がなくなるのは、そういう理由からである。
ある結論を出した私の思考と、その判断のもとになった根拠との関係を簡単に図式化すると以下のようになるだろう。

感想文では「私の思考」が強調され、論文では「根拠」と「結論」が前に出て「私の思考」は背景に退く。
感想文 | 根拠 → 私の思考 → 結論 |
論 文 レポート | 根拠 → (私の思考) → 結論 |
このあたりについては、英文論文について書いた、次の記事も参考になるかもしれない。
・言葉と思考の解像度を上げる→つぶやきをフォーマルな英文に仕上げる4つの技術 読書猿Classic: between / beyond readers

このことは当然ながら論文の文体に大きな影響を与える。
根拠と論理に基いて、論を展開することが求められる論文やレポートでは、対象と同じ地平に自分を置き、自らの目に映る姿を述べる一人称ではなく、視点を対象とは別のところに置き見ている自らをも視野におさめて観察する三人称による記述が求められる。
まず文の主語は、書き手から取り扱われる概念へと変わり、こうして「…は……である」という文体が選ばれることになる。
(主語) | (文末) | |
感想文 | 私(=書き手) | 「〜と思う。」 |
論 文 レポート | 概念・対象 | 「〜である。」 |
この論文文体は、学問の普通語であるだけでなく、何事かを伝えるために書かれる大人の実用文においても(したがって知識に値するものを読み書きする際に出会う)デフォルトの文体である。
では、各論へ進もう。
A.議論の方向性を予告する表現
複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さをもった文章が必要になる。
こうした場合、これからどんなことを論じようとしているのか、あらかじめ議論の方向性を示すことで、読み手の理解を助けることができる。
込み入った文章の迷路に、道しるべを立てるわけだ。
論文でよく用いられる「道しるべ」には次のものがある。。
A1 行動の予告によって後に続く内容を概説する
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
以下では… 以降で… 次に… | ・・・ | …する。 …したい。 …しよう。 |
(例)
・以下では、シミュレーションにより、債券運用の違いによるALMの安定性の分析を考察する。
・次に、アメリカの現状と比較することで、別の角度から考えてみることにしよう。
論文は「~である。」で結ばれる文を基本にできている。
書き手の姿は極力消して、事柄について述べる文が中心となるのである。
そんな中に、ときどき「~する。」や「~したい。」「~しよう。」という行為を表す文末が登場することがある。
「~である」ばかりの中に出てくるから、目立つ。
これは、行為や行為の予定を示す文で、後続の展開を予告する〈道しるべ〉である。
ここ以降では何を論じようというのか、論文の叙述に対して、いわば一つ上のレベルに立って、その方向を整理し示しているわけだ。
他の部分で「である。」を貫き、「私は~と思う」のような書き手の存在をあからさまに示す表現を退けるからこそ、行動の予告をつかったこの〈道しるべ〉は目立つ。
A2 疑問文によって論点となる問いを示す
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
では… それでは… さて… | ・・・ | …のか。 …のだろうか。 |
(例)
・それでは,なにがこのような介在原理の作動様式を決めているのだろうか。
・さて,1980年代の教育の潮流はどういう方向に行ったのか。
行為の予定とともに、論述の方向性を示す表現に、疑問文を使ったものがある。
疑問には、問いかける者がいるはずだ。
疑問文を使った表現も、極力姿を消している書き手の姿が突然現れる箇所である。
疑問文もやはり、論文の叙述に対していわば一つ上のレベルに立った書き手の介入の跡をありありと示す。
「~のか。」「のだろうか。」などの表現が、「である。」中心の叙述から浮き上がり目立つ、つまり「道しるべ」として役立つのは、こうした訳だ。
さらに目立たさせるために、それ以前の文脈からの切替えを示す「では」「それでは」「さて」といった接続詞を文頭に伴うことも多い。
問いかけとそれへの応答は、議論を方向付ける。
