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     今、あなたは図書館の参考図書コーナーで、『日本の参考図書 第4版』のページをめくっている。

     A4サイズの大きな紙面に、整然として、かつ、ゆったり余裕を持った文字組み。古い辞典のような混み入った見にくさとは逆の、明るさと見やすさ。

     あなたはページをめくりながら、一種の既視感に襲われる。それも近い。たった今見たばかりの光景が、別の場所にもうひとつ出現したとでもいうような感覚……。


     「地図のジョークがありましたな。『諸君、わかったぞ。我々は今、あの山の頂上にいるらしい』」

     あなたは、聞き覚えのある声と口調に顔を上げる。そう、あの初老のライブラリアンだ。

     「いや、というより、むしろ……」

     あなたは、言葉を返すために、辺りを見回す。そうか、これか、これが既視感の原因だ。

    「むしろ、自分がこの本の中にいるかのような、そんな感覚でした。でも、逆だった」
    「その書は、日本十進分類法で、明治以降国内で刊行された参考図書7千冊を配列してあります。加えて……」
    「この本は、我々の世界の入り口だと、以前にあなたから」
    「そうでした。しかし今は、もっと文字通りの意味に受け取っておられるでしょう」
    「ええ。この、ここの参考図書コーナーは、この本にそっくりです。この本に載っている本が、載っている通りの順序で、並べられている」
    「言い訳じみていますが、この本を真似たわけではないのです。むしろ同じ頂上(いただき)を、結果として目指していた、とでも申しましょうか。無論、この本は、まずもってライブラリアンが自分たちの参考図書コーナーを作るのに役立つよう編んであるのですが」
    「あなたも編集に参加されたのですね?」
    「ほんの少し手伝いを。我々のような歳になりますと、これまで借りた学恩が多く、返す方を急がないと、一生の収支が合いませんので」

    「借りた、ですか?」
    「『学恩に浴す』と言いますが、私が恩を受けたのは、太陽のような存在ではありません。むしろ師には恵まれませんでした。これは私どもの時代には、学問を続けていく上で少々不便な事態でしたが」
    「あの……ぼくの事情をご存知でしたか?」
    「いいえ、全く。しかし分かります」
    「何故です?」
    「似たような境遇の方をたくさん存じ上げているので。……大学に職を得たカール・マルクスやジークムント・フロイトを想像できますか?」
    「さすがに、それは考えたことがありませんでした。いや、ちょっと同列には考えられません」
    「私もです」

     あなたには今、彼が笑ったように思えた。自嘲? いやむしろ、さも愉快そうに、しかし、いたずらをたくらむ子供みたいに、それをなんとかかみ殺している風に、だ。

     「いつかも申しましたが、互いに支え合わなければ、私どもの業務は成り立ちません。先達であれ、後進であれ、時間をどちらに隔てていようと我々は同輩なのです」
    「師や弟子といった関係は必要ない、ということですか?」
    「いいえ。師に恵まれることは、やはり僥倖です。弟子もまたしかり。しかし受け継がれるべき学統よりも、我々には尊ぶもの、尊ぶべきものがある、ということです」
    「何ですか、それは?」
    「人と本、ふたつを結ぶことです。ランガナタンの5原則(Five_laws_of_library_science)をご存知ですか?」
    「ええ、たしか……1.本は使うためのものである。First law: Books are for use.」
    「2.いずれの人にもすべて、その人の本を。Second Law: Every reader his or her book.
     3.いずれの本にもすべて、その読者を。Third Law: Every book its reader.
     4.読者の時間を節約せよ。Fourth Law: Save the time of the reader.
     5.図書館は成長する有機体である。The library is a growing organism.
    このすべてのために私ども司書は働きます。Fourth Lawに反し、時間を奪ってしまったようです。あなたをお見掛けしたので、思わず声をかけてしまいました」
    「いいえ、とんでもない。ぼくの方こそいつも、助けてもらってばかりで……」
    「それが私どもの仕事です。……次にお会いするのは、別の図書館で、ということになりますが」
    「! お辞めになるのですか?」
    「呼ばれて行く、と自分では考えています。新しいものを作り上げるのに、その最初から関わるのは、いくつになっても至上の喜びです」
    「新しい図書館が……」
    「はい。夥しいほどの数の本が作られ、消えていく流れの中で、私どもが生み出せるのは、ほんの小さな淵のようなものかもしれませんが」
    「それでも……楽しみです」
    「ありがとう。では、いずれまたお目にかかりましょう」




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