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     君を誰かが呼んでいる。

     振り返ると、クラスメイトの少女が、小さな体をめいっぱい大きくみせるようにして怒ってる。
    「今日は委員会の日でしょ!」
    「……ああ、そうだっけ」
    「もう!どうしてこんなぼんやりした人と!」
     クラス委員をやらなきゃならないのか? と君は彼女が飲み込んだ言葉を推測する。
     確かに「柄」じゃない。小学校では、こんなこと一度も無かったのに。
     面倒という言葉が、君の頭の中を占拠する。
     だが、それが口から漏れたら最後、彼女の怒りは天井を突き破るかもしれない。
     「委員なら、図書委員がよかったな……」
    「だったら立候補すれば良かったじゃない!」
    「立候補も何も、真っ先に指名されてクラス委員に決まってた。他の委員はその後、決めたんだ」
    「だから! クラス委員に指名された時に、他にやりたい委員があるから、って辞退すればよかったんでしょ、まったく!」
    「断るのも、なんか面倒で……」
    「あなたってそういう奴よね!」
     彼女は怒りながらも、悲しげに首を振る。
    「1年の最初のホームルームで、生徒同士まだ顔もよく分からないでしょ! 教師が適当な子を指名するの。よくある話じゃない」
    「そうなんだ」
    「ぶっちゃけ入試の点数でしょ。あなた、入学式で新入生代表も、やってたじゃない」
    「そういうので選ぶの、どうかと思う」
    「今、あたしも、すっごくそう思ってるわ!」
     彼女はそう言い放つと、君の手首をつかんで、ものすごい勢いで歩き出した。

     委員会は、1時間ほどで終わった。
    「ほら、ぼーっとしてないで、帰るわよ!」
    「ああ、うん」
     校門まで来て、君は彼女に別れを告げようとする。
    「ちょっと、あなたの家、そっちじゃないでしょ!」
    「いや、図書館に寄ってから帰るから」
    「図書館って県立の?」
    「うん」
    「いいわ。あたしも今日は特に用事がないし、つきあったげる」
     いや、ごめんこうむる、というセリフが頭に浮かぶ。
     が、君はとっさにセリフを心のゴミ箱に入れ、今日は「断り方」の本でも捜すかな、「809 言語生活」の「809.2 話し方」の辺りかな、コミュニケーションという面なら「361.4 社会心理学」の棚も見た方がいいな、ああ「385.9 礼儀作法」ってこと考えられる、などと思い直す。

     図書館につくと、君は出会う度に図書館員に軽く会釈して、そのまま本棚の間に消えて行く。さして急ぎ足ではなかったが、ここまで着いて来た彼女の方は、そうした君の動きが想像を超えていたらしく、あっけにとられて置いていかれてしまった。
     悲しみとも悔しさともとれる怒りのメーターが振り切れそうになった瞬間、彼女に声をかける者がいた。
     「お嬢さん、彼に代わってお詫びします。どうも本のこととなると周囲に気を配ることを忘れてしまうようです。ですが、彼が誰かを連れてやってきたなんて初めてのことです。あなたを歓迎します」
    「は、はい。えーと、あなたは?」
    「これは、申し遅れました。この図書館で司書をしております」
    と初老の司書は答えた。そしてこう付け加えた。
    「彼の友人です」