論理的であることは元々、相手の疑問に遺漏なく答えることだった。
現在では弁証法という日本語をあてがわれるダイアレクティークという語が、古来、論理学と問答術の両方を意味したように、論理についての知識は、もともと問答の研究から生まれたのである。
何事か論じるために書かれる論文のなかで、いきなり自問自答が行われるのは(だって論文の書き手は答えを知ってるからそもそも書いているのだろうに、何故わざわざ問いなおすのか?)、問答が議論を方向付けるからである。いや根源的に言えば、問答こそが議論そのものであるからである。
書き手は自身の研究が、ひとつの問い(リサーチ・クエスチョン)に導かれていることや、この根源の問いに答えるために、より小さな問いにいくつも答えなければならないことを知っている。
論文の中でそのすべてが疑問文で登場するとは限らないが、主要な問いは、主要な議論を導くために、必ず疑問文として登場する。
もし疑問文がひとつも出てこないなら、あるいは多すぎる疑問文で埋め尽くされるなら、あなたの論文は何について問い答えようとしているのか、答えることができるのはどの問いなのか、今一度確認した方がいい。
A3 以降の展開を構造化する/構造を予告する
A3-1 列挙を予告する表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
(数字)つの… 以降で… | ・・・ | …がある。 …があった。 |
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
第一に… 第二に… …… | ・・・ | (…である。) |
(例)
・土地によって生産性が異なるのには、大きく分けて二つの理由がある。
第一に、土地の豊度であり、肥沃度、地形、水利、気温、日照条件などがこれに当たる。第二に、土地の位置である。これは、市場までの輸送の難易である。
先に、複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さが必要だと言った。
たとえば根拠を示すにしろ、例を挙げるにしろ、たった一つでなく複数の根拠なり例示を挙げることになるだろう。
これから全部で何個の根拠なり事例を挙げるかをあらかじめ予告することで、以降の展開を構造化するのが〈列挙〉の表現である。
たとえば「3つの……がある。」と予告された後は「第一に……」「第二に……」「第三に……」という3つの同じ種類の項目が続くことになる。
A3-2 対比を示す表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
一方… これに対して… 反対に… | ・・・ | (…である。) |
(例)
・一方、婚姻による交流を意図的に排除している例として、次のような場合がある。
・これに対して、動物解放の立場からはトム・レーガンによる生態系保存論批判がある。
同種の項目を予告する〈列挙〉に対して、反対の/対称的な項目やブロックが続くことを予告するのが〈対比〉である。
個々の対象レベルから、より大きな集合や集団レベル、さらに包括的な構造レベルまで、大小さまざまな〈対比〉が行われる。
B.論証を展開する表現
論文は、講義には説得を目的とする文章の一種である。
そして根拠と例示は、説得の二大手段であり、根拠を示す表現と例示する表現は書くことはできない。さもないと、主張を言いっぱなしにすることになる。
B1 根拠を示す表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
なぜなら… というのは… | ・・・ | …からである。 …ためである。 |
(例)
・なぜなら、人間は、自己意識を持った自覚的な存在であるからである。
・というのは、この書の主人公である唐の太宗が、頼朝や家康に、やや似た位置にいたからである。
B2 例示する表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
例えば… とくに… | ・・・ | (…である。) |
(例)
・たとえば新内「明烏夢泡雪」のつぎにあげる一節の地から詞への転調をおもわせるものがある。
・これには、とくに瞬発的な抗重力運動を行う競技者に高い骨塩濃度を認めるという報告がある。
B3 参照・引用を示す表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
