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日本語の作文教育から文章読本に至るまで、〈短文信仰〉とでも言うべきものがある。
文章表現を主題とする書籍の多くが「文は短く」と主張する。
「われわれ新聞記者は、だから、入社以来、先輩たちから、文章はできるだけ短く書くように、といわれつづけてきた。短く書こうとすると、主語と述語が近づき、事実がはっきりしてくる。込み入った因果関係のある事件などの場合には、とくにこの心構えが大切である。」(猪狩章『イカリさんの文章教室』)
「短く、短く、短く。/とにかくそれを絶えず念頭に置いてほしい。そして、短い一文に、全力を傾けていくことである。/ひとつの文に、あいまいさを残さぬことである。/文章を短くすることによって、意味のつながりを明瞭にすることができる。」(馬場博治『読ませる文章の書き方』)
「平明な文章を志す場合は、より長い文章よりも、より短い文を心がけたほうがいい。/私は、新聞の短評を書いていたころ、文の長さの目安を平均で三十字から三十五字というところに置いていました。」(辰濃和男『文章の書き方』 (岩波新書))
「読みやすい文章をめざすには短めに切ることを心がけたい。平均30字以内になるように文を切っていけば、文の長さの点ではかなりやさしい文章になるはずだ。平均で40字くらいまでは読みにくくなる心配はあまりないだろう。」(中村明『名文作法』)
「一センテンスの長さは、40〜50字以内になるようにつとめるべきである。とくに、文章の書きだしのセンテンスは、力が入りすぎて、長いセンテンスになることが多いので、注意して短くする。」(安本美典『説得の文章術』)
「簡単に短い文がいいと断定するのは容易である。しかし、大切なのは、短い文と長い文の特徴を十分理解し、それを使い分けることである」(北原保雄(1977)「構文とレトリック」『現代作文講座5 作文の技術』)と、当たり前の留保をつけるものすら、ほとんどない。
あとは斎藤美奈子『文章読本さん江』が、先の短文を勧める引用を並べたてた後で「抑圧的」と一蹴し、「新語は禁じ手、紋切り型も御法度、ひたすら短くわかりやすく書く。じつに正しい。そして正しいだけである。正しさを貫いた結果は、朝の新聞受けの中にある。彼らのいいつけを守っていたら、文章はなべて新聞レベルの正しく退屈なものになる」と薪を背負わせて火をつけているくらいのものである。
しかし「短い=わかりやすい」という妄言は、もう少し丁寧に壊しておく必要がある。
当然のことながら、短い文にも長い文にも、それぞれに得手不得手がある。
「文は短く」と断ずるだけでは、短い文と長い文の特徴を理解する機会が失われる。
もう少し突っ込んでいえば、〈短文信仰〉は、一方では短い文のレトリカルな側面を隠蔽し、一方では複数の述語を持つ長い文が担うロジカルな機能への注意を阻害する。
短い文章は、伝達の正確さや分かりやすさを追求するという理由からではなく、修辞的な理由で選択されることも多い。
そして、単純でないことを、正確かつ分かりやすく書こうとすれば、それに応じた複雑さや長さを備えた文が必要になる。
先に紹介した石黒圭『よくわかる文章表現の技術』(全5巻)の第1巻「表現・表記編」には、「文の長さとよみやすさ」を扱った章(第11講)がある。
これを参考に、あまり光が当てられることがない〈長い文が得意なこと〉を中心に、文の長さについて考えてみたい。
気が短い人のための要約
*長いセンテンスが得意なこと
1.述語に軽重をつける
2.情報を階層付けする
3.表現を束ね、節約する
4.継続性を強調する
*短いセンテンスが得意なこと
1.述語間の関係を明示化しなくてすむ
2.センテンスの構造を単純化する
3.情報を後出しし目立たせる
4.センテンスにリズムをつける
長いセンテンスが得意なこと
1.述語に軽重をつける
ひとつだけしか述語を含まない単純なセンテンスをつなぐと、複数の述語を含むセンテンスができる。
「おなかが空いた。ご飯を食べた。」・・・(1)
「おなかが空いたので、ご飯を食べた。」・・・(2)
複数の述語を含むセンテンスでは、述語の間に軽重がある。
日本語は文末決定性の強い言語なので、文末に来た方の述語が主たる述語になる。
例文(2)でいうと、「食べた」の方が主たる述語である。
つまり複数のセンテンスを一つのセンテンスにまとめることで、(複数の文に含まれていた)複数の述語のうち、特定のものに焦点を当て、目立たせることができる。