     「そうなんですか」
     初老の司書と君が出会った経緯(いきさつ)、君が彼に導かれ、どんな風に本を選び、また読むようになったか、といった話を聞き終えて、彼女はため息をもらした。
    「うちの学校、けっこう厳しいんです。なのに、塾も行ってないっていうし、いつもぼんやりしてるし、でも何でも知ってて、成績だっていいんです。ずっと疑問だったことが解けた気がします」
    「そうですか。彼はどんな学校生活を?」
    「あたしと同じクラス委員です。本人は嫌がってるみたいだけど。あんまり学校は好きじゃないみたい。授業が終わると、今日みたいに委員会がある日でも、そのまま帰ってしまおうとするし……いつも、図書館に来てたんですね」
    「あなたは学校生活を楽しんでいるようにお見受けしますが」
    「え? ええ、多分。いろいろ面倒なこともあるけど、楽しんでます」
    「それはなにより」
     司書と彼女は、並んでレファレンス・カウンターの中に座っていた。
     「いいんですか? その、お仕事中に」
    「かまいません。図書館に来られる方の5%足らずしか、レファレンス・カウンターにやって来られない。優雅な閑職です」
    「とてもそうとは……」
     彼女のいうとおり、レファレンス・カウンターには、彼女が座ってからも、もう何人もの来館者がやって来ている。
     「……なるほど。温泉や噴水などで、ライオンの口からお湯や水が出ている理由ですか? なぜライオンなのか? トラやヒョウではなく、ゾウやカバでもなく。たいへん興味深い。日本で最初に近代的な水道ができたのは横浜ですが、日本最初のその共同水栓が「獅子頭共同栓」と確か呼ばれていたように思います。どう思いますか?」
     司書は、となりの彼女に水を向ける。
    「えーと、あんまり意識したことがなかったけど、確かにあちこちでライオンが水を吐き出してるのを見た気がします」
    「ありとあらゆる、と申し上げることのできる図書館はまだ存在したことがありませんが、この図書館にもかなりの『答え』が眠っています。しかし、彼らは『問い』がないと、眠りから覚めない。『問い』を携えてやって来る方がいてはじめて、私どもレファレンス・ライブラリアンは彼らを起こしに行くことができます。さて、ではまず、何に尋ねることにしますか?」
    「あの……確か、まずは百科事典から、って言ってました」
    「誰が?」
    「……え?」
    「ああ、失礼。それはあまり重要ではありませんね。今の場合も、もちろん百科事典に当たります。何故なら……百科事典は生物学事典ではないからです。ちょっと失礼。……この巻から「ライオン」の項を開いて下さい。索引から引くのが常套ですが、今は少しばかり、劇的な効果を加えたいので。いえ、こちらの話です。……百科事典は、必ず複数、引くべきです。そして、今回の『問い』ほど、その理由が明らかになる事例はないと言えるでしょう。事実、例えばライオンに関する生物学的知見について言えば、同時代に編まれた百科事典同士を比較しても、さほど差がある訳ではありません。私たちもそのような期待はしていない。しかし、人がライオンをどのようなものとして捉え考えてきたのか、どの時代のどの社会でライオンはどんなシンボルであったかについては……無論、これは生物学事典に載せるべき事項ではありません……あまりに広大かつバリエーションに富んでいるので、何を拾い上げどのように解説するかは、言わばそれぞれの百科事典の腕の見せどころです。論より証拠、まずは比べてみましょう。『日本大百科全書』(小学館)のライオンの項目です。5章立てで最後に「5.民俗」というのがあるはずですが、読み上げてもらえますか?」
    「あ、はい。
    百獣の王とよばれるライオンは、力の象徴として、しばしば王、王権、さらにはカトリック教会における神、聖人(聖マルコは有翼のライオンによって表される)などと結び付けられてきた。……(中略)……ライオンは、人間界における力の保持者と対比されるだけでなく、ライオンの具現する破壊力をもしのぎ、それを統御する者を際だたせる象徴でもある。……(中略)……恩恵をもたらすと同時に破壊力をもつ太陽との関係は、古代エジプトの太陽神ラーとライオンの結び付きにもみられ、太陽の通路の地下トンネルへの入口と出口はライオンによって守護されているとされていた。門、境界の守護者としてのライオンは、ミケーネの獅子門、ヒッタイトの首都ハットゥシャ(ボアズキョイ)の獅子門、さらには、ヨーロッパ、ロマネスク教会の入口に施された悪者を倒すライオンの像にもみられる。アフリカ各地に、ライオン人間(あるいは獣人間)の秘密結社が存在していたとされ、ときには、王や首長の権力の乱用をチェックするために力を行使する一方、残忍な方法で人を殺害し食人をも行う悪人の結社として、恐怖の対象ともなった。ここにも、ライオンのイメージの両義性をみることができよう』。
    支配する力と破壊する力、門、境界の守護者、ライオン人間……ライオンの口から水が出るという話は載ってないですね」
    「ありがとうございます。では私は『世界大百科事典』(平凡社)から。【文化史】というくくりに[古代西洋文化とライオン]と[象徴と伝承]とがありますが、[象徴と伝承]だけを引きましょう。これだけでも随分長いのです。
    獣類中もっとも勇敢でもっとも高貴な性質をもつとされるライオンを〈百獣の王〉とする伝統は古い。……(中略)……深傷を負ったときはサルを食って傷をいやし,つねに山の頂上にすんで下界を見据えており,その目でにらみつけられた獲物はすくんで動けなくなる。……(中略)……また牛あるいはユニコーン(一角獣)を相手に激しく闘うといわれる。ドラゴン(竜)とも敵どうしで,両者が戦えば相打ちになる。
     古代エジプトでは,太陽がしし座にはいる8月にナイル川の増水が始まるため,泉や水源にライオンの頭を模した彫刻を飾った。この風習がギリシア・ローマに伝わり,口から水を吐くライオンの意匠が浴場などに使われるようになった。こうして太陽と関連づけられたライオンは,エジプトでは人面でライオンの体をもつスフィンクス,アッシリアでは有翼のライオンとして神格化され,いずれも力と知恵の象徴となった。これらの神格化はキリスト教にとり入れられてダニエルのテトラモルフtetramorph(《ダニエル書》7章参照)のような表象に用いられた
    』。
    まだまだ続くのですが、私たちの『問い』には、ここまででよいでしょう」
    「うわ、すごい。『答え』そのものです!」
    「いえ、まだ捜索のとっかかりです。ですが、いくつかの手がかりはつかめました。実は『世界大百科事典』は、そこから項目を拾い上げただけで『架空人名事典』が編めるほど、こうした象徴的事項の説明に力を注いでいるのです。言わば『得意分野』のひとつだったので、勝算はありました」
    「あらかじめ予習してあったみたいでした。まさか、百科事典の内容が全部、頭に入っているんですか?」
    「そんな、もったいない! ジテン(事典/辞典)は、自分が知っていると思い込んでいる事項を引くときが、一番楽しいのです。何故なら、私たちが求めているのは。知識そのものではなく、私たちを否応無く《知ること》へと押しやる、そんな不意打ちだからです。ほら、不意打ちをくらった一人、彼が戻って来ましたよ」