~によれば… ~によると… ~では… | ・・・ | …という。 …と述べている。 …とある。 |
(例)
・ダルゼルによれば、インターネットの長所は混沌と不協和音に、その自由な言論にあるという。
・『越登賀三州志』によると、この年謙信は蓮沼城を攻め、城主椎名康胤が自刃して、城が陥落したという。
・『放浪記』によれば、「一九二〇年代にすでにあったようである」と述べている。
論文では、前提を示すにしろ反論するにしろ、他の研究(論文)を参照・引用することが不可欠である。
そして参照・引用は、論文の他の部分からは明確に区別され、典拠が示されなくてはならない。
したがって参照・引用を明示するマーカーが使われる。
通常「~によれば」「~では」ではじめられ、「~という。」「~と述べている。」などで括られることで、参照・引用であることが示される。
B4 譲歩を示す表現
(アタマ) | (シッポ) | (次文のアタマ) |
たしかに… 一見… もちろん… | …である。 …であるかにみえる。 | だが… しかし… |
(例)
・確かに財産の中で建築物等を特別に扱うことは理由があるかにみえる。
しかし、結論的にはこの見解に同意することはできない。
論文では、他の研究を単に参照・引用するだけでなく、それらの主張や常識的な見解、また想定される反論を挙げて、それらを部分的に受け入れつつ、一部分を否定し、書き手の主張や見解を展開する〈譲歩〉の表現を用いることが少なくない。
部分的に受け入れる前段は「たしかに」「もちろん」「一見」などで始められ、「である。」「であるかにみえる」等で結ばれる。
そして批判を行う後段は、すぐあとに「だが」「しかし」ではじめられる。
B5 定義する表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
・・・ | ・・・ | …と呼ぶ。 …という。 …と名づける。 …と定義する。 |
(例)
・資産の流動化を「資産の保有者が資産の価値および資産の生み出すキャッシュフローを原資として資金調達を行うことである。」と定義する。
・三者関係で記述された世界を外在世界と名づける。
他に論文表現で欠くことのできない重要なものに〈定義〉の表現がある。
定義は、学問的コミュニケーション(論文はまさしくコミュニケーションのツールである)において、解釈のばらつきを避け、厳密性を担保するとともに、説明や正当化の無限後退や循環論法のような〈場外乱闘〉を封じ込め、健全で意義のある議論を成立させるために重要である。
定義は、論述そのものというより、その前提となるものなので、「である」中心の叙述から目立つように「と呼ぶ。」「という。」「と名づける。」「と定義する。」といった文末を持つ。
C.主張提示の表現
長く複雑な論証を受けて行われる論文の主張では、それらを受ける「このように」「以上のことから」といったまとめの表現や「したがって」「それゆえ」などの帰結の接続詞がマーカーとして用いられる。
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | (後述 C1〜C6) |
しかし論文表現としてより特徴的であり、また問題をはらんでいるのは、主張における文末である。
これは種類が多いので、後で6種類に分類して示す(C1〜C6)。
これら文末は、いずれも論文表現に特徴的な「私」消しの機能を担い、(多くは無自覚的にだが)論理的必然性を強調するために用いられるものである。
なぜ、論文では、特にその主張部分では「私」を消す必要があるのか。
それは、論文の主張が、原理的には、論文執筆者の個人的見解、私有物ではなく、当該分野の学問の一部であり共有財産であるからである。
エッセイに書かれるような個人的見解は、その書き手の見解だからこそ価値を持つ。読み手はそれに共感する(あるいは共感しない、反感を持つ)が、個人的見解であれば異なる見解が併立しても差し支えない。
しかし論文における主張は違う。それは「私」の見解ではなく、「我々」の知的共有財産(の一部)である。だからこそ旧来の学説と矛盾する主張が登場すれば、その検証・反証に多くの研究者が参加し、最終的には新説が退けられるか、あるいは旧来の学説が改められるか、いずれかになる(ここまで理想的に展開が運ばなくとも、少なくともこうした志向が学問コミュニティに生じる)。