このことが文章表現にどんな影響を与えるか、分かりやすいように極端な例で占めそう。
日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化する。
民主主義の諸原則を擁護することを希望する。
両国の間の一層緊密な経済的協力を促進する。
それぞれの国における経済的安定を希望する。
平和のうちに生きようとする願望を再確認する。
両国が集団的自衛権を有していることを確認する。
両国が国際平和に共通の関心を有することを考慮する。
安全保障条約を締結することを決意する。
よって次のとおり協定する。・・・(3)
例文(3)は、有名な悪文である、日米安全保障条約前文を短文化して作ったものである。
9つのセンテンスからなり、それぞれのセンテンスはひとつの述語を含む。
つまり9つの述語が登場するが、ただ並列され、そのうちのどれが重要なのか分かりにくい。
主語である「日本国及びアメリカ合衆国」は結局何をするのか、したいのか、全くはっきりしない。
次の例文(4)は、(3)を元にセンテンスをつなげ、4つのセンテンスにまとめたものである。
日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化し、民主主義の諸原則を擁護することを希望する。
両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、それぞれの国における経済的安定を希望する。
両国が集団的自衛権を有していることを確認し、国際平和に共通の関心を有することを考慮する。
よって安全保障条約を締結することを決意し、次のとおり協定する。・・・(4)
センテンスをつなげることで長文化したが、数多い述語に軽重つけられ、主たる述語は4つ「希望する」「希望する」「考慮する」「協定する」に減った。
構成要素の数が減れば、組み合わせの数は大きく減じる。
主たる述語の数が減ると、文章の構造もシンプルなものになる。
(4)の場合だと、主たる述語は4つに減らしたことで、

という述語間の関係がつかみやすくなっている。
2.情報を階層付けする
センテンスをつなげることには、他の機能もある。
センテンスをつなげまとめることで、元の複数のセンテンスが伝える情報が同じ階層(レベル)にあることを示すことができる。
例えば先の例文(4)の最初のセンテンス、
「日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化し、民主主義の諸原則を擁護することを希望する。」・・・(5)

を例にすると、「両国間の友好関係を強化する」と「民主主義の諸原則を擁護する」を同じセンテンスに取り込むことで、ふたつが同レベルの階層にあることを示している。
もう少し単純な例で示すと
「このコンビニは11時にしまる。深夜の売上げは低い。周囲の治安は悪い。」・・・(6)
では3つの文はただ並列しているだけが、内容からすれば後ろの2つのセンテンスはともに第1センテンスの理由を示している。
であれば、共に理由を表す第2センテンスと第3センテンスは束ねた方が、ふたつが同レベルの階層にあることが分かりやすい。
また3つのセンテンスの役割分担と、それぞれの間の論理的関係もはっきりする。
つまり同じ階層(レベル)にあるセンテンスをまとめることで、前後のセンテンスとの間にある階層性を示すことができる。

「このコンビニは11時にしまる。なんとなれば、深夜の売上げは低いし、周囲の治安は悪い。」・・・(7)
いくつかのセンテンスをまとめたうえで接続詞をつけることは、接続詞が影響を及ぼす範囲(スコープ)をコントロールすることでもある。
3.表現を束ね、節約する
複数のセンテンスを一つのセンテンスにまとめることで、重複した表現を省くことができる。
つまりセンテンスの長さは長くなるが、冗長さを減らすことができる。
当たり前の話だが、〈短文=シンプル〉に拘泥していると、見過ごされやすい論点でもある。
「朝は家で昨日の残り物を食べた。昼は近所のレストランでランチを食べた。」・・・(8)
「朝は家で昨日の残り物を、昼は近所のレストランでランチを食べた。」・・・(9)
4.継続性を強調する
訳あって後述する。
短いセンテンスが得意なこと
1.述語間の関係を明示化しなくてすむ
訳あって後述する。
