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    この書
    『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』の著者は
    稀有の、あるいは新しい型の、書評家である。

     取り上げられた書物を読みたくなるような書評家は何人もいる(もちろん、この本の著者もその一人だ)。
     しかし逆に、こちらが本を勧めたくなるような書評家はまずいない。
     いや、そもそも世にある大抵の書き手は、差し出すことはしても、受け取るところをあまり見せない。
     彼らだって本を読まない訳ではない(むしろたくさん読んでいるだろう)。しかしそれら膨大な量の読書が何によって支えられているか、もっとはっきり言えば、それらの本を誰に教えてもらったか、詳らかにする人は少ない。

     この本の著者はまずそこが違う。なにしろ本文の到るところに、「はじめに」に、「おわりに」に、そしてとりわけ書名に、これ以上にないくらいはっきり書いてある。『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』と。
     この題名は、彼が書き続けている書評ブログのタイトルそのままなのだが、書名になったことでさらなる威力をまとったように思える。

     書き手と読み手の間に上下はないんですよ、と語る著者はいただろう。
     けれど、これほどに書き手と読み手を相互循環的に結ぶ書名があっただろうか。
     自分が紹介する書物以外に、どれほど多くの書物が広がっているかを暗示する言葉があっただろうか。
     数多くの書物を差し出しながら、それと同時に受け取るために開いた手を伸ばしてくる書評家がいただろうか。

     著者は、書物の森を形作る大いなる互酬性を信じている。
     よい本を誰かに教えることで、更に多くのよい本を自分が知ることができると確信している。
     そして読者を読者にするのは、つまり読者に書物を届けるのは、著者や版元や書店や図書館だけではないことを知っている。そして不断に実践している。

     書物がそうであるように、読者もまた孤立しては存立し得ない。

     我々は誰もが教え教えられて本を読むのだ。


    それでは本の話をしよう。

    まず目次である。
     これがものすごく詳しい。数えてみたら目次だけで3500文字近くある。
     紹介している書名を含んでいることもあるけれど、その主因は、各セクションのタイトルが、思わせぶりなキーワードでなく、内容を端的に示した文(センテンス)になっているからである。それも読める目次、読ませる目次だ。
     著者の書評には必ず、その書評のエッセンスとなるような、記憶に残るセンテンスが出てくる。
     この本の中にも名言集を取り上げ、名言との付き合い方を扱ったセクションがあるように、「記憶に残るセンテンス」について著者はかなり自覚的だし、しかも名言を書き抜き読み返してきた日頃の蓄積(トレーニング)を土台としている。

    それから索引である。
     そう、索引がちゃんとついているのだ。日頃から「索引のない本をつくる奴は縛り首だ」もとい「索引があることでその書物の寿命は倍増する」と主張している評者としては、これだけで10年戦えると評したいところである。

     さらに本書は
    図書館について1章を割いている
    (第2章)。
     これまで書評家たちは、ほぼ例外なく図書館の話をしなかった。そして、すべての読むべき書物は新刊書である、とでもいうような立ち振舞いをすることがほとんどだった。
     理由は明白だ。仕事として彼らが扱う書物は、まずもって「商品」であったからだ。
     その是非はここでは問わない。今はただ、図書館を無視した読書生活が何を欠いているか、この章で詳しく扱われていることに触れておこう。
     そして私達は書物と図書館を必要としていると記し、本書が、全国の図書館が臨時休館中という2020年の「図書館の日」に刊行されたことを記憶にとどめよう。

     第3章では多くの読書論を、第4章では書き方本を、俎上にのせて、書物にまつわる読むことと書くことの相互循環性が様々に論じられる。読書本と文章本という合せ鏡を通じてできた無限回廊に誘い、そこを通り抜けた読者がこれまでと違った書物との付き合い方を始められるように。
     第5章では、人生の多くの局面が、とりわけ著者のライフワークとなるはずの、死との付き合い方が、多くの書評を通じて展開される。

     そして「おわりに」では、
    この書の主旋律で再び顔を出す。
     私はこれらの本をこのように読んだ。
     さて、あなたは? 何をどう読むのか(読んだのか)。
     そうしたら、そっと告げてほしい。
     すばらしい書物がこの世界にはあることを、その題名を。

    「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のだから。