一個人の特殊的見解ではなく、我々すべてに共有されるべき普遍的知識を志向するために、事実・データから論文の主張を導き出した研究者=論文執筆者の関与は背景に退けられ、まるで事実・データから自動的に論文の主張が導き出されるかのような表現が使われるのである。
この「私」消しの機能こそ、「行為の主体が曖昧になるから受身形を避けるように」と多くの論文表現本が主張しているにもかかわらず、この種の表現が消えない理由である。
C1.自発表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …と思われる。 …と考えられる。 …と感じられる。 …と解される。 …と見られる。 …と推察される。 |
(例)
・以上のことから、本製剤が適切に使用される限りにおいては、食品を通じてヒトの健康に影響を与える可能性は無視できると考えられる。
思考作用を表す動詞につけられる「れる」「られる」は、論文表現本では乱暴に「受身」扱いされることもあるが、心的作用が自然に/自動的に/意志によらず実現してしまうことを示す自発の助動詞である。
自発の助動詞を使うことで、書き手の(研究者=分析主体の)意志とは無関係に自然と/自ずから、分析が〈湧き出た〉かのような表現ができあがる。
「私は~と思う」から〈私〉が剥ぎ取られ、「~と思われる」といった表現に置き換えられることで、思考主体の存在は見えなくなり、主張はあたかも/誰でも「自然とそう思える」かのように扱われ、断定を避けつつ必然性を強調する表現が生まれる。
C2.受身表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …求められる。 …期待される。 …注目される。 …評価される。 |
(例)
・以上のことから、総合的に判断して、所期の計画以上の取組が行われていると評価される。
受身表現も、自発の表現と同じ役割を果たすべく用いられる。
たとえば「求められる」「期待される」「注目される」「評価される」という表現は、もちろん実際には、文章を書いているこの私が、求める/期待する/注目する/評価するのだが、受身となることで〈私〉が消され、必然性を強調する表現がここでも導入される。
C3.可能表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …られる。 …できる。 …しうる。 …することが可能である。 |
(例)
・以上のことから、モデル駐車場では、空間分離を実施することが可能であると言える。
可能には、「私は泳げる」という能力可能のほかに、「この浜辺は遊泳可能である」という状況可能がある。
論文で頻出する「~とまとめられる。」や「~と分析できる」「~であると評価しうる」といった可能表現の多くはこの状況可能であり、やはり〈私〉を背後に隠し、そうなってしまう状況を強調することで必然性を添加する表現として用いられる。
C4.推量表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …だろう。 …であろう。 …(自発・受身・可能+)よう。 |
(例)
・したがって、多角化戦略という点では、ソニーは日本の代表的企業といっていいだろう。
・したがって域内で閉鎖経済の傾向が強くなると、ユーロの国際的な役割も限定されるだろう。
断定を避けつつ蓋然性の高さを強調しようという魂胆を持った推量表現も、多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。前述の自発表現、受身表現、可能表現と併せて用いられることも多い。
事態成立の条件が整っていることを示唆しつつ、だから(私や誰かの意志がどうであれ)自ずからそういうことになるだろう、という持って行き方であるが、本来、研究はそうした「だろう」をひとつでも減らすために行われる営為である。
無論、ひとつの研究だけですべてを明らかにすることはできないから、推量を完全に払拭することは難しい。しかし推量が紛れ込む理由を自覚することで、これらの管理下に置くことが求められる。
C5.否定表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …否定できない。 …せざるを得ない。 …ほかない。 …否めない。 …なくてはならない。 |
(例)