2.センテンスの構造を単純化する
長いセンテンスは複雑な構造を持つことができる。
逆に、センテンスを短くすることは、センテンスの構造の単純化につながる。
たとえばひとつのセンテンスに含まれる述語の数が4つ、5つ・・・と増えていくと、どの述語同士の結びつきが強く、どの結びつきが弱いか、瞬時に判断することが難しくなっていく。
しかしセンテンスの構造を整理して、読みやすくすることはできる。
「マイナーな競技の場合、オリンピックでメダルを取れば取材が殺到するが、メダルを取らなければ見向きもされない。」・・・(9)
例文(9)は
「〜であれば〜だが、
〜であれば〜だ」
と、〈〜であれば〜だ〉という形式を平行して用いることで、述語を4つ使いながらも、述語の間の関係は明確である。
3.情報を後出しし目立たせる
訳あって後述する。
4.文にリズムをつける
訳あって後述する。
正確さと分かりやすさを越えて
後回しにしたものをまとめて扱おう。
先ほどいくつかの項目を後回しにしたのは、それらが内容を伝達することにだけ関わるものではないからだ。
ちょっと真顔で言いづらいが、それらは表現に関わることだと大くくりすることができる。
以下の項目は、主として文章の調子や綾に関わるものである。もちろん内容の伝達と表現は、はっきりここからここまでと分離できるものではない。
文章表現本の中には、まず正確に分かりやすく伝えることに注力すべきで、文章のスタイルを気にするなんぞ色気づくのは100年早い!とでも言いたそうなものが散見する。
しかし読書心理学的には、読み手の意欲は読解力を左右する重要なファクターだから、読みたくなるように書くことは、結果的として、よりよく伝えることに貢献している。
何かを伝えようとすれば、無自覚であれ、否応なく何らかのスタイルを採用しているのである。
わざわざ節を区切った理由は、〈短文信仰〉が、飾らない文章が一番であるという〈非文飾信仰〉と通じている節があるからである。
しかし、短いセンテンスが得意なことは、以下に見るように、むしろ修辞・表現面に多い。
長いセンテンスが得意なこと(修辞表現篇)
4.継続性を強調する
センテンスを切ることは、そこで文章の流れに小さな切れ目を入れることである。
逆に一連の出来事を一続きのものとして表現したい場合には、一つのセンテンスにまとめることは有効である。
「自動販売機のまえに100円玉が落ちていた。僕はそれを見つけた。そして周りを見た。誰も居ないことを確認した。落ちていた100円玉を拾った。それをポケットに入れた。」・・・(10)
「自動販売機のまえに100円玉が落ちているのを見つけた僕は、周りを見て、誰も居ないことを確認し、100円玉を拾って、ポケットに入れた。」・・・(11)
短いセンテンスが得意なこと(修辞表現篇)
1.述語間の関係を明示化しなくてすむ
言葉を伝達手段としてのみ考えると、このことは長所とは言えないが、予防線は引いておいたから、気にせず進む。
複数のセンテンスをつなげ一つのセンテンスにまとめる場合には、接続助詞などを用いなければセンテンスとして成り立たず、それぞれの関係は否応なく示されることになる。
複数のセンテンスに分けた場合には、接続詞を使って関係を明示することもできれば、接続詞を使わずに関係を明示せずに済ませることもできる。
よくいえば、センテンス同士の関係について、その解釈の可能性を開くというか、読者に委ねるというか丸投げするというか、曖昧にしたまま済ませるというか、段々ひどくなってきたが、そういうことができる。
実際のところどうなのかといえば、日本語の場合、接続詞をつけられたセンテンスは、全体の1割=10%程度である。9割の文は、接続詞がないままに並べられているわけだ。
多くは接続詞なしでも誤解が生じる可能性が少ない(だから接続詞は必要ない)からだが、不必要以外の理由もある。
一歩ごとに道しるべがある道がかえって歩きにくく、また歩いても楽しくないように、あらゆるセンテンスに接続詞をつけた文章は、ぎくしゃくして読みづらい。
また接続詞は、センテンスとセンテンスとの論理的関係を示すだけでなく、強調したいところを目立たせたり、また言葉の調子を整えたりリズムをつけたりするのにも用いられる。
そうした文の綾としての接続詞が効果を発揮するためには、接続詞の使用を極力ひかえて、ここぞというところでのみ使った方がいい。
3.情報を後出しして目立たせる