    「あれ、先生? どうして彼女と?」
    「あなたが放っていったからです。それと『先生』はやめて下さい。持っているのは何ですか?
    ・倉石あつ子, 小松和彦, 宮田登編『人生儀礼事典』 -- 小学館, 2000.4, 253p. NDC8:385
    ・サンマーク出版編集部編『シミュレーション・ブック 断る!―上手に「NO」と言えるコツ』-- サンマーク出版, 1995.9, 190p. NDC8:159
    ・勝間和代著『断る力 (文春新書)』 -- 文藝春秋, 2009.2, 295p. (文春新書 ; 682) NDC8:159
    ・ブレイトマン, ハッチ著:東山紘久訳『断る!技術―この「6つのNO」があなたの人生を変える!』-- 三笠書房, 2003.10, 221p. NDC8:361.454
    ・雨宮利春著『絶妙な「断り方」の技術―ストレスを無くし、信頼関係を築き、損をしない「NOの言い方」 (アスカビジネス)』 -- 明日香出版社, 2007.6, 179p. NDC8:361.454
    ・福田健著 『シコリを残さない頼み方・断り方 55の法則』-- 大和出版, 1996.12, 227p. NDC8:809.2
    ・生活研究サークル著 『そのまま使える頼み方・断り方のすべて』-- 池田書店, 1989.8, 206p. NDC8:809.4
    ・陶智子, 綿抜豊昭監修 『文献選集近代日本の礼儀作法 昭和編(全5巻)』-- 日本図書センター, 2008.6 第4巻「昭和女子作法の栞」「少年・少女正しい礼法」「国民学校児童用礼法要項」の複製 NDC8:385.9……」
    「えーと、あの……」
     君は口ごもり、彼女は思わず吹き出す。
     司書はやれやれといった風に話し始める。
    「あなたにこんなユーモアのセンスがあったとは驚きです。いや、むしろ彼女の笑い声に救われたと言うべきでしょう。ともあれ、課題が明らかになったのは喜ばしいことです。そして、この件に関してコーチは彼女にお願いするのが最善でしょうね」




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