・従って日本は主義として之に反対せざるを得ない。
・したがって、年金制度には社会政策としての側面があることは否めない。
これも多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。
〈私〉消しの機能としては推量と似ており、「したいわけではないけれど、(私や誰かの意志がどうであれ)こうするしかないよね」と消極的承認の姿勢をとりつつ、事態成立の必然感を演出する表現である。
C6.帰結表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …することになる。 …ということになる。 |
(例)
・したがって,遺伝子が染色体に含まれるとすれば,1つの染色体には多数の遺伝子が存在することになる。
これも「事態が成立してしまった」という表現によって必然感を演出し、加えて「である。」の繰り返しで単調になりがちな文末に変化を与えるものである。
総じて、〈私〉消しの文末表現は、研究論文が持つべき非私性・公共性が要請するものであり、〈論文らしさ〉の一翼を担うものであるが、繰り返し指摘されているように、責任逃れで自信なさげな文章、断言を回避しつづけるもったいぶった文章に堕する危険性を孕むものである。
「論文でやってはいけないリスト」に載せることは簡単だが、だといって「私は~と思う」のような〈私〉回帰になっては元も子もない。
そこでこの記事では、何ゆえ根絶されないのかを理解して、自覚し、管理下に置くことを推奨する。
2013.10.24
ブログのネタはどこからやってくるのか?-読書猿ブログの7つの源泉
使いまわす/前に書いた記事の残り
10調べても、使うのはそのうち1~2。残りの8~9の中にまだ使いたいネタがあって、それを使う場合。
これが一番速い。連投できるが、面白いものから書いていくから、尻すぼみになる。
長期的に見ると、残り物を書かずに残しておいた方が、他と結びついたり育ったりして、ましなものになりやすい。
先に進む/前に書いた記事の続き
前項とは似て非なる。
ある記事を書いたことがきっかけになって、その前には至っていなかったところに進めた場合。
しかし、こちらは時間はかかる。
たとえば、「書評を読むな、書誌を読め/存在すら知らぬ本を探すための本
」(2010.11.16)という記事をきっかけにして、「点の読書、線の読書、面の読書
」(2011.02.27)という記事を書いたけれど、この時点では単なる抽象論だった。
図書館の使い方についてのいくつかの記事や、「集めた文献をどう整理すべきか?→知のフロント(前線)を浮かび上がらせるレビュー・マトリクスという方法
」(2013.05.09)を経て、「複数の文献を一望化し横断的読みを実装するコンテンツ・マトリクスという方法
」(2013.08.27)でようやく具体的な手続として展開できた。
言わずにとっておく/悪口
前項は書いたものの続きを書くことだったけれど、これは書かずにおいたものの続き、である。
たとえば、文章を書くことはどうのこうの(0を1だとか100を1だとか)いう抽象論にはうんざりだ、と書くかわりに、「だったらお前なら何をどう書くんだ?」という自問に変換して、その答えを、今の場合ならどんなステップでなら文章を書くことができるかを、具体的に書くのである。
・文章の型稽古→穴埋めすれば誰でも書ける魔法の文章テンプレート 読書猿Classic: between / beyond readers

・これは書くことがとことん苦手な人のために書いた文章です→小学生から大人まで使える素敵な方法 読書猿Classic: between / beyond readers

・伝えるべきことを伝えるために最低限必要なこと/仕事の文章のテンプレートの素 読書猿Classic: between / beyond readers

・生まれてはじめて書く人のための、小学生向け小説執筆マニュアル(手順書) 読書猿Classic: between / beyond readers

具体的に書くデメリットは、具体的であるだけに、一般的に論ずるよりもカバーする範囲が狭くなることである。これは仕方がないが、しかし絶望的でもない。文章を書くこと全般に当てはまることが無理でも、当てはまらない文章や書き手について、また別の書き方を具体的に書くことはできる。