「昨日夜更かししたから、試験中、頭が働かなかった。」・・・(12)
「試験中、思うように頭が働かなかった。昨日夜更かししたのだ。」・・・(13)
「先日、夏目漱石の『こころ』という作品を読んだ。」・・・(14)
「先日、とても心に残る作品を読んだ。夏目漱石の『心』という作品だ。」・・・(15)
先日書いた謎解き文が、まさにこれに当たる。
読む者を新しい知識に導きその心を惹きつけてやまない謎解き文のテンプレート 読書猿Classic: between / beyond readers

謎解き文をつくる手順ををもう一度説明すると、
(1)文章の一部を取り出し
(2)後ろに回して
(3)元あったところに別の語句を挿入する
となる。
新たな文章を挿入するステップ3があるので、全体として文章が伸びているが、そのステップを省くと、元のセンテンスは切り分けられ、一つ一つのセンテンスは短くなっている。
謎解き文は、情報を提示する順番を変えているだけではなく、前段ではむしろ情報の不足を提示している。
情報の不足を提示することで、読み手を引き付けようとする演出、文の綾なのだ。
情報伝達という点では、短くなったから分かりやすくなったとは言えない。
しかし、先に触れたように、読み手を引き付けることは、結果として、情報の伝達に寄与する。誰も読みたがらないものは、何も伝えないからだ。
さらにひとつ、情報を小出しにすることは、人間の限りあるある認知資源からすれば、必ずしも非難されるべきことではない。
一度にたくさんの情報や複雑な全体を提示されても、処理しきれないかもしれない。知的好奇心は無限でも、知性の口はおちょぼ口である。
とはいえ、ただ少量ずつ手渡せばよいというものでもない。読み手を退屈に陥らせず引き付けることができるなら、長い時間かけて、最終的には大量の情報を伝達することができる。
4.文にリズムをつける
「山路を登りながら考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」・・・(16)
あまり解説する必要を感じないけれど、短いセンテンスを使う、もっともよくある用途がこれである。
ヘミングウェイはあんなふうに書くのは、関係代名詞を知らないからではない。
文章表現を主題とする書籍の多くが「文は短く」と主張する。
「われわれ新聞記者は、だから、入社以来、先輩たちから、文章はできるだけ短く書くように、といわれつづけてきた。短く書こうとすると、主語と述語が近づき、事実がはっきりしてくる。込み入った因果関係のある事件などの場合には、とくにこの心構えが大切である。」(猪狩章『イカリさんの文章教室』)
「短く、短く、短く。/とにかくそれを絶えず念頭に置いてほしい。そして、短い一文に、全力を傾けていくことである。/ひとつの文に、あいまいさを残さぬことである。/文章を短くすることによって、意味のつながりを明瞭にすることができる。」(馬場博治『読ませる文章の書き方』)
「平明な文章を志す場合は、より長い文章よりも、より短い文を心がけたほうがいい。/私は、新聞の短評を書いていたころ、文の長さの目安を平均で三十字から三十五字というところに置いていました。」(辰濃和男『文章の書き方』 (岩波新書))
「読みやすい文章をめざすには短めに切ることを心がけたい。平均30字以内になるように文を切っていけば、文の長さの点ではかなりやさしい文章になるはずだ。平均で40字くらいまでは読みにくくなる心配はあまりないだろう。」(中村明『名文作法』)
「一センテンスの長さは、40〜50字以内になるようにつとめるべきである。とくに、文章の書きだしのセンテンスは、力が入りすぎて、長いセンテンスになることが多いので、注意して短くする。」(安本美典『説得の文章術』)
「簡単に短い文がいいと断定するのは容易である。しかし、大切なのは、短い文と長い文の特徴を十分理解し、それを使い分けることである」(北原保雄(1977)「構文とレトリック」『現代作文講座5 作文の技術』)と、当たり前の留保をつけるものすら、ほとんどない。
あとは斎藤美奈子『文章読本さん江』が、先の短文を勧める引用を並べたてた後で「抑圧的」と一蹴し、「新語は禁じ手、紋切り型も御法度、ひたすら短くわかりやすく書く。じつに正しい。そして正しいだけである。正しさを貫いた結果は、朝の新聞受けの中にある。彼らのいいつけを守っていたら、文章はなべて新聞レベルの正しく退屈なものになる」と薪を背負わせて火をつけているくらいのものである。
しかし「短い=わかりやすい」という妄言は、もう少し丁寧に壊しておく必要がある。
当然のことながら、短い文にも長い文にも、それぞれに得手不得手がある。
「文は短く」と断ずるだけでは、短い文と長い文の特徴を理解する機会が失われる。
もう少し突っ込んでいえば、〈短文信仰〉は、一方では短い文のレトリカルな側面を隠蔽し、一方では複数の述語を持つ長い文が担うロジカルな機能への注意を阻害する。
短い文章は、伝達の正確さや分かりやすさを追求するという理由からではなく、修辞的な理由で選択されることも多い。
そして、単純でないことを、正確かつ分かりやすく書こうとすれば、それに応じた複雑さや長さを備えた文が必要になる。
先に紹介した石黒圭『よくわかる文章表現の技術』(全5巻)の第1巻「表現・表記編」には、「文の長さとよみやすさ」を扱った章(第11講)がある。
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これを参考に、あまり光が当てられることがない〈長い文が得意なこと〉を中心に、文の長さについて考えてみたい。
気が短い人のための要約
*長いセンテンスが得意なこと
1.述語に軽重をつける
2.情報を階層付けする
3.表現を束ね、節約する
4.継続性を強調する
*短いセンテンスが得意なこと
1.述語間の関係を明示化しなくてすむ
2.センテンスの構造を単純化する
3.情報を後出しし目立たせる
4.センテンスにリズムをつける
長いセンテンスが得意なこと
1.述語に軽重をつける
ひとつだけしか述語を含まない単純なセンテンスをつなぐと、複数の述語を含むセンテンスができる。
「おなかが空いた。ご飯を食べた。」・・・(1)
「おなかが空いたので、ご飯を食べた。」・・・(2)
複数の述語を含むセンテンスでは、述語の間に軽重がある。
日本語は文末決定性の強い言語なので、文末に来た方の述語が主たる述語になる。
例文(2)でいうと、「食べた」の方が主たる述語である。
つまり複数のセンテンスを一つのセンテンスにまとめることで、(複数の文に含まれていた)複数の述語のうち、特定のものに焦点を当て、目立たせることができる。
このことが文章表現にどんな影響を与えるか、分かりやすいように極端な例で占めそう。
日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化する。
民主主義の諸原則を擁護することを希望する。
両国の間の一層緊密な経済的協力を促進する。
それぞれの国における経済的安定を希望する。
平和のうちに生きようとする願望を再確認する。
両国が集団的自衛権を有していることを確認する。
両国が国際平和に共通の関心を有することを考慮する。
安全保障条約を締結することを決意する。
よって次のとおり協定する。・・・(3)
例文(3)は、有名な悪文である、日米安全保障条約前文を短文化して作ったものである。
9つのセンテンスからなり、それぞれのセンテンスはひとつの述語を含む。
つまり9つの述語が登場するが、ただ並列され、そのうちのどれが重要なのか分かりにくい。
主語である「日本国及びアメリカ合衆国」は結局何をするのか、したいのか、全くはっきりしない。
次の例文(4)は、(3)を元にセンテンスをつなげ、4つのセンテンスにまとめたものである。
日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化し、民主主義の諸原則を擁護することを希望する。
両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、それぞれの国における経済的安定を希望する。
両国が集団的自衛権を有していることを確認し、国際平和に共通の関心を有することを考慮する。
よって安全保障条約を締結することを決意し、次のとおり協定する。・・・(4)
センテンスをつなげることで長文化したが、数多い述語に軽重つけられ、主たる述語は4つ「希望する」「希望する」「考慮する」「協定する」に減った。
構成要素の数が減れば、組み合わせの数は大きく減じる。
主たる述語の数が減ると、文章の構造もシンプルなものになる。
(4)の場合だと、主たる述語は4つに減らしたことで、

という述語間の関係がつかみやすくなっている。
2.情報を階層付けする
センテンスをつなげることには、他の機能もある。