ここから振り返っていると、悪口というのは、対象は変わっても、多くの場合、定型的なのである(なのでレスポンスよく、すばやく書ける)。
せこい話だが、悪口にしてしまえば一回切りのネタも、そうでないものにすればいくつかのネタになる。
次々にターゲットをかえてすばやい悪口を連射するやり方も、一つの書かれざる悪口を軸にいくつもの記事を書き連ねるのも、どちらもペイし得る戦略である。
もちろん悪口を書いた上で、悪口でない記事も書いてしまえばさらにネタは増えるのだが(今気付いた)、その場合はきっと、悪口記事の段階で満足してしまって、そこから先へは進まない気がする。
今度、試してみる。
昔の自分に宛てて書く/過去
確かに悪口のタネは尽きず、悪口を原資にすればネタは尽きないけれど、そればかりでは心がすさみそうだ。
そこで悪口の矛先を自分に振り向けてみる。今度は自己嫌悪に凹みそうだが、過去にずらすと何とかやっていける。
昔の自分はなんと愚かでモノを知らなかったのだろう、と。
前に「当たり前のことばかり書きやがって」と悪口を言われたことがある(このブログでよく読まれる記事というのは、ある人には〈当たり前〉で、別の人には初耳で、さらに別の人には〈冒涜されたように感じられる〉ものだったりする)。
〈当たり前〉ならわざわざ書くまでもないはずだが、それがちっとも当たり前でなかった昔の自分に向けて書いているつもりなのである。
半分ぐらいは多分、誰でもない誰かに「こんなことぐらい、もっと先に教えといてよ」と恨み言をいう代わりに書いている。
応える/内外の声
「わざわざ書くまでもない」という気持ちは、このブログを続けながらずっと持っているもので、低い更新頻度を言い訳するようになるが、ブログ記事を書く動機づけは実はあんまり高くない。
というより、書くことはそれだけでもう過剰か余計な行為だと思ってしまう。
書かずに済ませることは、いつだって可能なのだ。
といったことを考えて、多くの時間、書くや書かざるやの境でうだうだしているので、ほんの少しのキッカケで記事ができることが少なくない。
たとえば内外の声が、飽和水溶液に投じられた結晶の核となることによって。
調べる/書物
言い訳の言い訳になるが、キッカケがあって間をおかずにひとつの記事になるくらいの分量の文章ができあがることもあるけれど、ちょっと調べてみないといけないとなると、どうしても時間がかかる。
ネットで調べられる範囲は昔に比べれば増えたけれど、「ネットにろくなのがない」って(また悪口だ)ことが書き出す始まりの記事だと、紙の本だって読まないといけない。それまで関心がなくて不案内なトピックだと、一つの記事で30冊ぐらい見るとして一週間はかかる。
続ける、仕上げる/書きかけ
こういう手の遅さだから、実際にブログに上がるものは、ゼロから書いたというより、以前書いて中断したものを堀り出してきて、続きを書き継いで、なんとか最後まで行き着いた、というものが多い。
もちろん書き継いでも、再び中断する。
書き継いで中断して、を繰り返すと、当然時間は進む。
前に書いたレオ・シラードの伝記記事は、書き出してから3年くらい経っていた。
・時代はその悲観主義を追いかけた→レオ・シラードー原子の火をもたらしたプロメテウス 読書猿Classic: between / beyond readers


(最初のメモ 2011.03.25)
ブログというのは、もうちょっと軽快に書くもののような気がする。
10調べても、使うのはそのうち1~2。残りの8~9の中にまだ使いたいネタがあって、それを使う場合。
これが一番速い。連投できるが、面白いものから書いていくから、尻すぼみになる。
長期的に見ると、残り物を書かずに残しておいた方が、他と結びついたり育ったりして、ましなものになりやすい。
先に進む/前に書いた記事の続き
前項とは似て非なる。
ある記事を書いたことがきっかけになって、その前には至っていなかったところに進めた場合。
しかし、こちらは時間はかかる。
たとえば、「書評を読むな、書誌を読め/存在すら知らぬ本を探すための本


図書館の使い方についてのいくつかの記事や、「集めた文献をどう整理すべきか?→知のフロント(前線)を浮かび上がらせるレビュー・マトリクスという方法


言わずにとっておく/悪口
前項は書いたものの続きを書くことだったけれど、これは書かずにおいたものの続き、である。