センテンスをつなげまとめることで、元の複数のセンテンスが伝える情報が同じ階層(レベル)にあることを示すことができる。
例えば先の例文(4)の最初のセンテンス、
「日本国及びアメリカ合衆国は、両国間の友好関係を強化し、民主主義の諸原則を擁護することを希望する。」・・・(5)

を例にすると、「両国間の友好関係を強化する」と「民主主義の諸原則を擁護する」を同じセンテンスに取り込むことで、ふたつが同レベルの階層にあることを示している。
もう少し単純な例で示すと
「このコンビニは11時にしまる。深夜の売上げは低い。周囲の治安は悪い。」・・・(6)
では3つの文はただ並列しているだけが、内容からすれば後ろの2つのセンテンスはともに第1センテンスの理由を示している。
であれば、共に理由を表す第2センテンスと第3センテンスは束ねた方が、ふたつが同レベルの階層にあることが分かりやすい。
また3つのセンテンスの役割分担と、それぞれの間の論理的関係もはっきりする。
つまり同じ階層(レベル)にあるセンテンスをまとめることで、前後のセンテンスとの間にある階層性を示すことができる。

「このコンビニは11時にしまる。なんとなれば、深夜の売上げは低いし、周囲の治安は悪い。」・・・(7)
いくつかのセンテンスをまとめたうえで接続詞をつけることは、接続詞が影響を及ぼす範囲(スコープ)をコントロールすることでもある。
3.表現を束ね、節約する
複数のセンテンスを一つのセンテンスにまとめることで、重複した表現を省くことができる。
つまりセンテンスの長さは長くなるが、冗長さを減らすことができる。
当たり前の話だが、〈短文=シンプル〉に拘泥していると、見過ごされやすい論点でもある。
「朝は家で昨日の残り物を食べた。昼は近所のレストランでランチを食べた。」・・・(8)
「朝は家で昨日の残り物を、昼は近所のレストランでランチを食べた。」・・・(9)
4.継続性を強調する
訳あって後述する。
短いセンテンスが得意なこと
1.述語間の関係を明示化しなくてすむ
訳あって後述する。
2.センテンスの構造を単純化する
長いセンテンスは複雑な構造を持つことができる。
逆に、センテンスを短くすることは、センテンスの構造の単純化につながる。
たとえばひとつのセンテンスに含まれる述語の数が4つ、5つ・・・と増えていくと、どの述語同士の結びつきが強く、どの結びつきが弱いか、瞬時に判断することが難しくなっていく。
しかしセンテンスの構造を整理して、読みやすくすることはできる。
「マイナーな競技の場合、オリンピックでメダルを取れば取材が殺到するが、メダルを取らなければ見向きもされない。」・・・(9)
例文(9)は
「〜であれば〜だが、
〜であれば〜だ」
と、〈〜であれば〜だ〉という形式を平行して用いることで、述語を4つ使いながらも、述語の間の関係は明確である。
3.情報を後出しし目立たせる
訳あって後述する。
4.文にリズムをつける
訳あって後述する。
正確さと分かりやすさを越えて
後回しにしたものをまとめて扱おう。
先ほどいくつかの項目を後回しにしたのは、それらが内容を伝達することにだけ関わるものではないからだ。
ちょっと真顔で言いづらいが、それらは表現に関わることだと大くくりすることができる。
以下の項目は、主として文章の調子や綾に関わるものである。もちろん内容の伝達と表現は、はっきりここからここまでと分離できるものではない。
文章表現本の中には、まず正確に分かりやすく伝えることに注力すべきで、文章のスタイルを気にするなんぞ色気づくのは100年早い!とでも言いたそうなものが散見する。
しかし読書心理学的には、読み手の意欲は読解力を左右する重要なファクターだから、読みたくなるように書くことは、結果的として、よりよく伝えることに貢献している。
何かを伝えようとすれば、無自覚であれ、否応なく何らかのスタイルを採用しているのである。
わざわざ節を区切った理由は、〈短文信仰〉が、飾らない文章が一番であるという〈非文飾信仰〉と通じている節があるからである。
しかし、短いセンテンスが得意なことは、以下に見るように、むしろ修辞・表現面に多い。
長いセンテンスが得意なこと(修辞表現篇)
4.継続性を強調する
センテンスを切ることは、そこで文章の流れに小さな切れ目を入れることである。
逆に一連の出来事を一続きのものとして表現したい場合には、一つのセンテンスにまとめることは有効である。
「自動販売機のまえに100円玉が落ちていた。僕はそれを見つけた。そして周りを見た。誰も居ないことを確認した。落ちていた100円玉を拾った。それをポケットに入れた。」・・・(10)
「自動販売機のまえに100円玉が落ちているのを見つけた僕は、周りを見て、誰も居ないことを確認し、100円玉を拾って、ポケットに入れた。」・・・(11)
短いセンテンスが得意なこと(修辞表現篇)
1.述語間の関係を明示化しなくてすむ
言葉を伝達手段としてのみ考えると、このことは長所とは言えないが、予防線は引いておいたから、気にせず進む。
複数のセンテンスをつなげ一つのセンテンスにまとめる場合には、接続助詞などを用いなければセンテンスとして成り立たず、それぞれの関係は否応なく示されることになる。
複数のセンテンスに分けた場合には、接続詞を使って関係を明示することもできれば、接続詞を使わずに関係を明示せずに済ませることもできる。
よくいえば、センテンス同士の関係について、その解釈の可能性を開くというか、読者に委ねるというか丸投げするというか、曖昧にしたまま済ませるというか、段々ひどくなってきたが、そういうことができる。
実際のところどうなのかといえば、日本語の場合、接続詞をつけられたセンテンスは、全体の1割=10%程度である。9割の文は、接続詞がないままに並べられているわけだ。
多くは接続詞なしでも誤解が生じる可能性が少ない(だから接続詞は必要ない)からだが、不必要以外の理由もある。
一歩ごとに道しるべがある道がかえって歩きにくく、また歩いても楽しくないように、あらゆるセンテンスに接続詞をつけた文章は、ぎくしゃくして読みづらい。
また接続詞は、センテンスとセンテンスとの論理的関係を示すだけでなく、強調したいところを目立たせたり、また言葉の調子を整えたりリズムをつけたりするのにも用いられる。
そうした文の綾としての接続詞が効果を発揮するためには、接続詞の使用を極力ひかえて、ここぞというところでのみ使った方がいい。
3.情報を後出しして目立たせる
「昨日夜更かししたから、試験中、頭が働かなかった。」・・・(12)
「試験中、思うように頭が働かなかった。昨日夜更かししたのだ。」・・・(13)
「先日、夏目漱石の『こころ』という作品を読んだ。」・・・(14)
「先日、とても心に残る作品を読んだ。夏目漱石の『心』という作品だ。」・・・(15)
先日書いた謎解き文が、まさにこれに当たる。
読む者を新しい知識に導きその心を惹きつけてやまない謎解き文のテンプレート 読書猿Classic: between / beyond readers

謎解き文をつくる手順ををもう一度説明すると、
(1)文章の一部を取り出し
(2)後ろに回して
(3)元あったところに別の語句を挿入する
となる。
新たな文章を挿入するステップ3があるので、全体として文章が伸びているが、そのステップを省くと、元のセンテンスは切り分けられ、一つ一つのセンテンスは短くなっている。
謎解き文は、情報を提示する順番を変えているだけではなく、前段ではむしろ情報の不足を提示している。
情報の不足を提示することで、読み手を引き付けようとする演出、文の綾なのだ。
情報伝達という点では、短くなったから分かりやすくなったとは言えない。
しかし、先に触れたように、読み手を引き付けることは、結果として、情報の伝達に寄与する。誰も読みたがらないものは、何も伝えないからだ。
さらにひとつ、情報を小出しにすることは、人間の限りあるある認知資源からすれば、必ずしも非難されるべきことではない。
一度にたくさんの情報や複雑な全体を提示されても、処理しきれないかもしれない。知的好奇心は無限でも、知性の口はおちょぼ口である。
とはいえ、ただ少量ずつ手渡せばよいというものでもない。読み手を退屈に陥らせず引き付けることができるなら、長い時間かけて、最終的には大量の情報を伝達することができる。
4.文にリズムをつける
「山路を登りながら考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」・・・(16)
あまり解説する必要を感じないけれど、短いセンテンスを使う、もっともよくある用途がこれである。
ヘミングウェイはあんなふうに書くのは、関係代名詞を知らないからではない。
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