たとえば、文章を書くことはどうのこうの(0を1だとか100を1だとか)いう抽象論にはうんざりだ、と書くかわりに、「だったらお前なら何をどう書くんだ?」という自問に変換して、その答えを、今の場合ならどんなステップでなら文章を書くことができるかを、具体的に書くのである。
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・これは書くことがとことん苦手な人のために書いた文章です→小学生から大人まで使える素敵な方法 読書猿Classic: between / beyond readers

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具体的に書くデメリットは、具体的であるだけに、一般的に論ずるよりもカバーする範囲が狭くなることである。これは仕方がないが、しかし絶望的でもない。文章を書くこと全般に当てはまることが無理でも、当てはまらない文章や書き手について、また別の書き方を具体的に書くことはできる。
ここから振り返っていると、悪口というのは、対象は変わっても、多くの場合、定型的なのである(なのでレスポンスよく、すばやく書ける)。
せこい話だが、悪口にしてしまえば一回切りのネタも、そうでないものにすればいくつかのネタになる。
次々にターゲットをかえてすばやい悪口を連射するやり方も、一つの書かれざる悪口を軸にいくつもの記事を書き連ねるのも、どちらもペイし得る戦略である。
もちろん悪口を書いた上で、悪口でない記事も書いてしまえばさらにネタは増えるのだが(今気付いた)、その場合はきっと、悪口記事の段階で満足してしまって、そこから先へは進まない気がする。
今度、試してみる。
昔の自分に宛てて書く/過去
確かに悪口のタネは尽きず、悪口を原資にすればネタは尽きないけれど、そればかりでは心がすさみそうだ。
そこで悪口の矛先を自分に振り向けてみる。今度は自己嫌悪に凹みそうだが、過去にずらすと何とかやっていける。
昔の自分はなんと愚かでモノを知らなかったのだろう、と。
前に「当たり前のことばかり書きやがって」と悪口を言われたことがある(このブログでよく読まれる記事というのは、ある人には〈当たり前〉で、別の人には初耳で、さらに別の人には〈冒涜されたように感じられる〉ものだったりする)。
〈当たり前〉ならわざわざ書くまでもないはずだが、それがちっとも当たり前でなかった昔の自分に向けて書いているつもりなのである。
半分ぐらいは多分、誰でもない誰かに「こんなことぐらい、もっと先に教えといてよ」と恨み言をいう代わりに書いている。
応える/内外の声
「わざわざ書くまでもない」という気持ちは、このブログを続けながらずっと持っているもので、低い更新頻度を言い訳するようになるが、ブログ記事を書く動機づけは実はあんまり高くない。
というより、書くことはそれだけでもう過剰か余計な行為だと思ってしまう。
書かずに済ませることは、いつだって可能なのだ。
といったことを考えて、多くの時間、書くや書かざるやの境でうだうだしているので、ほんの少しのキッカケで記事ができることが少なくない。
たとえば内外の声が、飽和水溶液に投じられた結晶の核となることによって。
調べる/書物
言い訳の言い訳になるが、キッカケがあって間をおかずにひとつの記事になるくらいの分量の文章ができあがることもあるけれど、ちょっと調べてみないといけないとなると、どうしても時間がかかる。
ネットで調べられる範囲は昔に比べれば増えたけれど、「ネットにろくなのがない」って(また悪口だ)ことが書き出す始まりの記事だと、紙の本だって読まないといけない。それまで関心がなくて不案内なトピックだと、一つの記事で30冊ぐらい見るとして一週間はかかる。
続ける、仕上げる/書きかけ
こういう手の遅さだから、実際にブログに上がるものは、ゼロから書いたというより、以前書いて中断したものを堀り出してきて、続きを書き継いで、なんとか最後まで行き着いた、というものが多い。
もちろん書き継いでも、再び中断する。
書き継いで中断して、を繰り返すと、当然時間は進む。
前に書いたレオ・シラードの伝記記事は、書き出してから3年くらい経っていた。
・時代はその悲観主義を追いかけた→レオ・シラードー原子の火をもたらしたプロメテウス 読書猿Classic: between / beyond readers


(最初のメモ 2011.03.25)
ブログというのは、もうちょっと軽快に書くもののような気がする。